『愛猫がくれた「魔法」の言葉 —— 捨て猫との20年が私をTEDxの舞台へ導くまで』第2話
『地獄の教室、唯一の逃げ場所は黒猫の背中だった』
あれから、十年の月日が流れた。
私の孤独を救ってくれたのは、掌に乗るほど小さな、真っ黒な命だった。
小学四年生、夏休みの最後の日。
母が営む美容室に、一人の常連客がやってきた。
手にしていたのは小さな紙袋。
中からのぞいたのは、生後二ヶ月ほどの黒猫だった。
「これ、捨ててきてって頼まれたんや。
庭で勝手に生まれたんやけど、うちの犬が追いかけ回すさかい」
短髪にパーマをあてた、中性的な彼女のことが、
私は少し苦手だった。
けれどその時ばかりは、恐怖を忘れて叫んでいた。
「やめて! 捨てないで!」
「あんた、お母さんと二人暮らしやろ?
お世話なんかできへんよ。
猫がおったら、毎年楽しみにしてる
ディズニーランドも旅行も
全部行けへんようになるんやで」
母の言葉に、私は食い気味に答えた。
「ディズニーランドなんていらない!
旅行も行かなくていい!
だから、うちの子にして!」
必死の訴えが実り、黒猫は「クロ」という名で
家族の一員になった。
私の毎日は一変した。
学校から帰ればクロに飯をやり、
リボンを追いかける姿に目を細める。
近くの神社で拾ったどんぐりで手作りのオモチャを作ったり、猫用の缶詰を味見してみたり猫砂を買う余裕なんてなかったから、
私は毎日、古新聞を細かくちぎってトイレを作った。
何より嬉しかったのは、話し相手ができたことだ。
当時のわが家は、お世辞にも温かい場所とは言えなかった。
自宅兼美容室の店内で、父と母は毎日激しい喧嘩を繰り返していた。
仕事もせずパチンコに明け暮れる父は、私が四年生になる頃にようやく離婚届を残して去っていった。
家庭に居場所はなかったが、学校にもまた
私の席はなかった。
きっかけは、些細なことだった。
前の冬、私がインフルエンザにかかった際、隣の席の男子が咳をしていたことを母に話した。
それが巡り巡って、母と担任の教師が電話越しに大喧嘩する事態に発展してしまったのだ。
病気が治り、登校した日の朝。
ホームルームで教壇の前に呼ばれた私は、耳を疑う言葉を突きつけられた。
「樫野さんとお話しすると、病気がうつるそうです。
皆さん、これからは樫野さんと一切喋らないでください」
先生は年齢40代後半のベテランの女性
人と違う事をする子供や自分の枠に入り切らない子供は大嫌いで、その部分でも実は私は嫌われていたのだと思う。
一瞬、凍りついた。
休み時間、遊びに誘ってくれた友達を、担任は厳しい口調で叱り飛ばした。
給食の時間は、私だけ壁際に机を離され、孤立した。
私の席の前には、私の「できないこと」を列挙した紙が貼り出された。
自分のダメな部分を毎日見せつけられるうちに、
九九が言えなくなり、左右の判断さえ怖くなった。
「そんなこともできないなら、支援級に行きなさい!」
怒鳴られるままに荷物をまとめ、校内の支援級に追いやられたこともあった。
どれだけ努力しても、世界は変わらなかった。
私は休み時間を図書室の隅で過ごし
夜になれば
「明日はいいことがある」
と星に呪文をかけた。
母は、母子家庭という世間の目を恐れ、私に休むことを許さなかった。
私が「もう学校に行きたくない!」
と泣いた日も、母は容赦しなかった。
その時は、なんで助けてくれないのだろう?と、
思う日もあった。
でも、その母も本当は私を助けるために試行錯誤していた。
そんな地獄のような日々の中で、クロだけが私の味方だった。
たった一人の友達で、守るべき家族だった。
二学期の終わり、図工の時間に事件は起きた。
絵本をテーマにした絵を描く授業。
私はマイペースに、物語の登場人物である魔女を描いた。
だが、クラスには毎年賞を取る「絵の上手な子」がいた。
他のクラスメイトたちは
こぞって彼女の構図を真似て描いていた。
掲示板に並んだ時、私の絵だけが異質だった。
「この子は頭がおかしいから、一人だけ絵が違うんだ」
担任はそう吐き捨て、母の休日に合わせて児童相談所のカウンセリングを勝手に予約した。
「家に帰れるなんて思うなよ」
下校際、背中に投げられたその言葉の冷たさを
今も鮮明に覚えている。
児童相談所での面談。
母と引き離された面談
不安で、私は何を問われても
「ごめんなさい」と謝り続けた。
けれど、相談所の先生は、私の絵に宿った「違和感」の正体を見抜いてくれた。
特定の生徒を模倣した集団の中で、自分自身の感性で描いたのは、私だけだったのだ。
結果として、校長に報告が入り、担任は厳重注意となった。
五年生になった春、私の目の前には、あの担任も、私を無視したクラスメイトもいない、新しい景色が広がっていた。
傍らには、喉を鳴らすクロがいた。


《第3話》
