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『たぶん、少し泣く』――あとがき

わたしは、物語の中で人物の気持ちや、その行動の理由をいちいち説明するのが、あまり好きではありません。
そこまで書いてしまえば分かりやすいし、共感もされやすいと思います。
でも、読んだ人が自分で考える余地がなくなってしまう。
それでは、ちょっとつまらない。

なので『たぶん、少し泣く』でも、かなり説明を削りました。
ただ、今になって読み返してみると、もうひとつのテーマについては、少し伝わりにくすぎたかなと思いました。
その部分だけ少し補足してみます。



もうひとつのテーマ

『たぶん、少し泣く』は、創作大賞の恋愛小説部門に応募しました。
でも、純粋に恋愛小説として読めるのは、第2話と第3話だけなんですよね。
第4話からは、少し違ってきます。

仮面うつ。
うつ状態。
自律神経失調症。
そういったものが、もうひとつのテーマになっています。

わたしは医師でも、メンタルケアの専門家でもありません。
ここから書くことは医学的な解説ではなく、実際に経験したことと、その後に自分で調べたことを照らし合わせながら書いています。

作中では、病名についてほとんど触れていません。
ただ、その状態を物語の中に置きました。

第5話で医師が話す、硬い木と柳のたとえ話は、わたしが実際に言われたことです。
強く硬い木は丈夫そうに見えるけれど、強い風を受け続ければ、いつか折れてしまう。
だったら柳のように、風に合わせてしなればいい。
環境や自分の状態に合わせて、柔軟に受け流せばいい。
そんな話でした。


玲の愛情が苦しくなる

普通に読めば、玲はとても献身的です。
励ましてくれる。
そばにいてくれる。
食事も作ってくれる。
全部、優しさです。
愛情です。

哉一も、それが分かっています。
むしろ、痛いほど分かっている。
だからこそ、苦しくなっていきます。

うつ状態では、罪悪感や無力感、自己否定が強くなることがあると言われています。
優しくされるほど、「こんなにしてもらっているのに、自分は何もできない」と思ってしまう。
支えてもらうほど、「何も返せない」という罪悪感が大きくなる。

玲は、今の哉一を否定していません。
昔のように働けなくてもいい、二人でやっていければいい、そう言ってくれている。
でも、哉一にはそれを、そのまま受け取ることができません。

その先に、一度目の別れ話があります。
玲が泣いたことで、自分がどれだけ愛されているのかを改めて知る。
同時に、自分が玲なしでは立てないことにも気づいてしまう。
だから、「一緒に居てください」になる。

一緒にいたい。
でも、一緒にいることも苦しい。
そんな状態になっていきます。

カチャトーラの場面も同じです。
玲にとっては、また一緒に料理をしよう、という愛情表現だったのだと思います。
でも哉一には、自分はこの料理を作れない、玲が好きになってくれた自分ではなくなってしまった、そんな現実として見えてしまう。
それでも玲の愛情は伝わっています。
だから、「やめてほしい」とも言えません。


元の自分に戻ろうとする

医師には、「柔軟に受け流せるようになろう」と言われました。
でも哉一は、玲が好きになってくれた自分に戻ろうとします。

仕事にも戻ります。
婚約もします。
親も認めてくれた。
玲も嬉しそうです。
どれも、本来なら幸せなことです。

でも、身体の方はそれほど簡単にはついてきません。
たとえるなら、血を流しているのに、ニコニコしながら、次々と重い荷物を抱えていく。
そんな状態です。

しかも、その荷物は全部、大切なものです。
仕事も。
玲も。
これからの人生も。
だから、一度抱えたら簡単には下ろせない。

そして第7話で、身体が限界を迎えます。
二度目の療養で、今度は心まで折れてしまう。
医師が話していた、硬い木が折れるように。


婚姻届を破る

玲は、それでも一緒にいようとしてくれます。
でも哉一には、「自分が悪い」「自分が負担になっている」「このままだと玲まで駄目になる」そんな考えばかりが浮かぶようになります。

罪悪感。
無力感。
自己否定。
そして、視野も狭くなっていく。

うつ状態では、考え方が悲観的になったり、選択肢が見えにくくなったりすることがあると言われています。
玲は別れようとはしない。
話し合えば、また「一緒にいたい」と言う。
そして、自分もそれを拒みきれない。
哉一の中では、少しずつ 話し合う という選択肢そのものがなくなっていきます。

そんな中で選んだのが、婚姻届を破るという行動です。
自分がいなくなれば問題は終わる。
自分の未来を壊してしまえば、玲を解放できる。
そんな方向へ考えが狭まっていた。
かなり危うい状態だったと思います。

そして玲が帰ったあと、哉一は泣きません。
ただ眠ります。
作中では、それ以上のことを書きませんでした。


元気になる理由もなくなる

玲と付き合っていた頃は、「おはよう」で一日が始まって、「おやすみなさい」で一日が終わっていました。
それが、一日の区切りになっていました。

玲がいなくなると、それもなくなります。
時計は普通に動いているのに、自分の時間だけがおかしくなっていく。

そして第8話で、玲との破局が決定的になります。
それまでは、「元気になって玲のところへ戻る」という理由がありました。
でも、それもなくなる。

眠れない。
起きたくない。
積極的に何かをする気力もありません。
だから、眠れたなら、そのまま起きなくてもいい。
もう、目が覚めなくてもいい。
わたしが経験したうつ状態にも、そういう感覚がありました。


8年間を書かなかった理由

第9話では、そこから一気に8年ほど時間が飛びます。
なぜ8年間を書かなかったかというと、恋愛小説としては、もう書くことが無かったからです。
玲との話に動きはありません。

その間、アルバイトをしたり、勉強したりしました。
母親が様子を見に来てくれたこともあります。
でも、それを一つずつ物語にする必要はないと思いました。

うつ状態から抜けていくまでには、かなり長い時間がかかりました。
何か劇的な出来事があって、急に元気になったわけではありません。

少し働く。少し勉強する。また休む。

そういう時間を重ねながら、少しずつ生活が変わっていきました。

医師の木の話を使うなら、折れた木から新しい芽が出て、少しずつ育っていく。
そんな時間だったのだと思います。

以下の詩で、その8年間を補完しました。

元の自分に戻ったわけではありません。いろいろなものを失っています。
別の形で、生きられるようになった。
だから第9話では、その8年間を細かく書かず、淡々と時間を進めました。
その変化は、文体や挿絵のトーンでも表現しています。


作中では、こうしたことをほとんど説明しませんでした。
この観点を持ってもう一度読んでいただけたら、最初とは少し違ったものが見えてくると思います。



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