第8章|これからの時代、デザイナーと名乗るために
第7章|「手を動かすだけのデザイナー」の残酷な終焉からの続きです
「これからは全員が、あの肩書きを持たんと生き残れんのや」
ボスの言葉が、テーブルの上に重く響いた。手を動かすだけのデザイナーが終焉を迎える。その事実は、ようやくデザインソフトの操作に慣れてきたばかりの私にとって、まるで足元をすくわれるような響きを持っていた。
「ボス、Tanakaさん……。なんですかそれ、私にも教えてください。私たちがならなきゃいけない『もう一つの職業』って?」
私が身を乗り出して尋ねると、ボスはジンの入ったグラスをゆっくりとテーブルに置き、私の目を真っ直ぐに見た。
「それはな、Ochi。『アートディレクター』や」
「アートディレクター……」
私はその言葉を口の中で転がしてみた。
「名前だけは、もちろん知ってます。でも、それってすごく大きな広告代理店とかにいる、雲の上の偉い人たちの役職じゃないんですか?」
「まあ、世間一般のイメージやとそうかもしれんな。お洒落な服着て、会議室で腕組んで『これ、なんか違うよね』ってダメ出しするだけの人、みたいなな」
ボスは苦笑いしながら手を振った。
「でもな、アートディレクター(AD)ちゅうのは、名前は偉そうやけど、本質はそんな雲の上の大したもんやないんや。極めて泥臭い、現場の仕事やで。一言で言えば、『いろんな情報や材料の中から、クライアントの課題を解決するための最適な組み合わせや、ビジュアルの提案を考える人』のことや」
「映画の『美術監督』みたいなものね」
Tanakaさんが、スパークリングワインを一口飲んでから補足してくれた。
「自分ではトンカチを持って大道具を作ったり、ペンキを塗ったりはしないけれど、画面に映るすべての要素が『作品の目的に合っているか』を統括して責任を持つ人。それがアートディレクターよ」
「なるほど……。じゃあ、今の文脈で言えば、大道具を作ってくれるのがAIで、私たちは『どういう大道具を作れ』ってAIに指示出しできる人にならないといけない、ということですね」
「そうや。その通りや」
ボスは満足そうに頷いた。
「この前うちに来た、元WEBデザイナーの竹田くんおるやろ。あいつが一番苦労しとるんが、まさにそこや。あいつは『Photoshopでどう切り抜くか』『CSSでどうコードを書くか』っちゅう、大道具の作り方(オペレーション)ばっかり勉強してきた。せやから、いざTanakaに『誰のために、なぜこのレイアウトにしたのか説明しろ』ってディレクションの理由を問われた時、答えられんでフリーズしてしもうたんや」
「……あ」
私は、事務所の隅で頭を抱えていた竹田くんの姿を思い出した。彼に足りなかったのは、ソフトの技術ではなく、「何をどう作るべきか」というアートディレクションの視点だったのだ。
「いいか、Ochi。これからの時代、AIという超高速のオペレーターが、お前らの何百倍ものスピードで、何百枚ものレイアウト案やイラストを画面の上に出してくるようになる。お前らは自分で手を動かさんでよくなる代わりに、その何百枚もの案の束を前にして、即座に決断を下さなあかんのや」
ボスは、指を三本立ててみせた。
「一つ、そのデザインはクライアントの求める要件を完璧に満たしているか。二つ、そのビジュアルはターゲットに刺さる目的に合っているか。そして三つ……それがプロとして世に出すに足る、『美しい』ものかどうかや」
「……最初の頃に言っていた、『審美眼』の話に戻るんですね」
「せや。俺がさっき『審美眼がないとAIの嘘に気づけん』って言ったんは、まさにそういうことや。アートディレクターの仕事の9割は、その見極め(ジャッジ)なんやからな」
ボスはカクテルグラスの縁を指でなぞった。
「『なんとなく綺麗だからこれでいいや』って、AIの出してきた80点にそのままOKを出すような奴は、アートディレクターとは呼ばん。それはただの『AIの奴隷』や。そんな奴は、クライアントが直接AIを使い始めたら、真っ先にいらなくなる」
「……厳しいですね」
私は思わずため息をついた。
「厳しいかもしれんが、これが現実や。でもな、逆に言えば、お前らみたいな若いデザイナーにとっては、下積みの時間をすっ飛ばして、いきなりディレクションの最前線に立てる『最高のチャンス』でもあるんやで」
Tanakaさんが、珍しく優しいトーンで引き継いだ。
「そうね。昔なら、何年もレイアウトや切り抜きを徹夜でやって、やっとの思いでデザインの基礎を体で覚えてからじゃないと、ディレクターにはなれなかった。でも今は、その面倒な下積みをAIがショートカットしてくれる。私たちは最初から、『何をどう見せるか』という思考のプロセスだけに全力を注げるのよ」
「……なるほど。私たちが戦うべき土俵が、変わっただけなんですね」
私は、手にしていたフォークをゆっくりとお皿に置いた。AIに仕事を奪われると怯えていた自分が、いかに「手を動かすこと=自分の価値」だと勘違いしていたのかが、ようやくはっきりと理解できた。
「よっしゃ、分かってくれたらそれでええ、ところでみんな赤ワインでええか?」
ボスは明るい声を出して、店員さんに「すんません、赤ワインのボトルを一本」と追加のオーダーを通した。
「これからは、全員が『アートディレクター』や。自分の美意識に自信を持って、AIっちゅう優秀な部下をこき使ってやればええんや」
「はい!」
私は元気よく返事をした。不安という名のゴーストは、もう私の頭の中からすっかり姿を消していた。だが、ここでTanakaさんが、冷ややかな声でボソリと呟いた。
「でもボス。その『優秀な部下(AI)』をこき使うのって、実は私たちが思っている以上に、ものすごく骨の折れる作業じゃないですか?」
「ん? どういうことですか、Tanakaさん」
「あのAIたち、手は速いけど、決定的に欠けているものがあるのよ。……それがないと、結局私たちの思い通りの大道具は作ってくれないわ」
Tanakaさんの言葉に、ボスの顔にも苦笑いが浮かんだ。どうやら、AIをアシスタントとして使いこなすための道のりには、まだ私たちが乗り越えなければならない「別の壁」が存在するようだ。
第9章に続く
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text by Ochi (d-fractal)
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