第1章|「AIがデザインを奪う」というゴーストの正体
けたたましく鳴いていた蝉の声も、夜の帳(とばり)が下りる頃にはすっかり静まり返っていました。
7月下旬。私たちd-fractalは、初夏から立て続けに重なっていたいくつかの大きなプロジェクトを無事に納品し、落ち着いた頃合いで神楽坂にあるボス行きつけのレストランバー「シェルポ」で恒例の「夏の慰労会」を開くことになりました。
まずは冷えたビールと、夏の牡蠣、ここの牡蠣は、オーストラリアから直送してるので今が旬なんです。
結構大きいプロジェクトだったので重圧から解放された安心感も手伝って、私はいつもより少しだけピッチが早く、気持ちよく酔いが回っていた。
「いやあ、今年の夏もなんとか乗り切れそうねぇ」
私が空になったビールのグラスを傾けながらご機嫌に笑うと、向かいの席でスパークリングワインを飲んでいたTanakaさんが、呆れたようにため息をついた。
「Ochiさん、完全に出来上がってるわね。まだ乾杯して一時間たってないわよ」
「えへへ、いいじゃないですか、今日くらい。Tanakaさんももっと飲みましょうよ」
「私はマイペースで飲むから放っておいてちょうだい。……で、ボス。次の料理、頼んでもいいですか?『牡蠣と海老、ミニトマトと野菜のアヒージョ』って言うの気になるんですけど」
Tanakaさんが視線を向けると、隣の席で聞いたことない名前のカクテル飲んでいたボスが、
「おう、頼め頼め。もちろん今日は俺の奢りやからな」と上機嫌に頷いた。
美味しい料理と、頼もしい先輩たち。
この小さなデザイン事務所で働く日常は、私にとってとても心地よいものだ。けれど、こうしてアルコールが入って緊張の糸が緩んだせいか、私の心の奥底にずっとへばりついていた「ある不安」が、ふと顔を出した。
「……あの、ボス」
「ん? なんやOchi、もうワインいくか?」
「いえ、そうじゃなくて」
私は少し姿勢を正し、でも酔った勢いに任せて、ずっと聞きたかったことを切り出した。
「ボス。この前、事務所で『AIで私たちの仕事って無くなるんですか?』って、私聞いたじゃないですか」
「おう、聞いたな。あれはお前が……」
「ごめんなさい、私、あの時ちょっと仕事の合間に聞いてみただけだったんで、ボスのありがたいお話、半分くらいしか覚えてないんです(笑)」
私が「てへぺろ」と誤魔化すように舌を出すと、Tanakaさんの冷ややかな視線が私を射抜いた。
「……ちょっとOchiさん。自分のキャリアに関わるあんな大事な話を、聞き流してたの?」
どうやらTanakaさんもあの時聞き耳を立てていたようです。
「ち、違うんです! ちゃんと聞いてたつもりだったんですけど、最近またSNSを開くたびに、AIが作ったものすごい綺麗な画像とか、『これからはプロンプト一つでデザインができる』みたいな記事ばっかり流れてきて……。なんだか、ボスとの話なんだったっけ?みたいな」
私はしゅんとして俯いた。
実際、私のみてるSNSでも、AIの話題が出ない日はない。「あの仕事はもうAIに取って代わられる」「いや、まだ実用レベルじゃない」と、誰もが正体のわからない何かに怯え、ざわついている。
「だから……もう一回、ちゃんとボスの考えを聞きたいんです。AIは、私たちの仕事を奪うゴーストなんですか?」
私が真剣なトーンで尋ねると、ボスは手元のカクテルグラスをゆっくりとテーブルに置き、低く笑った。
「ゴースト、か。うまいこと言うな、Ochi」
「え?」
「人間が幽霊を怖いと思うのはなんでやと思う? それはな、『正体がわからん』からや。暗闇の中で何かが揺れてるから怖いんや。電気をつけて『ああ、なんやただの柳の木か』と分かれば、誰も怖がらへん」
ボスは取り皿にあったブルスケッタを一つ口に放り込み、私たちを真っ直ぐに見据えた。
「お前らがAIに怯えとるのも、それと全く同じや。AIが何者で、何ができて、何ができんのか。その『正体』を正確に言語化できてへんやつらが、漠然と『仕事を奪われるかもしれん』って怯えとるだけなんや」
「AIの、正体……」
「せや。俺から言わせれば、AIなんてただの『超優秀やけど、指示がないと動けん指示待ち新人アシスタント』に過ぎん。ただ、その新人があまりにも優秀すぎるから、今まで『手を動かすだけ』でメシを食うとった連中がパニックになっとるんや」
ボスはそこで言葉を切り、店員さんが運んできたアヒージョに目を向けた。
「いいか、お前ら。これはデザインの歴史を紐解けば、一発でわかる話や。俺らみたいな古い人間からすれば、この『テクノロジーに仕事を奪われる』っちゅうパニックは、今回が初めてやないんやで」
「初めてじゃない?」
私がオウム返しに尋ねると、Tanakaさんも興味深そうに身を乗り出してきた。
「そうや。昔な、Macが世に出て『DTP革命』が起きた時も、ボタン押すだけで綺麗に撮れるカメラが出た時も、業界中が『これで俺たちの仕事は終わりや!』って大騒ぎしたんや。……でも、結果はどうやった?」
ボスはニヤリと笑い、カクテルグラスを再び持ち上げた。
「幽霊の正体を知りたかったら、まずは過去の歴史の『答え合わせ』から始めようやないか」
text by Ochi (d-fractal)
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