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長生きを寿ぐ時代は終わった

介護保険が始まった2000年(平成12年)の頃のことです。
当時、100歳を迎えると内閣総理大臣から純銀の銀杯が贈られていました。
訪問先では、普段はしまってあるその銀杯を、嬉しそうに取り出して見せてくださる方がいました。
その様子から、長く生きてきたことを静かに誇りに思う気持ちが、そっと伝わってきたのを覚えています。


あれから年月が経ち、銀杯は銀メッキへと変更されました。
100歳の方が増えたこと、そして「費用の無駄遣いではないか」という声が上がったことが理由だと言われています。
制度そのものが見直されるほど、長寿の“特別さ”は変化してきたのでしょう。

古希という言葉が生まれたのは、70歳まで生きることが稀だった時代です。
それを思うと、今の100歳は、かつての70歳ほどの希少価値しか持たなくなっているのかもしれません。
もしかすると、長生きを寿ぐ文化そのものが、時代とともに静かに形を変えているのだと思います。


2000年頃の訪問先には、天皇・皇后両陛下(現在の上皇・上皇后両陛下、または昭和天皇と皇后陛下)の写真を飾っているご家庭が少なくありませんでした。
戦後を生き抜き、国の復興に尽くしてきた世代にとって、長寿のお祝いは人生の節目であり、誇りでもあったのでしょう。

けれど今では、「老害」という言葉が当たり前のように使われる場面もあります。
高齢者への手厚い保障は若い世代の負担でもあり、その構図が、高齢者を素直に敬う気持ちを押し流してしまっているように感じます。
介護の現場でも、その空気の変化を肌で感じることが増えました。

病院では、たくさんの管につながれ、胃ろうで栄養を受けながら長い時間を過ごす方が少なくありません。
それがご本人にとって本当に望ましい生き方なのか――現場にいると、そんな問いがふと胸に浮かびます。
「長く生きること」の意味が、以前よりもずっと複雑になってきたと感じます。

ひとつだけ確かに言えるのは、
かつて国を挙げて長生きを寿いでいた時代は、終わったということです。

その変化を身近に感じられるのは、介護の現場で働く私たちだからこそなのかもしれません。


現場で出会った、もっと率直な話は、メンバーシップ「心の控室」に置いています。定期的に、新しい話を加えています。

支援する皆さんにとって、そっと開ける場所になれたら。

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