話し合えたはずの時間
私はケアマネジャーとして、
多くの方の「人生の最期」に関わってきました。
その中で、強く感じていることがあります。
元気なうちにしか、話し合えないことがあるということです。
延命をどう考えるのか。
どこまで医療を望むのか。
本人が言葉にできるうちにしか、決められないことがあります。
だから私は、折に触れてご家族にお伝えしています。
「かしこまった話じゃなくていいんです。
ごはん食べながらでもいいので、
『もしものとき、どうしたい?』って、聞き合ってみてください」と。
あるご家族にも、同じようにお伝えしたことがありました。
そのとき、奥さんは少し困ったように笑って、こうおっしゃいました。
「うちのお父さんは、まだまだ先の話よ~」
しばらくして、男性は倒れました。
意思を伝えることができなくなりました。
医師からは、胃ろうの説明がありました。
選ばなければならない場面で、
奥さんとお子さんたちは立ち止まってしまいました。
男性が何を望んでいたのかが、わからないのです。
やがて転院が決まり、
ご家族は私にこうおっしゃいました。
「ケアマネさんが言っていたこと、今ならわかります。
こういうことだったんですね」
この仕事をしていると、
「そのとき」になって初めて意味が分かる言葉があることを、何度も見てきました。
けれど、そのときにはもう、確かめることができません。
だからこそ、と思います。
話し合える時間は、
思っているよりも長くはないのかもしれません。
私は、あのときのご家族に、
もう一度だけ同じことをお伝えしたいと思っています。
「いま、話し合ってみてください」と。
この言葉が、
必要な方に届けばと思います。
