アメリカで卵巣嚢腫の手術を受けた話【前編】
2年前、2024年の夏にニューヨークで卵巣嚢腫の手術を受けた。
私は決してフォロワーが何万人もいるような発信者ではない。それでも、この情報を必要としている誰か5人にでも届くのであれば、この経験を発信する意味はあると思っている。
実際、私自身も手術が決まってから、移住先のアメリカで同じ手術を受けた日本人のブログや体験談を何度も読んだ。そのおかげで「自分だけじゃない」と思うことができたし、手術当日までの不安も少し和らいだ。
だから今度は、自分の経験を残しておこうと思う。
※なお、これはあくまで私個人の体験であり、医療情報として正確性を保証するものではない。病院名や医師名についてはここでは伏せさせていただくが、もしどうしても知りたいという方がいれば、個別にご連絡いただければお伝えできる範囲でお答えしたい。
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今はIG集中月間につきストーリーを脳内垂れ流しのように更新しております。ニューヨークの生活などかなり見て頂けると思うので是非よろしくお願いいたします!
「病院に行かない」が最適解になりがちだったそれまでのアメリカ生活
私は18歳から単身アメリカで生活していたが、幸いそれまで大きな病気や怪我とはほとんど無縁だった。
(19歳の時に慣れない海外生活と環境の変化でストレスが重なり帯状疱疹になったことがあり、その時はさすがに病院へ行ったが、それを除けばアメリカで病院にかかった記憶はほとんどない。)
というより、そもそもアメリカで病院に行くこと自体が、なかなかの一大イベントなので、よほどのことがない限り「できれば行きたくない」と思っていた、という方が正しいかもしれない。
これはきっと、在米の方なら「分かる」と頷いてくださる方も多いのではないだろうか。
なぜならアメリカの医療制度は本当に複雑だからだ。
仕事が変われば保険が変わる。
保険が変われば、それまで診てもらっていた先生が突然「その保険では診られません」となり、また一から病院探しが始まる。
やっと予約が取れたと思ったら数週間先。
ようやく診てもらえたと思ったら、数週間後には「これは何の請求ですか?」という紙が届く。
そして今度は保険会社との電話バトルが始まる。
「これはカバーされるはずです」
「こちらでは対象外です」
「いや、もう一度確認してください」
「他の人に繋ぎます」→たらい回し→数日後また連絡して一から説明→たらい回し
正直病気より保険会社との電話の方が具合が悪くなりそうなのである… だから行かないで済むなら行きたくないが本音。まあ実際健康であれば、それでも何とかなる。
だから私も、毎年日本へ帰国するタイミングで健康診断を受けたり、気になることがあれば日本で診てもらったりして「まあこれでいいか」と何年も過ごしてきた。
そんな私が、まさかアメリカで手術を受けることになるとは、この時はまだ思ってもいなかった。
ことの発端:これは本当に生理痛なのか?
26歳頃から生理痛が少しずつ重くなってきた(手術を受けたのは30歳)。
毎月痛いことは痛い。
でも「年齢とともに体質が変わったのかな」くらいに思っていた。
ところが26歳のある日、それまでとは比べものにならない激痛に襲われた。
立っていられない。
お腹の中を内側からえぐられるような、ぎゅっと中の臓器を雑巾のように絞られているような感覚だった。
痛み止めを飲み、その場でしばらくしゃがみこんでいると落ち着いたため救急には行かなかったがそのくらいのレベルだった。
その直後に日本へ帰国する予定があったので、アメリカでは病院へ行かず、日本で婦人科を受診することにした。
卵巣嚢腫が見つかる
検査の結果、右の卵巣に卵巣嚢腫(いわゆるチョコレート嚢胞と呼ばれるやつ)と小さな筋腫も見つかった。卵巣嚢腫は特に20代〜30代の女性に多く見られるもので、ほとんどの場合が良性らしいが、大きくなると茎捻転や破裂を引き起こす可能性があるため、定期的な経過観察や適切な治療(薬物療法や手術)が重要と言われている。
当時、私の嚢腫は3cm程度。
MRIでも嚢腫が悪性ではないことが分かり「この大きさなら今すぐ手術をする必要はありません」と説明を受けた。
代わりに勧められたのが低用量ピルの服用だった。低用量ピルを服用することで卵巣を休ませることができ、その結果、嚢腫の進行を抑えられる可能性があると説明を受けた。もちろん完全に大きくなるのを防げるわけではなく、進行するスピードを緩やかにできるかもしれないというものだった。
少しずつ、でも確実に大きくなっていく嚢腫
ピルを飲むこと自体に全く抵抗はなかった。
もちろん、副作用やリスクについての説明も受けている。
しかし私はこれまで薬の副作用に悩まされた経験がほとんどなかった。
「10人に1人くらいに副作用が見られます」みたいな薬でも今までの人生では大抵その"9人側"だった。
だから今回も特に心配はしていなかった。
実際、生理痛はかなり軽くなった。これは本当にありがたかった。
しかし、身体のむくみが気になるようになり、その後、胸が締め付けられるような感覚が出るようになった。また、自分は頭痛持ちではないのに激しい頭痛に襲われることも増えた。
もちろん、それがピルの影響だったのかは今でも分からない。というのも帰国した際に詳しく検査も受けたが、特に異常は見つからなかった。
ピルの種類も変えてみたが、それでも「何となく調子が悪い」という感覚は消えなかった。
身体的な症状ももちろん気になったが、それ以上に「本当に自分の身体に合っているのだろうか」と毎日考えながら飲み続け、なのに不調を感じ続けることが、少しずつ精神的な負担になっていった。
それでも、嚢腫をこれ以上大きくしたくないし…
検査でも問題は見つからなかったし…
そんな気持ちとのせめぎ合いの中で、結局2年ほどは飲み続けたと思うがやはり不調が続いてしまい途中で飲むのをやめてしまった。
その間も日本へ帰国するたびに嚢腫の経過観察を続けていた。
4cm…
5cm…
残念ながら嚢腫は確実に大きくなっていた。
さらに約1年後、日本で診てもらうと嚢腫は6〜7cm近くまで大きくなっていた。
先生からは「このくらいのサイズになると手術を検討する時期です」と説明を受けた。
悪性だからではない。
怖いのは茎捻転や破裂だった。
「もし茎捻転を起こしたら、今まで経験した痛みとは比べものにならないくらい痛いですし緊急手術が必要になります」
そう言われた。(え、あれ以上があるんですか……緊急手術)
「すぐにニューヨークでも婦人科の先生を見つけて、ここからは半年に一度必ず診てもらってください」と言われた。
そこでようやく「年に一度、日本で診てもらえば大丈夫」という段階ではなくなったのだと実感した。
ニューヨークで婦人科を探す
信頼している日本人の先輩に相談し、日本人の婦人科の先生を紹介していただいた。
他にもいくつか病院を調べて診てもらったが、最終的にはその先生にお願いすることにした。
診察すると、嚢腫はさらに大きくなり確か 8cm 近くになっていた。
先生は「このサイズであれば私は取ることをおすすめします」と仰った。
もちろんリスクについても説明してくださった。手術をしない場合のリスク(嚢腫がこれ以上大きくなってしまった場合)も説明してくださった。
幸い、私の嚢腫はまだ腹腔鏡手術で対応できる大きさだった。腹腔鏡手術とはお腹に小さな穴を数箇所あけ、そこから専用のカメラや細長い手術器具を挿入して行う手術のこと。
それはつまりお腹を大きく切らずに済むし、回復も比較的早い。
でも正直手術と言われると怖い。出来ることならしたくはない。
子どもの頃に手術を受けたことはあったが、大人になってからは初めてだった。
でもこのまま嚢腫が大きくなれば、茎捻転や破裂の可能性はさらに高くなる。
つまり、手術を受けてもリスク、受けなくてもリスク。
だったら、まだ腹腔鏡でできる今のうちに受けた方がいいのではないか。
日本の信頼しているお医者さんや他の方の意見なども伺って、結局私は手術を受けることを決めた。
日本で受けるか、アメリカで受けるかを決める
最初、日本へ帰って手術を受けることも考えた。
当時勤めていた会社はアメリカの会社だったが、日本からリモートで働くこと自体は相談すれば可能だった。
ただ、日本で手術を受けるとなると数日間は入院になる。
さらに、日本からニューヨーク時間で働くとなると夜中から早朝勤務になる。
術後すぐに飛行機へ乗ることも現実的ではない。
そう考えると、数週間単位で日本へ滞在する必要があった。
仕事との兼ね合いを考えると、それは難しかった。
そしてもう一つ思ったことがある。
18歳からアメリカで生活し、気づけば十年以上。
これからもアメリカで生活していくのであれば、病気になった時も、手術を受ける時も、この国で向き合っていかなければならない。
それも含めて、アメリカで暮らすということなのかもしれない。
そう思い、いろんな不安はあったが結局ニューヨークで手術を受けることを決めた。
脳内でアリシアキーズの New York State of Mind が流れた(気がした)。
「手術を決めたら終わり」ではない(手術準備はもはやスタンプラリー)
手術を受けることを決めた。
正直、ここが一番大きな決断だと思っていた。
「よし、手術します。」
そう先生に伝えれば、あとは病院側がどんどん進めてくれるものだと勝手に思っていた。
めちゃくちゃ甘かった。やることが沢山あった。
まず先生から紹介状を書いていただき、
「では、このRadiology Centerで超音波を撮ってきてください。」
と言われる。
診察時にクリニックで超音波を撮ってはいたのだが、手術をするとなると専門のRadiology Centerで改めて検査を受け、その画像をもとに手術の計画を立てるのだという。
ここでまず、日本との違いを感じた。
日本で大きな病院にかかった経験がある方なら分かると思うが、診察を受けて「じゃあ今日は採血して帰ってください」「MRIも撮りましょう」と言われれば、同じ病院の中を移動するだけで一通り終わることが多い。
しかしアメリカは違う。
超音波は超音波専門の施設。
採血は採血専門の施設。
手術はまた別の病院。
それぞれ自分で予約を取り、それぞれで保険が使えるか確認し、それぞれへ自分で行く。
一つ終わるたびに「はい、次はこちらです」という感じで、まるでスタンプラリーのようだった。
一週間ほどしてようやくRadiology Centerの予約が取れ、超音波検査を受けた。
そのデータが先生のもとへ送られ、数日後、
「画像が届きました。では来週、手術について詳しくお話ししましょう。」
と連絡が来た。
再びクリニックへ向かい、今度は手術の説明を受ける。考えられるリスクや術後の経過、一つひとつ説明を受け、何枚もの同意書にサインをした。
普段診てくださっているのは日本人の先生がいるクリニックなのだが、実際の手術は提携している大きな病院で行われる。
でも執刀してくださる先生は、その日本人の先生。
日本ではあまり経験したことのないシステムだったので「違う病院なのに先生は同じ」というのが不思議な感覚だった。
ちなみにこの時点ではまだ手術日は決まっていない。
「いつ頃がご都合いいですか?」
という話をした後、先生が病院のオペ室の空き状況(?)と調整し、数日後に「この日で取れました。」という連絡が来る。
ようやく手術日が決まった。
……と思ったら、集合時間はまだ決まらない。
「午前中になると思いますが詳しい時間は数日前に連絡します」とのこと。
最終的に詳しい集合時間が分かったのは手術の5日か3日前くらいだったと記憶している。
直前まで分からなかったミステリアス手術費用
何より不安だったのがお金のことだった。
実は、この時点でも私が実際に支払う金額は分かっていなかった。
アメリカでは「この手術はいくら」という料金はあっても、自分が最終的にいくら負担するかは保険の内容によって全く違う。
かかりつけのクリニックへ聞いても「それは手術する病院か保険会社に確認してください」
病院へ聞くと「保険会社へ確認してください」
保険会社へ聞くと「病院から請求内容が来ないと確定できません」
まるで三者がきれいな三角形を描くように、お互いを紹介してくれるのである。
大体の費用は調べているので分かってはいたのだが結局正式な自己負担額を知るのは手術直前になった。
最後の準備、そして前日
そして手術の前日か前々日に採血へ行った。
もちろん、これも別の施設。
「病院へ行く」というより「複数の施設を巡るプロジェクト」を進めている感覚だった。
そんな慌ただしい準備を終え、いよいよ手術前日を迎える。
前日、手術を受ける病院から電話がかかってきた。
当日の流れ。
絶食を始める時間。
全身麻酔なので必ず迎えの人が必要なこと。
予想される自己負担額(ちなみにこの時点でもまだ「予想」である)
最後までアメリカらしい。
そして当日の病院の集合時間は朝6時。部活の朝練かと思う朝の早さ…!
電話を切った瞬間「本当に明日なんだ」と実感した。
もちろん怖さはあった。
手術そのものもそうだし、術後どうなるのかという不安もあった。
でも今覚えば一番得体の知れない恐怖を感じていたのは手術を行うためにする全身麻酔だったかもしれない…!
私はそれまで全身麻酔を経験したことがなかったのでなんとなく
「ちゃんと目が覚めるんだろうか…」
そんなことを考えてしまうくらいには、未知のものへの恐怖があった。
それでも、ここまで来たらやるっきゃない。やらなくてもリスクがあることなのでどこかで腹を括るしかない。
あとは先生を信じるしかない。
そんな気持ちで、いつもより少し早くベッドに入り、翌朝を迎えた。
後半へ続く!
