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「門徒総代として 前住職のお葬式」能登半島地震後という日常・№58(2024/6/1~5)


5ヶ月間綴ってきた

2024年1月1日の能登半島地震発災以来,自分の日記をつけるつもりで書いてきたこのブログ(2025年3月からnoteで再編集)。

わたし自身の備忘録だけなら,日記ソフトにでも書き込めば済むことですが,少しでもわたしの安否を案じている友人たち,仮説実験授業研究会仲間たち,そして地震災害に興味のある方々のためになればと,ブログ(noteで再編集)という公開の場で発言をしてきました。

当初から「自宅が通水したら,地震後の生活について〈毎日書くこと〉はやめよう」と決めていたので,水道がとおった5月中旬以降からは,震災関連ではないものも書いています(note「能登半島地震後という日常シリーズ」は震災関連のみです)。

しかし中には,直接地震には関係ないものの,「震災にあったからこそ巡ってきた仕事」なんかもあるので,それもまた震災の影響といえるかもしれません。

門徒総代

地震後,わたしが引き受けた大きな仕事の一つが,お寺の門徒総代(責任役員)の仕事です。
これまで長い間お寺の門徒をまとめてくださっていた方の自宅が被災して,しばらく加賀の方に避難することになったことをきっかけに,
「役を交代しよう,できるなら一気に若返らせよう」
という話になり,旧役員一致の下で,わたしにその役目が回ってきたのです。

前住職ご浄土へ

そんな中,6月1日に,1ヶ月前から入院していた前住職さんがお亡くなりになり,浄土へと旅立たれました。
わたしは,右も左も分からない中,前住職をお見送りするためのお世話をすることになりました。

亡くなられた日から,前坊守さんと一緒に葬儀の日取りの相談から,わたしも参加しました。まるで,身内の葬儀のような関わり方です。

お寺さんのお葬式というのは,どうもわれわれ門徒衆のお葬式といってもいいようです。門徒があっての住職…ということなのでしょうね。

まさに,わたしには当事者意識が求められたわけです。

翌日2日には,集まった門徒メンバーで,ゲスト住職さんたち――通夜やお葬式で一緒に勤行をして下さるお坊さん方――の控え室から本堂のある建物までの渡り廊下を作りました。門徒には大工さんが何名かいるので,やろうと決めてからできるまでが,はやいはやい。

この柱の上にコンパネを固定し,5mの絨毯を引いて臨時廊下のできあがり

ここからは,文章表現を〈常体〉に戻します→戻す。

久しぶりの強い地震

3日朝6時半ごろ愛犬チョコとの散歩中,久しぶりに大きな揺れが来た。耳慣れたいやな携帯音と共に。
わたしは外にいたので冷静に周りを見渡してみたが,家が揺れるほどではなかった。このあたりの震度は,震度4~5弱くらいか。
これくらいは大丈夫だろうと判断して,家に戻らずに,そのまま散歩を続け,7時過ぎに帰宅。

自宅の被害状況は…
・本棚の上の置物が落ちた
・一番小さな本棚が移動した
くらいなもの。

でも,防災無線では「震度5強」と言っていたので,これまでの地震で傾いている家屋の倒壊が心配だ。
幸い,うちの周りの家は大丈夫な様子。
この地震,いつまで続くんだろう。
もう,いい加減にしてほしい。
八つ当たりさえできない,この状況。

昨日,きれいに掃除したお寺の本堂は,内側の漆喰の土壁がパラパラと落ちてきて,また掃除のやり直しだ。

お願いだから,5日の葬儀が終わるまでは,もう揺れないでおくれ。

お葬式無事終了

前住職のお葬式を済ませることができてホッとした。

右も左も分からない中で,初めて葬儀委員長を務めて…まさに右往左往している間に時間が過ぎていった感じだ。

今回の葬儀を通して,いろいろな方との出会いがあった。これこそ浄土真宗のいう「縁」というものなのだろうな。知らんけど(^^;)

とにかく,いろいろな係を積極的に引き受けてくださった門徒のみなさんに感謝の気持ちでいっぱいだ。

勤行ごんぎょうに来られたのほかの寺の住職さんからは
「こんなに門徒さんたちが一生懸命動くのは珍しい。素敵です。」
と言って頂いた。
もちろん,お世辞という気持ちもあるかもしれないが,ここは,素直に喜んでおくことにしよう。

この門徒総代という役職。
今後,わたしの生活の中で大きな位置を占めていく仕事の一つだと覚悟している。


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