ほぼすべ|第四話 送信ボタン
「真っ白なブリーフ。B.V.D.の」
ヨッシーがそう言うと、スミレはしばらく笑っていた。
笑いすぎて、アイスティーの氷が溶けていた。
「いや、それ最後ええやん」
「ほんま?」
「うん。でも、もう一個締めたい」
「出た。締めたい人」
「締めたい。ほぼすべやから」
スミレは、最後の辛味チキンを半分だけかじった。
「最後にさ、“紙の下着を渡したら、布の下着で返ってきた”って言ったら?」
ヨッシーは、少し考えた。
「紙の下着を渡したら、布の下着で返ってきた」
「うん」
「しかも白ブリーフ」
スミレは指を鳴らすふりをした。
「それ」
「ええな」
「で、そこに“B.V.D.”入れるかどうかやな」
「入れたい」
「入れたいんかーい」
「だって、たぶんちゃんと選んでくれてるねん」
「そこがまた優しいんよね」
「そうやねん。安モンちゃうねん。ちゃんとしたメーカーの白ブリーフやねん」
「ちゃんとした白ブリーフって何なん?ブリーフ界隈知らんし」
ヨッシーは、少し悔しそうに笑った。
「ほな、完成形いくわ」
「どうぞ」
ヨッシーはグラスを置き、少しだけ間を作った。
「感謝の気持ちは、ちゃんと届いてん。ただ、届き方が白ブリーフやってん。しかもB.V.D.」
スミレはうなずいた。
「完成」
「勝った?」
「うーん」
「今の勝ちやろ」
「今日、レベル高いやん」
スミレは指を折った。
その時、隣の席から、エスカルゴのガーリックバターっぽい匂いがふわっと流れてきた。
ヨッシーが一瞬だけそっちを見た。
スミレは、目だけで「今ちゃう」と言った。
「……はい」
「石川部長のルール」
「僕、ヨシトです」
「たかみな事件」
「十五分、同じ人を見てなかった」
「紙の下着」
「しかも白ブリーフ」
二人はしばらく黙った。
サイゼリヤの天井のスピーカーから、聞いたことがあるようでない音楽が流れていた。
隣の席では、若い男女がメニューを見ながら、ピザを一枚にするか二枚にするかで真剣に揉めている。
「ほぼすべ、仕上がってきてる」
ヨッシーが言った。
「うん。そろそろ大会出れる」
「何の大会よ」
「デキャンタ杯」
「規模ちっさ」
「優勝賞品、デキャンタ代免除」
「いつものやつやん」
スミレは笑った。
こういうくだらない話なら、いくらでも続けられる。
石川部長も、たかみなも、白ブリーフも。
笑いに変えられるものなら、いくらでも。
その時、ヨッシーが何気なくスマホを裏返した。
画面を見て、少しだけ眉を寄せた。
「返信?」
「いや、まだ」
「まだなんや」
「うん」
ヨッシーはスマホを置いた。
でも指先は、画面の端に残っていた。
「送ってへんの?」
スミレが聞くと、ヨッシーは小さく息を吐いた。
「送ってへん」
「何を」
「この前の、地球の人に」
「地球の人って言い方、宇宙人みたいやな」
「ほしの人?」
「余計ややこしい」
ヨッシーは、スマホをこちらに向けた。
「文面だけ作ってん」
「見せて」
「笑うなよ」
「内容による」
「そこは笑わんって言えよ」
スミレはスマホを受け取った。
画面には、下書きの文章が残っていた。
『先日はありがとうございました。とても楽しい時間でした。また機会がありましたら、お食事などご一緒できれば幸いです😊』
スミレは、三秒だけ黙った。
「硬い」
「やっぱり?」
「硬い。病院の委員会メールみたい」
「そんなに?」
「“ご一緒できれば幸いです”って、取引先に日程候補送る時のやつやん」
「恋愛じゃなくて業務調整やな」
「あと、この絵文字いらん」
「なんでや。柔らかくしてるやん」
「硬い文章に急に絵文字ついてるから、余計おっさん感出てる」
「おっさん言うな」
「じゃあ、三十代後半男性の慎重さが出てる」
「余計刺さるわ」
スミレは、スマホを返さずに、文章を見たまま考えた。
「もっと普通でええと思うよ」
「普通って難しいねん」
「たとえば」
スミレは、ゆっくり言った。
「この前はありがとう。少しやったけど話せて楽しかったです。またよかったら、ごはんでも行きませんか」
ヨッシーは黙った。
「どう?」
「……ええな」
「でしょ」
「俺が送ったら、ちょっとスミレっぽくならん?」
「ならん。普通の人っぽくなる」
「今まで何やってん」
「委員会メールの人」
ヨッシーは笑った。
スミレも笑った。
スマホの画面には、まだ下書きが光っている。
「送る?」
スミレが聞いた。
「いや、どうしよかな」
「何を迷ってんの」
「送って返ってこんかったら嫌やん」
「まあねー」
「変に思われたら嫌やし」
「うん」
「なんか、こっちだけ浮かれてる感じも嫌やし」
ヨッシーは、水を飲もうとして、グラスが空なのに気づいた。
スミレは、その仕草を見ていた。
本題前に水を飲む。
困った時に、水を飲む。
空でも、飲もうとする。
そういうところまで知っている。
「でもな」
スミレは、スマホをヨッシーの方へ押し戻した。
「送らな、相手には何も起きてへんのと同じやで」
ヨッシーは、スマホを見た。
「届かへん」
「うん」
スミレは、いつもの顔で笑った。
「ほぼすべも一緒やろ。話も、出さな伝わらへん」
「それ、ええこと言ってる?」
「たぶん」
「ほぼすべらんなー」
「今のは、すべらんというより、普通にええこと」
「自分で言うな」
ヨッシーは、スマホを持ったまま、しばらく考えていた。
画面の光が、ヨッシーの指先を白く照らしていた。
「これ、送った方がええと思う?」
スミレは、少しだけ間を置いた。
「うん」
「送らな、届かへんよ」
第四話 終わり
次回
第五話(最終話) ポストカード
