見出し画像

ネタバレあり考察|『ほぼすべ』を読んだ後に

こちらは作者目線ではなく、映画レビューサイトやカルチャーメディアに掲載されていそうな、第三者目線のネット考察記事をイメージした【架空の記事】です。

※『ほぼすべ』全五話の重大なネタバレを含みます。未読の方は、先に本編をお楽しみください。

▼未読の方はこちらからどうぞ
第一話「地球と描いてSAKABAとよむ」
『ほぼすべ』マガジン

ここから先は、読了後にお楽しみください。


『ほぼすべ』徹底考察

「送らな、届かへんよ」は、誰に向けられた言葉だったのか


※以下、作品全体のネタバレを含みます。

『ほぼすべ』は、一見すると、関西弁の軽快な掛け合いを楽しむ会話劇である。

舞台は六甲道のサイゼリヤ。看護師のヨッシーと、作業療法士のスミレは、月に一度、「ほぼすべ」と呼ばれる小さな会を開いている。

石川部長のあだ名禁止。「たかみな」のすれ違い。紙の下着と白ブリーフ。どれも、日常の中で起きた、ちゃんと笑える話だ。

しかし第四話「送信ボタン」から、この物語の見え方は変わる。

これは、面白い話を仕上げる二人の物語ではない。

言葉を届ける方法を知っている女性が、自分のいちばん大切な気持ちだけは届けられなかった物語なのである。




1.スミレの恋は、「知っていること」で描かれている

第一話でヨッシーは、三宮の立ち飲み屋で出会った女性とLINEを交換したことを話す。

嬉しさを隠そうとするヨッシーを見ながら、スミレは、その女性はまだ彼が本当は面白いことを知らない、と考える。

話の途中で照れること。
オチの前に声が小さくなること。
困ると水を飲むこと。
炭酸を入れる時だけ少し猫背になること。

スミレは一度も「好き」と言わない。それでも読者には分かる。

恋愛小説では、「好き」という台詞より、相手の小さな癖を知っていることの方が雄弁だ。スミレの片思いは、観察の積み重ねとして描かれている。

そして「ほぼすべ」は、二人を近づける場所であると同時に、それ以上近づかないための安全地帯でもある。

失敗談なら、順番や間を整えられる。

だが、スミレ自身の気持ちは題材にできない。本当のことを言えば、この時間が終わるかもしれないからだ。


2.三つの笑い話は、すべて「伝わり方」の話である

石川部長の話では、部長がヨッシーをあだ名で呼びながら、「スタッフをあだ名で呼ぶな」と注意する。

「たかみな」では、同じ言葉を使っているのに、二人が思い浮かべている人物が違う。それでも十五分間、会話だけは成立してしまう。

そして「紙の下着」では、ヨッシーの配慮が、ご高齢の女性に思いがけない形で届く。

紙の下着を渡したら、返ってきたのは白いブリーフ。しかもB.V.D.。

この話がただの下着ギャグで終わらないのは、二人が女性の善意を決して笑っていないからだ。

「優しいねん。めちゃくちゃ優しいねん。だから余計に困んねん」

笑いの対象は感謝そのものではなく、感謝が白ブリーフという形で届いた状況にある。

そしてヨッシーは言う。

「感謝の気持ちは、ちゃんと届いてん。ただ、届き方が白ブリーフやってん」

ここで、笑いと恋愛が一本につながる。

気持ちは届く。けれど、想像した形で届くとは限らない。

そして、そもそも送らなければ届かない。


3.サイゼリヤの料理は、二人の時間を測る時計だった

『ほぼすべ』では、ミラノ風ドリア、辛味チキン、デキャンタ、アイスティーの状態が繰り返し描かれる。

これらは単なる背景ではない。

第一話では料理が運ばれ、会話が始まる。

第三話では辛味チキンが残り一本になり、第四話ではヨッシーの水のグラスが空になる。

最終話では、デキャンタは空になり、ドリアの器には焦げたチーズの膜だけが残る。

料理が減るほど、二人の会話は核心に近づく。

だが、二人の距離は縮まらない。

同じ夜を過ごした証拠だけが、テーブルに積み重なる。

サイゼリヤは、二人の関係を記録する第三の登場人物なのだ。


4.「送らな、届かへんよ」が優しくて残酷な理由

第四話でヨッシーは、「地球の人」に送るLINEをスミレに見せる。

文章は硬く、まるで病院の委員会メールだ。スミレは笑いながら文面を直す。

「この前はありがとう。少しやったけど話せて楽しかったです。またよかったら、ごはんでも行きませんか」

好きな人が、別の女性へ送るメッセージを添削する。

この構図だけで十分に切ない。

しかしスミレは、自分の傷を見せない。ヨッシーが迷えば背中を押し、こう言う。

「送らな、届かへんよ」

これはヨッシーへの助言であり、同時にスミレ自身へ向けられた言葉でもある。

彼女は、気持ちは心の中に置いているだけでは届かないと知っている。それでも、自分の気持ちは送らない。

送れないのではなく、ヨッシーとの関係を守るために、送らないことを選んだようにも見える。

だからこの台詞は、本作でもっとも優しく、もっとも残酷だ。


5.届いたポストカードと、未配達の恋

最終話でスミレは、新人時代にもらったポストカードの話をする。

怖かった指導者から届いた一枚のカード。そこには謝罪と励まし、そして、

「一緒に一人前の作業療法士になりましょう」

と書かれていた。

スミレを救ったのは、「一緒に」という言葉だった。

その経験があるから、彼女は言葉が人を救い、届けて初めて伝わることを知っている。

ところが、その直後、「地球の人」からヨッシーへメッセージが届く。

「こんばんは。今度、ご飯行きませんか?」

送れなかったヨッシーより先に、相手の女性がポストへ入れたのである。

ヨッシーの恋は動き始める。

一方、スミレの恋は動かない。

最後にスミレがつけるタイトルは、「未配達のポストカード」。

新人時代のカードは、確かに届いている。

未配達なのは、スミレ自身の気持ちだ。

最終場面でも、彼女は泣かない。伝票をヨッシー側へ寄せ、

「私、ほぼすべらんなー」

と笑う。

その笑顔は、「ヨッシーに見えるくらい、いつもの顔」だった。

本当はいつもの顔ではないかもしれない。

それでも彼女は最後まで、ほぼすべを壊さなかった。


6.「地球の人」は、『エイトセカンズ』のミナなのか

前作『エイトセカンズ』を読んだ人なら、ひとつの可能性に気づくだろう。

ヨッシーが出会った「地球の人」。

アラフォーくらいの、落ち着いた女性。ノリのいい友人と立ち飲み屋を訪れ、最後には自分から食事へ誘う。

この人物は、『エイトセカンズ』のミナなのではないか。

もちろん、本文に答えはない。

名前も出ない。
年齢も、「アラフォーくらい」としか語られない。

ただ一つ、見過ごせない一致がある。

『ほぼすべ』最終話で、ヨッシーのスマホに届くメッセージ。

こんばんは
今度、ご飯行きませんか?

この文章は、『エイトセカンズ』最終話で描かれたメッセージと、まったく同じなのである。

もちろん、それだけで「地球の人=ミナ」と断定することはできない。

偶然かもしれない。
作者による、ささやかな遊び心かもしれない。

しかし、この一致を知ったうえで二作品を読み返すと、『ほぼすべ』第一話の、

「先週な、地球行ってん」

という何気ないひと言まで、少し違って見えてくる。

もし、あの女性がミナだったとしたら――。

ハマヤンから届いた言葉によって、ミナが現実の街へ歩き出した。

その一歩がヨッシーとの出会いにつながり、同時にスミレの届かなかった恋を浮かび上がらせたことになる。

誰かに届いた言葉が、その人を前へ進ませる。

前へ進んだ人が、また別の誰かの物語を動かす。

そう考えると、二作品は単なるクロスオーバーではなく、一つの気持ちが別の物語へ受け渡されていく連作になる。

『エイトセカンズ』で終わったように見えた恋が、『ほぼすべ』では、誰かの新しい始まりとして続いていく。

一方で、「地球の人」がミナでなくても、『ほぼすべ』は単体で成立する。

だからこそ、この接点は強い。

答えを決めないからこそ、二作品は静かにつながる。

ミナだと考えれば、二つの物語の間に新しい道が生まれる。

別人だと考えれば、『ほぼすべ』はスミレの未配達の恋として、ひとつの作品の中で完結する。

そのどちらも壊さない距離で、物語は読者へ手渡されている。

この曖昧さは、説明不足ではない。

読者へ残された、豊かな余白なのである。


総評――皿の上に残ったのは、言えなかった気持ちの跡

『ほぼすべ』は、会話のテンポが楽しい作品だ。

石川部長、たかみな、白ブリーフ。

どのエピソードにも、きれいなオチがある。

だが、最後に残るのは、完成された笑い話ではない。

言えなかった気持ちの跡である。

笑い話なら、言葉を削り、順番を変え、最後のひと言を整えられる。

けれど、人の感情はそうはいかない。

正しい言葉を知っていても、送信ボタンを押せるとは限らない。

誰かの背中を押せても、自分が前へ進めるとは限らない。

最後のテーブルには、空になったデキャンタ、辛味チキンの骨、ドリアの器に残った焦げたチーズ、溶けた氷がある。

さっきまで確かにあったものは、形を失っていく。

それでも、皿の上には跡が残る。

スミレの恋は届かなかった。

だが、なかったことにはならない。

そして『エイトセカンズ』との接点まで想像した時、このシリーズはさらに奥行きを増す。

一つの作品で届いた愛が、別の作品では誰かの始まりになり、その始まりがまた、別の誰かの未配達の恋と交差する。

「地球の人」は、本当にミナだったのか。

答えは分からない。

分からないからこそ、読者は二つの物語の間を何度も行き来したくなる。

その余白まで含めて、このシリーズは深く、面白い。


文・架空野 雷太


二周目では、きっとサイゼリヤのテーブルが少し違って見える。

▼第一話「地球と描いてSAKABAとよむ」へ


▼『ほぼすべ』マガジンへ


同じ世界線の、もう一つの物語

▼全五話の短編小説『エイトセカンズ』へ


いいなと思ったら応援しよう!