22年ぶりにアメリカを旅して:セコイア国立公園、ヨセミテ国立公園、サンフランシスコへ戻る カリフォルニア州 2002年7月


2009年、ベトナムへ出発する前、昔撮ったビデオを整理していた。 1997年にアフリカのマラウイへ赴任したころの娘が撮ったビデオだった。 当時小学2年生で、友達の誕生会に招待された時のものだった。 本人はほとんど写らないが、周りとやりとりする声が聞こえ最初から最後まで娘の視点で写されていた。 当時は、誕生会の様子とかよくビデオカメラをまわしているなくらいにしか思わなかった。

十数年が過ぎて今やっと気がついたことがあった。 娘はビデオの中で新しいコニュニティーに溶け込もうと必死に努力していたのだった。 気がつかなかったことを恥じた。

今でも、あのころアフリカへ持っていった娘のファミコンから流れてくるドンキーコングの音楽を耳にすると胸が痛くなる。





















サンフランシスコの隣町であるシリコンバレーのモーテルに3泊ぐらいした時のことだ。 モーテルへ車で戻り駐車場にバックで入れようとしていた。 白人の老人が、突然現れた。鬼の首を取ったようにまくしたて始めた。 俺の車にぶつけただろう。弁償しろとなどとたたみかけ、迫ってきた。 とんでもない言いがかりだった。完全な濡れ衣だった。

有色人種への偏見に満ち満ちたタイプとすぐに判別できた。 そのモーテルに泊まり始めてから駐車する際、一度も隣に車があったことなどなかった。 確かにその老人のバンパーがへこんでいる。

見覚えのないことだった。やったのは他の誰かだった。 これは面倒なことになると察した瞬間、条件反射的に、それはいつの出来事かと爺さんへ尋ねた。 ○○時頃のはずと答えた。その回答を逃さずすぐさま反撃に出た。 「すぐにその時間に俺たちはここにはいなかった。外出していた。 だから、あんたの車にぶつけること自体、無理だろうが。」と。

妻もわが意を得たりの表情で、そうだ、その時間に私達はいなかったと加えた。 さらに「何をバカなことをいっているのか、人違いもいい加減しろ」等とまくしたてた。 災難はどこから降ってくるかわからない。

その情況を映画の中の一シーンのようにはっきりと記憶している。

トリニダード・トバゴへ戻り、2002年の休暇は終わった。
全体は、「22年ぶりにアメリカを旅して 2002年7月」を参照してください。
