第2章|カメラマン不要論と、失われなかった職業
第1章|「AIがデザインを奪う」というゴーストの正体からの続きです。
冷えたスパークリングワインと、ガーリックの香りが漂うアヒージョ。美味しい料理を囲みながら、ボスの「歴史の答え合わせ」が始まった。
「まああれや。AIに限らず、デザインの世界でも他の業界でも、これまで『新しいテクノロジーに仕事を奪われる!』っていう似たようなパニックは、何度も起こってきたんや」
ボスがそう言うと、向かいに座るTanakaさんが、少しだけ身を乗り出した。
「たとえば、どんな業界ですか?」
「そうやな……一番分かりやすいのは、カメラの世界やないかな」
「ああ、なるほど。分かります。カメラの世界のオート化(自動化)の歴史ですね」
二人が頷き合う中、カメラの歴史に疎い私は、グラスを両手で持ちながら首を傾げた。
「カメラ……ですか? 今のAIと、どう関係があるんですか?」
「まあ聞けや。1990年代の初め頃、カメラ業界にあるパラダイムシフトが起きたんや。いわゆる『高級コンパクトカメラ』っちゅうのが市場に出てきた頃やな」
ボスは、人差し指で宙に四角いカメラの形を描きながら説明してくれた。
「オートフォーカス(自動ピント合わせ)に自動露出。おまけにレンズも、下手な一眼レフ顔負けのええもんを奢っとる。だから、シャッターボタンをただ押すだけで、プロが撮ったみたいに恐ろしく綺麗な写真が出てくるようになったんや」
「でも、コンパクトカメラなんでしょ?あのちっこい」
「そうや。ただの小さなコンパクトカメラや。けどな、出てきた写真(絵)だけを見せられたら、それがプロの使う重たい一眼レフで撮ったのか、コンパクトで撮ったのか、パッと見では全く区別がつかんくらい性能が跳ね上がっとったんや。……言うたら、今の最新の一眼カメラと、iPhoneのカメラの違いみたいなもんやな」
「ああ、それはすごく分かりやすいです!」
私はポンと手を打った。
「確かに、今ってSNSの画面で見る分には、それがプロのカメラで撮られたのか、最新のiPhoneで撮られたのか、私たち素人には全然区別がつかないですもんね」
「せやろ? その『区別がつかん』という状況が、当時のカメラマンたちをパニックに陥れたんや」
ボスはそう言って、少しだけ真面目な顔つきになった。
「それまで、プロのカメラマンっちゅうのは、光の量を計算して、絞りをああして、シャッタースピードをこうして、現像液の温度を管理して……って、四苦八苦しながら職人技で写真を撮っとった。それが、素人でも『何も考えずシャッター押すだけ』で、ほぼ同じようなクオリティで撮れてしまう時代が来てしもうた。あの有名な写真家の荒木経惟(アラーキー)でさえ、当時の高級コンパクトを使ってみて『こりゃカメラマンいらなくなるね』と言ってしまったほど、強烈なパラダイムシフトやったんや」
私は息を呑んだ。
素人がボタン一つで、プロと区別がつかないものを生み出してしまう。それはまさに、今の私たちが恐れている「AI」の構図そのものだった。
「……それで、どうなったんですか?」
「うん。それで、カメラマンが不要になって絶滅したかというと……当然、そうはならんかったわな」
ボスはニヤリと笑った。
「むしろ、純粋に『芸術的センス』を持ったやつらが、一気に台頭してきたんや。機械の操作(技術)はカメラが全部やってくれるから、カメラの小難しい知識がない若い女の子でも、センス一つで勝負できるようになった。たとえば、荒木の秘蔵っ子と言われたHIROMIX(ヒロミックス)とかな」
「ああ! HIROMIXさんなら、私も名前だけは知っています。そんなにすごかったんですか?」
「まあ、すごいというか、当時の常識をぶっ壊した前衛的な表現やったな。プロのカメラマンには絶対に撮れんかった、日常の生々しいリアルをポンポン切り取っていったんや。そういう意味では、テクノロジーの自動化が『新しい表現の起爆剤』になったとも言える」
「そうなんですね……今度、その写真集見せてください」
「おう、事務所にあるから今度貸したるわ。でな、それはええとして。肝心なのは、あれから30年経った今、プロの『カメラマン』という商売はなくなっとるか? ってことや。そんなことないやろ」
「ですね」と、Tanakaさんが静かに頷いた。
「雑誌でも広告でも、プロのカメラマンは絶対に必要です。むしろ……」
「むしろ?」
「むしろ、露出やピント合わせみたいな『面倒な機械の操作』から解放された分、純粋に構図や光の読み方、被写体とのコミュニケーションのことだけを考えればよくなった。よりクリエイティブなことに全力を注げるようになったんじゃないですか」
Tanakaさんの言葉に、ボスは我が意を得たりと大きく頷いた。
「まさにその通りや! 昔はな、ポートレート(人物撮影)いうたら、マニュアルでモデルの『瞳』にギリギリのピントを合わせるんがプロの腕の見せ所やった。厳しい師匠になったら『瞳やない、まつ毛にピントを合わせるんや!』とか言うてな。もう、ちょっとでもモデルが動いたらアウトの、神業の世界や」
「すごいですね……。瞳なんだかまつ毛なんだか、どっちなのっていう感じですね(笑)」
「せやろ? でな、今やその神技も、最新のカメラなら『瞳AF機能』とやらで、カメラが勝手に目にピントを合わせ続けてくれる。誰でも絶対にピントを外さん。まさにテクノロジーの奇跡や」
ボスは、少しだけ皮肉っぽく笑い続けた。
「まあ、最初からその瞳AFしか知らん若いカメラマンにゃあ、その『ピントが合うことのありがたさ』も分からんやろうがなあれや、イニシャルDの高橋啓介のABS論と同じや」
「。。。は?何の話ですかボス」
「あいやすまんすまん(笑)なんでもないわ」
ボタン一つで、誰でもプロ並みの結果が出せるようになること。それは決して「プロの終焉」ではなく、「技術(操作)の民主化」に過ぎなかった。面倒な作業を機械に任せられるようになった分、人間はより「センス(何をどう撮るか)」を試される時代へと突入していったのだ。
「これと全く同じことが、今AIの世界で起きとるだけやねん」
神楽坂の夜は、まだ始まったばかりだった。
第3章に続く
第1章はこちら
text by Ochi (d-fractal)
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