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【#創作大賞2026 #お仕事小説部門】バックヤード!!<2-4>


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NO.2:ラピスブルーは眠らない #04

 五十嵐さんがバックヤードに入ってきたのと、チークを拾い終えたタイミングが同時だった。

「さっきリリが飛び出していったけど、なんかあったん?」
「あ、まあちょっと……」

 私は苦笑いを浮かべながら、お茶を濁す。ちょっとした口論になったことは伏せて、モモちゃんの方を見ると「はい、大丈夫です。ちょっと商品が崩れたんで、直していました」と、怒りを鎮めたトーンで答えている。張り詰めた空気の残骸を察してか、五十嵐さんはそれ以上深く追及してこなかった。

 その時、バックヤードに置いている電話がけたたましく鳴った。この着信音は内線だ。すかさず五十嵐さんが受話器を上げる。

「はい、ラピスアークです。……え?」

 五十嵐さんの表情がみるみるうちに険しくなり、その目は驚愕に見開かれた。私とモモちゃんは顔を見合わせて、何が起こったのだろうと不安になる。

「はい、はい、申し訳ございません……すぐに向かわせますので」

 そう言って受話器を置く五十嵐さん。受話器を戻す力がコントロールできていないのか、動揺したかのように「ガチャン!」と音を立てた。普段は冷静沈着な五十嵐さんが、明らかにうろたえている。

「テナントビルの管理センターから、一階の入り口にものすごい数の人が並んでるって。警備員がお客様に訊いたら、ラピスアークのコスメ目当てやって……」

 五十嵐さんが「想定してなかった」とこめかみを強く押さえている。

「え……? まだ開店三十分前ですし、セールの時期でもないのに……」
「管理センターの人、完全にキレてたわ。通行の邪魔だから早く誘導しろって……。うちの店、6階やで? 地上の入り口からぐるりとビルを一周回って列が伸び始めてるって、一体どういうことや……」

 服の新作発売日でこんな行列ができるわけがない。

「……アルカナ目当てのお客様がそんなに……」

 私が呟いた、その瞬間だった。
 バン! と勢いよくバックヤードの扉が開く。

「はぁ、はぁ、……っ、戻り、ました……っ!」

 扉を乱暴に押し開けて、さっき飛び出していったはずのリリちゃんが立っていた。
 その姿に、私は思わず目を見張った。
 いつもはお人形みたいに綺麗に巻かれているお気に入りの髪が、完全にボサボサに乱れて顔に張り付いている。額や首筋からは大粒の汗が次から次へと流れ落ち、ばっちり決めていたはずのメイクが崩れるのも構わず、彼女は荒い呼吸を繰り返していた。ヒールのある靴で、一体どこへ行っていたのだろう。
 普段なら「崩れた自分」を誰よりも嫌がるはずのリリちゃんが、今は自分の見た目なんて一ミリも気にしていない。それほどの異常事態を彼女の姿で感じ取れた。
 肩で息する彼女のその手には、白く発光するスマホが握りしめられていた。

「リリちゃん……?」

 モモちゃんが呆然と声を漏らす。リリちゃんはモモちゃんの視線を避けるように、でも、強い足取りで私とモモちゃん、そして五十嵐さんの間へ突っ込んできた。

「……五十嵐さん、木村さん、あおいさん、これ見てください! 頭冷やそうと従業員出口から外へ出てスマホ見たら、SNSが大変なことになってるんです!」

 リリちゃんは乱れた前髪を、落ち着かない手で手荒に掻きあげながら、スマホの画面を私たちに差し出す。とあるSNSが開いていて、目まぐるしく更新されるタイムラインが表示されていた。

『ラピスアークのコスメをゲットするために天宝寺MINA並んでいます!』
『インフルエンサーの〇〇ちゃんが、ラピスアークのコスメ紹介してたから絶対欲しい!』
『今から1階に並ぶ! めちゃくちゃ欲しいよー。待機列すごいことになってる!』

「……バズ、ってる……?」

 モモちゃんの声が震える。

「バズってるなんてレベルとちゃいます! 拡散のされ方が異常です! ネットじゃもう転売ヤーの作戦会議まで始まってますよ!」

 リリちゃんは、さっきまでのヘラヘラした態度を完全に消し去っていた。一人の女子大生として、SNSに詳しく、そしてその恐ろしさを誰よりも知っている彼女の瞳は、『情報のプロ』のものだった。
「間違いなく待機列は、ラピスアークです! あたし、さっき下まで見に行ってきたんです。そしたら、うちのターゲット層じゃない、明らかに転売目的の男たちのグループが、スマホ片手に列の先頭に陣取ってました。このまま普通に開店したら什器がなぎ倒されるし、初夏の新作ワンピースのラックだってぐちゃぐちゃにされます! お目当て商品のためなら、あの人たち手段を選ばないですから!」

 リリちゃんは一気にまくしたてる。

「五十嵐さん、手の空いてるスタッフ全員集めて、今すぐ一階の誘導に回せませんか? 木村さん、このコスメはコラボ品やから、転売対策も含めて、一商品につき、おひとり様二個までの個数制限に今すぐ変えた方がいいと思います。売り場に並べるのは危険すぎるんで、あおいさんの用意したカゴから直接商品をお渡しするほうが混乱を防げるはずです」

 それは、的確すぎるリリちゃんの「作戦」だった。
 さっき「アホみたい」と切り捨てたラピスアークという場所を、そして『アルカナ』というブランドの価値を、リリちゃんもまた、プライドを持って守ろうとしている。

「……っ」

 モモちゃんが、息を呑んだ。
 さっきリリちゃんの胸ぐらを掴まんばかりに怒ったモモちゃん。でも、彼女の目は迷っていないように見えた。リリちゃんの言葉を、その奥にある必死さを、モモちゃんは即座に信じたのだと思う。

「……わかった! リリちゃん、情報ありがとう!」

 モモちゃんは力強く頷くと、すぐバックヤードを出ていった。さっきまでのやつれた顔はどこへやら、リーダーとしての凛とした表情で。

「仁科さん! 出勤してるスタッフ全員、一回フロアの中心に集めてください! 緊急ミーティング!」

 バックヤードの扉の向こうから、モモちゃんのよく通る声が響いてくる。彼女の声が、一瞬で売り場の空気を戦闘モードに変えていく。

「開店と同時に、アルカナ目当てのお客様が殺到します! 仁科さんは今すぐ一階の最後尾の誘導へ向かってください! 他のフリーのスタッフは周辺の警備と列の整理! 商品は完全個数制限、おひとり様二個までです!」

 テキパキと指示を飛ばすモモちゃんの声に、フロアのスタッフたちから「はい!」と張り詰めた返事が響くのが、壁越しにもビリビリと伝わってきた。

「リリちゃん」

 フロアへ飛び出そうとするリリちゃんの背中に、私は声をかけた。

「カゴ、今度は両手で持ってな」
「……言われなくても、わかってます!」

 少しだけ口を尖らせて、でも嬉しそうに微笑んだリリちゃんが、今度は前を向いてバックヤードを飛び出していく。

「あおいさん、カセットの準備できたらすぐ売り場に持ってきて!」

 開け放たれた扉の向こうから、モモちゃんが私を呼ぶ声が響く。

 「了解!」

 私もバックヤードに響く声で応じ、頬をパチンと叩いて、軍手をはめ直した。

「すごかったな……」
「あおいさん、私魂抜けそう……」

 お昼過ぎ。モモちゃんが、文字通り魂の抜けたような、張りのない声で呟いた。
 アルカナの在庫分は、即完売。購入できなかったお客様には、後日の入荷予約のための伝票を書いてもらい、お待たせするかたちにはなってしまったが、お客様からの不平不満はほぼなかったと思う。
 転売ヤーらしき男性たちは販売個数制限に文句を言っていたが、五十嵐さんの「申し訳ございません」の威圧感で小さくなっていた。
 待機列もリリちゃんの案内や、仁科さんや他のスタッフの誘導で大きな混乱にはならなかった。
 私のカセット作戦も、最初はどれだけ捌けるか不安だったけれど、途中から遅番のミオちゃんが助っ人に入ってくれて、倉庫のストックを乱すことなく捌くことができた。

「あんたたち、本当にお疲れ様。モモ、完璧な仕切りやったわ。あおいのカセットも大活躍やったな」

 五十嵐さんが、やりきった笑顔で冷たいペットボトルのお茶が入った袋を私たちに差し入れた。

「ありがとうございます……。でも、リリちゃんが戻ってきてくれなかったら、本当に店ごと終わってました」

 モモちゃんがお茶を受け取りながら、バックヤードに一脚だけ置いてあるパイプ椅子にドサッと座り込む。

その時、リリちゃんが「あー……疲れた……」と言いながらバックヤードに戻ってきた。
 あんなに綺麗に巻いていた髪は完全に後ろで一本に結ばれ、お気に入りのブラウスの袖はたくましく腕まくりされている。

「お疲れ、リリちゃん」

 私が声をかけると、リリちゃんは「あー!」と小声を上げて、空を仰いだ。

「もー、マジで疲れました! 一時はどうなるかと思いましたよ! あおいさん、あのカセット方式、神ですか? あれ無かったらレジ前で暴動起きてましたって」
「リリちゃんの個数制限の提案があったからやん。助かったわ」

 私が笑うと、リリちゃんは少し気まずそうに、でも視線は逸らさずにモモちゃんを見た。モモちゃんも、お茶のペットボトルを握ったまま、リリちゃんをじっと見つめ返す。

 気まずい沈黙が流れるかと思いきや、モモちゃんがふっと小さく笑って、袋に入っていたお茶のボトルをリリちゃんに差し出した。

「リリちゃん、これ。五十嵐さんからの差し入れ」
「あ、どうも……」

 リリちゃんはそれを受け取ると、冷たいボトルを自分の火照った頬にペトッと当てて、ぷいっと横を向いた。

「……あたし、今回はちゃんと両手でカゴ運びましたからね。一個も落としてないです」
「知ってる。売り場から見てた。リリちゃん、案内する声めっちゃ通るから、お客様もすぐ動いてくれてはったわ」

 モモちゃんが真っ直ぐに褒めると、リリちゃんは少し耳を赤くして、ボトルのキャップをパキッと開けた。
「……まあ、あたし情報のプロですから。ラピスアークがイケてない店やと思われるん、嫌ですし」

 謝罪の言葉なんて、お互いに一言も口にしない。
 でも、モモちゃんはリリちゃんの実力を認めたし、リリちゃんもモモちゃんの「お店への想い」をちゃんと行動で受け止めた。それで十分だった。

「これで、アルカナの良さがたくさんの人に伝わるとええね」
 
 私が二人の間に割って入ると、モモちゃんが力強く頷いた。

「アルカナはもう今日の分は終わりやし、新作をしっかりお客様に届けます!」
「あたしも、次はあの新作のセットアップ買ってもらえるように、お姉様たちにゴリゴリ営業してきます!」

 リリちゃんがいつもの調子を取り戻してニカッと笑う。

 床に並んだ『モモ5』のカゴは、今はもう空っぽだ。
 けれど、私たちの胸の中には、朝よりもずっと確かな、新しいラピスアークの誇りが満ちていた。


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