アメリカ横断、最後の旅 1982年6月
1982年6月、初めてアメリカ東部を訪れることができた。日本へ帰国する前だった。長期研修で散らばっていた百余名の派米農業研修生15回生がアメリカ西部の主要な大都市からワシントンDCへ、モーゼスレイクの英語研修以来1年半ぶりに集まった。




2台?の貸切バスに分乗し10日弱(ぐらいだったと思うが)かけて、DCからニューヨーク経由でシアトルまで、東から西へアメリカを横断する旅行のためだった。ワシントンDCに到着して空気を泳ぐような湿気の高さに驚いた。そして何よりも、久しぶりにお互いに無事に再会できたことを喜びあった。積もり積もった各々の話を聞き驚きあった。



バスの中では、当時ヒットしていたシャーリーンの I've never been to me(愛はかげろうのように)が繰り返し流されていた。観光気分のままスミソニアン博物館や衛兵の交代、ホワイトハウス外観などを観光した。



ニューヨークへはニュージャージー州から入り、湿地帯みたいな所からマンハッタン島の摩天楼が見えたことは今でもはっきり覚えている。夢にまで見たニューヨークだった。俺にとっては、ブルース・スプリングスティーン、ルー・リード、ザ・バンド、ボブ・ディランのニューヨークだった。

トンネルを潜るとニューヨークの真ん中のミッドタウンに到着した。当時はアメリカ、特に大都市の麻薬問題が騒がれていた時代で、明らかにジャンキーが多いストリートがあるほど物騒しかった。当然そんなことはわかっていたが、若かった俺たちは見る物、聞く物全てに興奮していた。


自由の女神も王冠まで当時登ることができた。すぐに気がついたこととして、2年間使ってきた英語なのにニューヨークではすぐに通じることはなかった。また、早口で話されて殆ど理解することができなかった。かまいやしない、それでも夜の街に繰り出した。

歴史的な名所に寄りながら、ナイアガラの滝を見学、シカゴではシアーズタワーへ上り、シカゴ商品取引所を見学した。一人で映画館に入ってみたら、回りはきちんと着飾った黒人だけで他の人種がいないことに驚いたりもした。



ミシシッピ河を渡り、さらに西へ進み、サウスダコタ州ではアメリカインディアンの聖地を切り刻んで大統領の顔を彫ってしまったマウントラシュモアへも行った。




中西部を横切り、映画「未知との遭遇」のデビルズタワーが地平線の向こうに小さく見えた。バスドライバーは運転席の横にカメラを置いていた。彼自身も中西部、ロッキー山脈以西は初めての旅だった。






イエローストーン国立公園を東口から入り、気がつかぬままロッキー山脈を越えた。ある研修生の言い草が傑作だった。俺のいた農場の方がすごいと。


途中、モンタナ州のゴーストタウンで有名な田舎町に立ち寄り、皆テンガロンハットとかウエスタンブーツ等最後の買い物を楽しんだ。やがて初めてのアメリカの土地、ワシントン州モーゼスレイクまで戻って来た。懐かしい英語の先生達が研修生の到着を待っていてくれた。モーゼスレイクの空は、アメリカへ着いた時と同じように相変わらず紺碧だった。

アメリカを離れる前日、シアトルで見た最後の映画は「ET」だった。とうとう1980年6月末から1982年までの2年間が終わってしまった。24歳だった。
そして、シアトルから日本へ帰国した。
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