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“片付けめんどくさい”の裏にある心の声

部屋を整える、というと
「片づける」「捨てる」「ちゃんとする」
そんな言葉が、まず浮かびやすい。

正直に言うと、
私は部屋を片付けるのが得意なタイプじゃない。
できればやりたくないし、
「めんどくさい」と思う日のほうが圧倒的に多い。

だから以前は、
そんな自分のことを「怠惰」だと思っていた。

でも今は、少し違う捉え方をしている。

それは、怠惰なんかじゃない。
これ以上自分を擦り減らさないための防衛で、
すでに心がいっぱいいっぱいな飽和状態ってこと。

「やらないといけない」と思うほど、
整えることに対して、気が重くなる。
それ自体が、また一つの負荷になる。

そんな私にも、
ふと、整えたくなる瞬間がある。

それは、部屋が汚れているからではない。
散らかった景色を見て、
無意識に自分を責めてしまうのを、止めたくなるから。

部屋は、思っている以上に、感情に近い場所にある。

荒れたデスクは
「今は余裕がない」というサインだし、
出しっぱなしの服は
「選ぶことに、ちょっと疲れた」という訴えかもしれない。

そうやって部屋の状態を
「ダメな証拠」として見るのではなく、
今の感情を映し出す鏡として「翻訳」してみる。

だから私は、
「きれいな部屋」という正解を目指すんじゃなく、
感情を翻訳しながら、
心に少しでも余白が戻るラインを探している。

***

まずは、整えられない自分を許したい。

極論、今日は何ひとつ片付けなくたっていい。
視界がざわついたままでも、
今はそれが私の精一杯だと認めてあげる。

全部を「今」どうにかしようとするのを、
今日は、やめてみる。

……と言いつつも、
ここはnoteだし、
何もしないまま終わるのも落ち着かないから、
少しだけ続きを書こうと思う。

私がやりたいのは、投げやりになることじゃない。
「片付けない」という選択も、
自分を削らないための、立派な「防衛」だということ。

「今の自分に、これ以上の負荷をかけない」

整えることがつらい。
それは空間の問題というより、
今の自分を維持するだけで精一杯な状態、ということ。

そんなときに、無理をしても仕方がない。

だから私は、
何かを足すより先に、
いくつか手放すことを選ぶ。

今日は触らない場所。
今日は見て見ぬふりをする場所。


不思議なことに、
そうやって「やらない」を選ぶと、
部屋の空気が、少しだけ静かになる。

それは、物が減ったからじゃない。
自分を責める声のボリュームが下がったから。

***

整えることは、
正解に近づくための作業じゃない。
ましてや、自分を責めることでもない。

空間に潜む感情を翻訳しながら、
少しずつ、自分を許していく。

私にとっての「整える」は、それだけでいい。



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