第7章|「手を動かすだけのデザイナー」の残酷な終焉
第6章|「審美眼」なき者は、AIの嘘に気づけないからの続きです
「審美眼がなければ、AIの嘘に気づけない」ボスの放った痛烈な言葉の余韻が、テーブルの上に静かに降り積もっていた。ボスのグラスで、No.3のジンに浮かんだ氷がカランと小さな音を立てる。その音を合図にするように、Tanakaさんがスパークリングワインのグラスを置き、静かに口を開いた。
「するとですね。ボスのその審美眼の説からすると……自分の中に美意識(審美眼)がなく、ただIllustratorやPhotoshopといった『ソフトを使うのが上手いだけ』のデザイナーは、もう生き残れないということですか?」
「うん。そうやな。冷たいようやけど、厳しい話になるが」
ボスが短く肯定した瞬間
「ええっ!?」
私は思わず、手にしていたフォークを落としそうになった。
「ボス、さっき『AIに仕事は奪われない』って言ったじゃないですか! やっぱり、私たちの仕事は無くなるんですか?」
「まあ落ち着け、Ochi(笑)」
慌てる私を、ボスは片手でひらひらと制した。
「一口に『デザイナー』言うても、色々おるんや。クライアントに言われた通りの配置で綺麗に仕上げるだけの『オペレーター』と、課題を見つけてゼロからディレクションと提案をする『デザイナー』とや。……Ochi、お前、うちの事務所でやってるのは単なるオペレーションか?」
「えっと……」
私は日々の業務を思い返した。
「いえ。クライアントと一緒に『そもそもどういう見せ方がいいか』を考えたり、こちらから『この文脈ならこっちの写真の方が刺さりますよ』って提案したりすることの方が多いですね」
「そういうこっちゃ」
ボスは頷いた。
「やからな、クライアントの言う通りにしかレイアウトを組まんようなところは、近い将来、お客がAIを使って自分とこで『それっぽいもの』を作れるようになる。」
「でも、ボス」
Tanakaさんが、少し眉をひそめて会話に割って入った。
「最近、SNSの同業者の間でよく聞く愚痴があるんです。クライアントが自分でAIを使って生成した画像や大雑把なレイアウトを持ち込んできて、『はい、これと同じ通りに綺麗に作ってデータにして』っていう依頼が増えているらしいんですよ」
「ああ、そうらしいな。俺も耳に挟んどる」
「それって、結局クライアントがAIの出力したものの『尻拭い(清書)』をさせられているだけで、デザイナーとしての提案も何もないじゃないですか」
Tanakaさんの声には、プロとしての明確な怒りが混じっていた。
しかし、ボスは涼しい顔でジンのグラスを傾けた。
「Tanaka、それはもう『デザイナーの仕事』やないんや。昔で言うところの『版下屋(はんしたや)』の仕事に近いな」
「ああなるほど、確かに版下屋ですね、まあ版下屋さんを卑下するわけじゃないですけど」
「版下屋……?」
聞き慣れない言葉に、私は首を傾げた。
「なんですか、それ」
「ああ、Ochiはデジタル出身やから知らんか。昔はな、デザイナーが今みたいにイラレやらインデザインで直接印刷データを作るんやなしにな。『指定紙』いう紙に、ミリ単位で『ここは明朝体の何ポイント』『写真はここから何ミリ空ける』って細かくデザインの設計図(指示)を書き込むんや。それを印刷所に渡すと、その指示通りに文字を切り貼りして印刷の原版になる『版下』に組み立ててくれる職人さんたちがおった。それが版下屋さんや」
「へえー……。デザインを考える人と、実際に手を動かして組み立てる人が、完全に分業されてたんですね。なんだか全然イメージ湧かないですけど」
「ああ、その指定紙の実物、事務所の資料の奥に確かまだ残っとるはずやから、時間のある時に見せたろ。……まあ、それはええとしてな」
ボスは、私たち二人を交互に見つめた。
「俺はな、今のこのAIの波を見てると、むしろ『昔のデザイナーは、純粋にデザイン(思考)のことだけ考えたらええ時代やった』という、あのアナログのデザイナー黄金時代に戻った気がするねん」
「あ……」
Tanakaさんが、ハッとしたように顔を上げた。
「それは、私はその時代を実際に経験したわけじゃないですけど。つまり、AIが『版下屋さん』の代わりになってくれるということですか?」
「まあちょっと違うけどな、つまり手間かかることはAIにやってもらって、もっとクリエイティブに我々は頭使えるいうことかな」
「あ、そうですよね、どっちにしても入稿データは今はデザイナーが作らなきゃいけませんからね
「イメージ的な話や、MacとDTPが普及したせいで、デザイナーは『考える仕事』と『手を動かしてデータを作る仕事』の両方を一人でやらなあかんようになった。でもな、AIが面倒な背景の切り抜きやら、バリエーションの大量生成やらを数秒でやってくれるようになるなら、俺らはDTP以前の昔みたいにもっとクリエイティブなこと考えればええだけの話になるわけや」
Tanakaさんの問いかけで、私も、ようやくボスの言わんとしているロジックが繋がってきた。
「要するに、私たちみたいな『提案型』の事務所にとっては、手を動かす作業をAIに任せることで、クライアントと一緒に『本質的なことを考える時間』が増える。だから、デメリットよりもメリットの方が多いってことですね!」
「せや。俺らからすれば、AIは脅威でもなんでもない。ただのめっちゃ手が速くて文句も言わん『デキる版下屋さん』が帰ってきただけや」
ボスは笑いながら、目の前の牡蠣の殻をフォークで軽く叩いた。手を動かすだけの単純作業は、機械がやる。それはつまり、「ソフトの操作が速い」とか「綺麗に切り抜ける」といったオペレーターとしてのスキルが、デザイナーの価値として通用しなくなる残酷な時代の幕開けでもある。
「……ということは」
Tanakaさんが、静かに結論を口にした。
「手を動かすだけのデザイナーが終焉を迎えるなら、これから先、生き残るために私たち全員がならなければいけない『職業』は、もう一つしかないってことですね」
「そうや。もう『俺はデザイナーや』なんて甘いこと言うとる時代やない。これからは全員が、あの肩書きを持たんと生き残れんのや」
ボスの言葉は、冷房の効いたレストランバーの空気を、少しだけピリッと引き締めた。これから私たち全員がならなければいけないもの、それは。。。
第8章に続く
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text by Ochi (d-fractal)
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