かぎりない庭 | 最終夜 おかあさんが髪を切ってくれた
前回:二十夜 拝み屋
-おかあさんが髪を切ってくれた-
広い玄関の土間に、新聞紙を敷き詰めました。
そこに椅子を置きます。
わたしは椅子の上に座らされ、穴をあけたゴミ袋をかぶらされました。
今日は、おかあさんが髪を切ってくれます。
パンツとシャツの上に、ビニールのゴミ袋をかぶっているので、とても暑いです。
でも、我慢します。
椅子は少し高く、わたしの足はぶらぶらしていました。
足が下につかないことが、少し不安でした。
「じっとしていてね」
母は、右手に持ったはさみをしゃきしゃき鳴らしていました。
それから、左手を、わたしの後頭部に添えました。
「うごかないでね」
櫛を使うでもなく、母はわたしの襟足の毛を、ちょきん、と切りました。
ちょきん。
ちょきん。
ちょきん。
手早く、はさみが入っていきます。
「うごかないでね」
襟足を切り終えた母は、耳の後ろから、側頭部へとはさみを進めました。
「じっとしていてね」
ちょきん、ちょきん。
耳の近くで、はさみが髪を切り落としていきます。
音が、さっきより大きく聞こえました。
はさみの音だけでなく、じょりっ、という髪の切れる音も聞こえました。
耳の後ろに、はさみが当たりました。
つめたい。
「うごかないでね」
両耳の上を切り終えました。
母は、前髪を切ります。
「じっとしていてね」
母は、前髪をそのまままっすぐに切りそろえます。
ちょきん。
ちょきん。
髪が、顔の前をはらはらと落ちます。
ちょきん。
顔の前を流れ落ちた髪が、鼻のあたりに引っかかります。
くすぐったい。
「うごかないでね」
鼻についた髪が、くすぐったい。
わたしは、くしゃみが出そうになりました。
「じっとしていてね」
「おかあさん、鼻がくすぐったい」
わたしは言いました。
「あら。ごめんね」
母は、はさみを上げ、わたしの鼻についた髪を払ってくれました。
くしょん。
わたしは我慢できず、くしゃみが出ました。
「もうちょっとだから、我慢してね」
母は、ふたたび前髪にはさみを入れます。
「うごかないでね」
母が、何度も同じことを言うので。
母が、あまりに真剣な顔で言うので。
わたしは、なんだかおかしくなってしまいました。
母のはさみは止まりません。
「じっとしていてね」
髪は、はらはらと落ちていきます。
ここで急にくしゃみをしたら、どんなことになるだろう。
そう考えると、むずむずしてきました。
母は、びっくりするだろうか。
はさみは、どうなってしまうだろうか。
わたしは、どうなってしまうだろうか。
ちょきん。
ちょきん。
冷たいはさみが、髪を切ります。
ちょきん。
ちょきん。
「うごかないでね」
「じっとしていてね」
かぎりない庭
終
