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賄賂は生クリームたっぷりで。|WEBと紙の境界線で悩む青年と、うちの事務所の「お茶の時間」|デザインのあうんVol.2.2

こんにちは。d-fractalのデザイナー、Ochiです。

神楽坂のいつものカフェで、WEBの世界に疲れたという青年・竹田くんから、「事務所を見学させてほしい」と相談を受けた日の午後。私は、手提げ袋の中で揺れる「自家製シュークリーム」の甘い匂いと一緒に、少しだけ心臓をドキドキさせながら、事務所のドアを開けました。

■ 遅めの帰還と、甘い賄賂


「……ただいま戻りました」

そーっとドアを開けると、事務所はいつも通りの静かな空気に包まれていました。Tanakaさんはモニターの前に張り付き、ものすごいスピードでショートカットキーを叩いています。そして、奥のデスクでは、ボスがコーヒー片手に何やら資料を眺めていました。

「おお、Ochiか。おかえり」

ボスが顔を上げ、ニヤリと笑いました。

「今日は暇やからゆっくりしてきてええとは言うたが、ずいぶんのんびりした昼休みやったな(笑)。お前、さてはどっかで美味しいもんでも食べとったな?」

「えへへ……。実は、カフェのアルバイトの今井くんと話が弾んじゃって」

私は、背中に隠していた手提げ袋を、そっとボスのデスクに置きました。

「これ、いつものカフェで買ってきた自家製シュークリームです。ボスの好きな、生クリームたっぷりのやつですよ。Tanakaさんも、お茶にしませんか?」

「お、シュークリームか! 気が利くなあ」

ボスの声のトーンが、一段階上がりました。作戦、第一段階クリアです。

「Ochiさん、なんか魂胆がある顔してますね」

Tanakaさんが、モニターから視線を外さずに、冷たい声でツッコミを入れます。相変わらず、鋭い。

「こ、魂胆だなんて、人聞きの悪い!……まあ、お茶淹れるので、ちょっとだけ私の話、聞いてもらえませんか?」

■ WEBから逃げ出してきた青年


私は、買ってきたばかりのシュークリームを皿に取り分けながら、カフェで起きた出来事を二人に話し始めました。

店でいきなり背後から突然声をかけられたこと。彼がWEBデザイナーで、毎日の更新作業や、一瞬で消費されていくデジタルの仕事に虚無感を抱いていること。そして、「紙のデザイン」という、手に取れる物質を作る仕事に強い憧れを持っていること。

「……というわけで、その竹田くんっていう青年が、うちの事務所を見学させてほしいって言ってきたんです。今、休職中らしくて、時間はいつでも大丈夫みたいで」

私が話し終えると、ボスはシュークリームを豪快に一口かじり、口の周りに少し粉をつけながら、面白そうに頷きました。

「なるほどな。デジタルの海で溺れかけて、俺らみたいなアナログな島に流れ着いたっちゅうわけやな、まあうちも紙だけいうわけでもないが」

「はい。なんだか、すごく切羽詰まった顔をしていて……。無下には断れなかったんです」

「ふーん」

Tanakaさんが、コーヒーをすすりながら、静かに会話に加わりました。

「WEBから紙への転職希望、ね。よくある話といえばよくある話ですけど……Ochiさん、分かってます? 彼が憧れてる『紙のデザイン』って、そんなにロマンチックなものじゃないですよ」

■ 紙の泥臭さと、デジタルの軽さ


Tanakaさんは、いつになく真剣なトーンで語り始めました。

「WEBは確かに、スクロールされれば終わりの、実体のない仕事かもしれない。でも、修正は一瞬でできるし、PDCA(改善のサイクル)も高速で回せる。それはそれで、すごい技術の世界よ。でも、紙は違うわ。一度印刷してしまったら、もう後戻りできない。誤字脱字一つで、何十万、何百万っていう損害が出る、恐ろしい世界よ。インクの沈み具合や、紙の繊維の向きまで計算しなきゃいけない、ものすごく泥臭くて、フィジカルな仕事」

Tanakaさんは、手元のゲラ刷り(校正紙)を指で弾きました。

「彼は、その『紙の重さ(責任)』を分かった上で、ここに来たいと言ってるのかしら。それとも、ただ今の仕事から逃げたいだけ?」

「うっ……」

私は言葉に詰まりました。確かに、竹田くんの目には「紙への憧れ」しかなかったかもしれません。

「まあまあ、Tanaka。そう硬いこと言うなや」

ボスが、シュークリームをほおばりながら、助け船を出してくれました。

「逃げでもええやんけ。何かに行き詰まって、別の場所を見てみたいと思うのは、若者の特権やろ。俺かて、最初はただ『DTPってカッコええやん』くらいのアホな動機でこの世界に入ったんやしな」

「ボスと彼を一緒にしないでください。レベルが違います」

Tanakaさんがピシャリと切って捨てます。

「それにやな」

ボスは、シュークリームのクリームをペロリと舐めとって、目を細めました。

「WEBの技術を持っとる人間が、紙の泥臭さを知ったら、化けるかもしれんで。今の時代、紙だけ、WEBだけ、言うて壁作っとる方が時代遅れや。両方の苦しみと面白さを知っとるハイブリッドなデザイナーは、これからの時代、絶対に武器になる」

■ 新しい風の予感


「……じゃあ、ボス。彼を、事務所に呼んでもいいですか?」

私は、恐る恐る尋ねました。

「ええで。いっぺん、ツラ見てみようやないか」

ボスは、あっさりと了承してくれました。

「ただし、お茶出しと案内は、Ochi、お前が責任持ってやれよ。俺はまあ顔出すけどナビゲーターはお前やで」

「ありがとうございます!」

私は、ホッと胸を撫で下ろしました。

Tanakaさんは「やれやれ」という顔でため息をつきましたが、それでも、残っていたシュークリームを小さく一口かじり、「まあ、見学くらいなら」と、不承不承といった感じで呟きました。

「よかった。じゃあ、彼に連絡しておきますね」

こうして、d-fractalという小さな事務所に、WEBの世界からやってきた「迷える青年」を迎えることが決まりました。
彼が、私たちの泥臭い現場を見て、何を感じるのか。そして、この手土産のシュークリームのように、少しは彼に「甘い(優しい)」時間を提供できるのか。それはまだ分かりませんが、なんだか事務所に新しい風が吹き込むような気がして、私は少しだけ、ワクワクしていたのでした。

text by Ochi (d-fractal)

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