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GACKTが雪山で運動会を開催してくれたお陰で

 雷が鳴り響く雪山のレストハウスで、彼女は頭の中をGACKTでいっぱいにしながら、仕出し弁当のわさび漬けをねぶっていた。

 彼女は名を、たーちゃんと言う。

 この翌日、群馬の雪山でGACKTと運動会をするという、文字に起こすと非常に破天荒なファンクラブイベントが控えていた。数時間前に出会ったばかりの彼女は「食事どころではない」という様相であったが、私はといえばそれなりに美味しく弁当をいただいてしまい、意外と図太い神経に我ながら呆れる。

 約二十年前の出来事である。この時はまさか、この数年後から現在に至るまでたーちゃんと同居を続けることになるとは夢にも思っていなかった。

 同い年の女子高校生同士だった私たちは、白銀のゲレンデの上で出会った。そう言うとちょっとロマンチックだが、その出会いは私のうっかりが招いた偶然の産物である。
 イベントは一泊二日。一度ホテルに寄ってから、前夜祭が行われるスキー場へと移動したのだが、あろうことか私はホテルに携帯電話を忘れた。そのため、別の知人と現地で落ち合う予定が当然連絡が取れず、しばらくホテルで同室だった子と一緒にいさせてもらうことになった。その同室だった子の友人が冒頭の彼女であり、現在の私の同居人だ。

 ゲレンデでは既にGACKTがスノーボードをしていたようだが、私たちは隅でひたすら雪だるま作成に励んだ。残念なことに、その場の誰もろくにウインタースポーツを習得していなかったからである。

 話している内、たーちゃんとはGACKT歴や、好きな雑誌、ファッションが一緒であり、ふたりとも同じサポートメンバーのファンでもあることが分かった。私たちを引き合わせてくれた同室の友人も「話が合うねえ」としきりに感心していた。

 そんな穏やか雰囲気をぶち破ったのはたーちゃんだった。彼女はにわかにそわそわしながら、ぽつりと呟く。

「○○…って知ってますか?」
「ちょちょちょちょ!」

 私は彼女の手を引いて、作成中だった雪だるまの下半身から引き剥がした。何故ならば、○○とは当時、私がひっそりと書いていたブログ的なもののタイトルである。脳の防衛本能なのか正式なタイトルが正直全く思い出せない。その時、言い当てられた私は当然パニックだったし、何故か言い当てた方のたーちゃんもパニックになっていた。

 のちに知ったが、たーちゃんも特に確信があった訳ではなかったらしく、

「気づいた時には聞いてた」


と話す。羞恥をえぐるタイプの通り魔の所作である。

 そんな出会いから約一年半後のことだ。半年に渡るGACKTの大型ツアーの開催が発表された。私は大学進学で上京を果たし、たーちゃんや同室だった友人と池袋に遊びに来ていた。GACKTが昔出演したメンズコスメのCMの話題で盛り上がっていた我々は、一様に色めき立つ。

 私は「近場の公演に行けたらいいな」とのん気な顔をしていたが、たーちゃんは違った。当時からインターネットの海を縦横無尽に泳いでいた彼女は、私が知らない情報を持っていた。たーちゃんはGACKTファンの先輩諸氏のライブレポートを読みまくり、「全国津々浦々、時間とお金が許す限りのライブに行く人々がいる」という事実を知っていたのである。

 同じライブに何度も行って良いんだということを知り、目から鱗が落ちた。私は言われるがままにスケジュールを献上していた。

 そもそも「一年ちょっと前に、はじめて会いました」という人と全国を回る決断ができたこと自体、人見知りの権化だった私が取るには奇妙な行動としか言いようがない。たぶんそれは、たーちゃんも同じだ。けれど、あの頃のわたしたちは奇妙とも気付かなかった。

 遠征先では夕飯はコンビニでもいいし、他の友だちと一緒の時は地方の名物を食べにいくのもいい。ふたりとも観光にあまり興味がないので、どこに行く行かないという話にはならない。でもせっかくだから駅で名物のアイスでも食べようか。自然な選択が心地いい。

 そして、本当にいつの間にか、たーちゃんと同居していた。

 
 気づけば、たーちゃんが家にいた。最初、私は「他人と一緒に住むとか一番無理」とあしらっていた筈なのだが、摩訶不思議な話である。

 大学生だった私は「趣味にうつつを抜かして単位を落とした」なんて絶対に思われたくない、と妙なプライドを抱いていた。一限の講義に出てライブに行って、翌日に夜行バスに乗って遠征して、また夜行バスで帰ってきてレポートを書いて講義に出て、などとやっていたら、体力がスライムくらいしかないばっかりに熱を出したりしたものの、なんとか二十数公演のライブと必要単位数の取得を両立させた。

 このとき「意外となんとかなりますやん」という既成事実ができたため、未だに行きたいライブを諦めるという感覚がない。

 ただ学生のころ、ゼミの合宿とイベントが被ってしまい、合宿を優先したことがある。参加は任意とされていたが、そんな前提はあってないような超絶上下社会。私は完全にゼミ内での体裁を守った形で合宿を取った。

 当時のGACKTは大河ドラマで演じていた上杉謙信に扮して、謙信ゆかりの地である上越市の祭りに出演していた。私とたーちゃんは、数年にわたりGACKT謙信を拝みに馳せ参じていたのだが、その年だけはたーちゃんと彼女のお母さんにすべてを託し、私はひとり某地に飛んだ。

 祭り当日、大勢の足軽の中に美しいGACKT謙信を認めた瞬間、たーちゃんは心の底から絶望したと言う。例年は甲冑姿で現れていた謙信が、その年は「狩衣かりぎぬ」と呼ばれる平安貴族の衣装を身にまとっていた。何を隠そう、私は狩衣のGACKT謙信がマジのガチで三度の飯より好きだ。当然それをたーちゃんは熟知している。

「今日に限って一番いいので出てきちゃった、どうしよう」


 と、たーちゃんは焦り散らかした。あの子に生で狩衣GACKTを見せてやりたかった……という世界一優しい理由で、彼女は絶望の淵に立っていたのである。
 その夜、遠く離れた地で精根尽き果てていた私に、メールで大量の写真が届いた。もうとにかく写真を撮りまくるしかないと、たーちゃんのミラーレス一眼カメラが唸りをあげていた。写真を見て、私はちょっと泣いた。

 その翌年は、私も無事に祭りに参加することができた。予定時刻になっても出陣行列が始まる気配がなく、

「きっと狩衣に着替えるのに時間がかかっているんだよ…!」

 と、たーちゃんははじめて聞く励まし方をしてくれた。後から聞いた話だが、GACKT謙信が狩衣姿で現れてくれるまで、まったく気が気でなかったらしい。

 ところで、正直に言ってしまうと、今でも体裁を気にした選択をしたことをほんのり悔やむ瞬間がある。時に好きなことばかりでなく自分を成長させる選択をすべきだったとか、それくらい我慢しろなどという正論があるだろう。非常に、しゃらくせえのである。

 二年目の狩衣にも存分に湧いたのだが、それでも一年目の衝撃を生で体感したかった。狩衣の色も違ったし。根に持つタイプにも程がある。ただ、たーちゃんが与えてくれた怒涛の写真たちのお陰で、沸き上がる衝動を後悔の範疇に収められている気がする。

 群馬の雪山で出会ってから二十年。同居を続ける私たちは、寝て起きた瞬間から「昨日のあれさぁ」と主語のない話をする。こういう時、99%はGACKTのことを言っており、互いにそれを承知している。ちょっと変な人生かもしれないなあと思う瞬間がある。

 ただ「あの時、ホテルに携帯を忘れなかったら」と想像すると背筋に悪寒が走るので、私はこの人生が相当に気に入っているんだなあと思う。どう考えても私は、この世の男性の中では一番GACKTが好きだし、この世の女性の中では一番たーちゃんが好きである。

 ただ今現在、かつてスライムだった体力が、ミジンコに降格している事実が我々を襲う。ライブのときに「胃が痛い」と唸るのは私のほうになった。年を取って繊細さが増した訳ではないだろうが、二十年という年月は、興奮しすぎて胃酸過多になるという謎の体質を私に授けた。たーちゃんも、遠征で疲れが溜まったときには謎の発疹が出る始末である。

 そろそろGACKTを見習って、本格的な体力づくりが必要だろうか。これからもツアーが発表されたとき、可能な限りのスケジュールを献上できる人生でありたいので。











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