【#創作大賞2026 #お仕事小説部門】バックヤード!!<3-2>
NO.3:裏方が表に立つとき #02
オーディション前日の日曜日。
天宝寺駅の近くにあるお気に入りのカフェにて。
「最終選考に残ったぁ!?」
目の前にいる高校時代からの親友、ミクこと坊城美玖がカフェ中に響き渡る大声で叫んだ。若干カフェにいる人たちがチラチラとこちらを見ていることに気づく。
「ミク、しーっ! ……ってこれデジャヴ?」
慌てて私は唇の前で右手の人差し指を立てながら、首を傾げる。
ミクはグラスに入った氷水を勢いよく一気飲みし、カタン、と軽く音を立ててテーブルに置く。
「デジャヴでもなんでもええけど、今度はラピスアークの広告モデルって……自社やん!」
「モデルとしては別会社やけどな……社長にやられたわ」
みんな、私を面白がり過ぎ! と勢いに任せて、よく冷えたアイスミルクティーをわざと音を立てて飲む。ストローをグラスの中で回すと、カラカラと氷の音が響いて心が少し落ち着く。
「もう秋冬の話が出るとかすごいな、ファッション業界」
「早いよー。汗なんてかいたらマズい」
「壮行会でもやろか?」
「ええよ、多分私が選ばれることはないから」
「……アオはその卑屈な考えをやめなあかん」
ミクが真っ直ぐ私を見つめて言う。
「え?」
「今までの努力が泣くで。私らは否定されてんのか? って」
「ミク……」
あの奈良での必死だった日々。いつだって思い出せる、大切な時間。みんながいてくれたから、最終の一般投票で一位になれたこと。全てが初めてだらけの、煌めく体験。
「……ごめん」
不思議なことに、二人の声がハモった。
「え、なんでミクが謝るん?」
「いや、言い方きつかったかなって」
苦笑いするミクを見て、私はストローを回す手を止める。
「ううん。卑屈になってたのは私や。『バックヤードが居心地いい』のはホンマやけど、言い訳にして、傷つくのが怖かっただけかもしれん」
ミクは、空になったグラスの氷をカラン、と鳴らした。
「アオ。あんたが段ボール運んでる間も、世界はあんたを忘れてへんかったで。ほら、これ」
ミクがスマホの画面を見せてくる。そこには、数年前の「専属モデル時代の私」の写真に、今でも「このモデルさん好きだったな」「今何してるんだろう」とついている最近のコメントがあった。
「……みんな、覚えてくれてるんや」
「そう。だから、今度は『裏方』としてじゃなくて、正真正銘の『主役』として戻り。この二年間はそのための準備期間やったんよ、きっと」
ミクの言葉が、温かく胸に響く。 私は大きく深呼吸をする。
「……わかった。いま、涙、流してもええかな」
「嬉し涙なら、なんぼでも流し。私がハンカチ貸したるから」
二人で顔を見合わせて、今度はカフェの人たちに怒られないくらいの音量で、小さく笑った。
久しぶりに逢うミクとの四時間越えのお茶タイムを終えて、帰りの電車を待っているとスマートフォンが震えて主張する。誰だろうとディスプレイを見て、少し身体が固まる。
『こんばんは、久しぶりに大阪に来たよ。あおいちゃんは元気にしてるかな?』
大阪に、いるんだ。
沢渡さんからのメッセージはいつも突然だ。三ヶ月に一度あるか、ないか。東京に行ってから、多忙な日々を送っているのだろう。
私もそんなにマメなほうじゃないけれど、沢渡さんのことを忘れた日はない。
『はい、元気にしています。実は明日オーディションなんです。頑張ります!』
当たり障りのない返信。でも事実だからなあ……などと考えていたら『応援してる、頑張れ!』と返ってきた。
奈良でモデルをしていた頃の、近くで応援してくれていたカメラマンの沢渡さんを思い出し、少し胸にちくりとした痛みを感じる。
沢渡さんがカメラマンとして東京に武者修行しにいく、と聞いたのは、私がPLACEに所属してすぐのことだった。
「やりたいことができたんだ」と、送別会で笑顔で答えていた沢渡さん。
大阪での最後の仕事は、私のコンポジで使う写真撮影だった。
「もっと笑っていいんだよ、あおいちゃん」
――私は、あの頃から笑えるようになったのだろうか。
翌日。
一人で行きますと言ったけれど、社長は吉岡さんに私の送迎を頼んでいた。
「吉岡さん、すみません。お忙しいのに」
「大丈夫です。今回のあおいさんのオーディションは会社としても大きいものですので」
「そうなんですね……」
そう言われると、ただでさえ緊張していた身体が強張るのを感じる。
「あおいさん、緊張は?」
「ビックリするほど、してます」
「じゃあ叩きましょう」
コインパーキングに入って車から降りた私の背中を、吉岡さんは優しく叩いてくれる。
「大丈夫です、あおいさんなら。証明しましょう、裏方の大切さも、表の輝きも知っている『二刀流』モデルの実力を」
「はい!」
吉岡さんはパーキング近くのカフェで待っている、と言い、私とはビルの前で別れた。
オンリーズの本社はラピスアーク天宝寺店が入っている駅ビルから程近い高層ビルの中にある。
受付で名前を言い、案内されたエレベーターに乗り込み、控室に通された。
私は違和感を覚えた。モデルの数だ。私を入れて五人しかいない。
何かの冗談じゃないだろうか。ラピスアークの人気はうなぎのぼりで、そのスチールモデルならば、受けたい人なんて沢山いるだろう。
私は空いている席に座り、大きな鏡に向かってメイクを始めた。
何かが違う。それはこの五人が「大きな仕事をしたことがないであろう」無名に近いモデルたちだからだ。
私は三人目で名前を呼ばれた。ヒールを履いた足元が少し不安定だけれど、何とか審査をする会議室に辿り着く。
三回ノックして、「どうぞ」の声に「失礼します」と反応して扉を開ける。
絶景だった。広い会議室の大きな窓からは、大阪の街並みが一望できる。
そして、審査員席にいる人を思わず二度見してしまう。
沢渡さんだ。本物だ。
大阪に来ていたのは、この仕事のためだったのかと心が跳ねる。
「紺野あおいさん、どうぞお座りください」
審査席に座っていた女性が着席を促す。そのにこやかな眼差しの中にある、一切の妥協を許さない「余裕」に触れた瞬間、私はヒールで不安定だった足元が床に吸い付くような、心地よい緊張感が走った。
「ありがとうございます、失礼いたします」
にこやかに返答し、パイプ椅子に浅く腰をかける。
「PLACE所属の紺野あおいです。よろしくお願いいたします」
審査が始まった。まずは審査員側の自己紹介が行われる。審査員席の中央には、ラピスアークの新作をさらりと着こなした女性のクリエイティブディレクターに、こちらも女性の広報部長、パリッとしたグレーのスーツ姿の営業本部長。
そしてその横でカメラマンの沢渡さんが、懐かしい、でも真剣な眼差しで私を見つめている。沢渡さんの髪の毛は伸びていて一つに纏めていた。
沢渡さんはこの二年で、結果を出し、売れっ子カメラマンになった。だからこそ、この最終審査の場所に審査員として呼ばれたのだろう。
「以前music candyのアシスタントをされていましたね。あの番組、私好きだったんです」
意外な広報部長からの告白に「ありがとうございます」と笑顔で答える。
まずは基本的な面接内容と、今年のトレンドについて思うこと、ひとつひとつ丁寧に回答していく。
「紺野さん。あなたにとって、服とは何ですか?」
ここで、沢渡さんが私に質問してきた。沢渡さんの「紺野さん」という声に、私の身体の中にある芯がピンと張る。
「あおいちゃん」ではない。彼は今、私を一人のプロとして、対等な場所に立たせようとしている。
私はあえて少しだけ間を置いて、そして洋服が美しく見えるであろう姿勢をとり、審査員へ伝える。
「……私にとっては、いつも向き合っている『戦友』です。パッキンを開けた時の匂いや手触り。この服には、現場の誇りが詰まっています。私はその最後のリレーを、カメラの前で繋ぎたいです」
資料を見ながら、広報部長が口を開く。
「そう言えば紺野さんは、天宝寺店でバックヤード業務をされていますね。分かりました、ありがとうございます」
今度は営業本部長が私に訊いてきた。
「では紺野さん。あなたの武器や強みは何ですか?」
「私の強みは、一着の服がお客様に届くまでに、どれだけの段ボールを潜り抜け、どれだけの人の手を経てきたかを知っていることです。倉庫で汗を流し、パッキンの山と格闘してきたからこそ、袖を通した瞬間にその服が持つ『努力』や『重み』を体温として伝えることができます。私は、服をただの『衣装』ではなく、誰かの仕事の結晶として纏えるモデルです」
「それはモデルの技術とは関係ないのでは?」
スーツの営業部長がふん、とふんぞり返ったので、
「服の背後にある物語を知っている者こそ、その服の『一番いい顔』を引き出せると信じています」
そう言い終え私は思わずニヤリ、と笑ってしまった。
「っふ、あははははは!」
沢渡さんは、こらえきれないというように肩を揺らした後、姿勢を正して言葉を発した。
「……失礼。紺野さんの『武器』が、あまりにも面白い『武器』だったもので」
彼は私を見つめたまま、わざとらしく「紺野さん」と、その名前を丁寧に、けれど甘く響かせた。
「いいですね。あなたの言う『服の努力』、僕にはよく分かりますよ。この業界、華やかな表層だけで消費している方々があまりにも多い。その中で、あなたは唯一、地面の硬さを知っている。その泥臭い矜持を、僕は最高に評価します」
審査員たちが顔を見合わせる中、沢渡さんは「紺野さん」と呼びながらも、その瞳で私にだけ伝わるサインを送っている。――『あおいちゃんのその泥臭さ、僕が一番綺麗に撮るよ』とでも言うように。
営業部長が顔を真っ赤にして黙り込む中、私は真っ直ぐに沢渡さんを見返した。
沢渡さんは「紺野さん」と呼びながらも、その瞳は完全に私、紺野あおいという個人の魂を面白がっている。
この人は分かっているのだと思う。私が明日もまた、天宝寺のラピスアークのバックヤードで指を切ったり、爪や軍手を真っ黒にして、誰にも見られない場所で「服の物語」を繋いでいくことを。
その泥臭さが、カメラのレンズを通した瞬間に、見たこともない化学反応を起こすことを期待しているのだと。
「……評価、ありがとうございます。沢渡さん」
私はあえて彼と同じように、丁寧な距離感で返した。
パッキンの山から、光の当たるステージへ。
私の戦場は、今、一つに繋がった。
次にカメラテスト。
着用するのは、秋冬の新作「ミューズ・ドレス」という名前のワンピース。
ブランドカラーのラピスブルーがとても印象的な素敵な形のワンピースだった。スクエアネックのそれは、シワになりにくい素材で、フレアの広がりがとても上品。「あ、これは売れる」と心の中で思った。
「紺野さん、じゃあそこに立ってもらって、適当にポージングしてもらえれば」
「はい」
沢渡さんの指示に、私はラピスブルーの世界を表現する。
三十歳。
モデルとしては遅咲き、人によっては「崖っぷち」と表現するだろう。
バイトとしては中堅に片足を突っ込んだくらいのポジション。
どっちつかずだと言う人もいるかもしれない。でも、私の指先には、開けていたパッキンの感触が残っている。私の腕には、台車を押して培った「服の重み」が刻まれている。
カメラの前で様々なポージングをする。
沢渡さん、見てください。二年経って私はこんなモデルになりました。でも。
――見てもらう仕事も、見えないところで支える仕事も、私にとっては同じくらい大切なんです。
誰に言うでもなく、心の中でそう呟く。
沢渡さんのシャッター音が、私の「二重生活」を肯定するように、力強く響いた。
「……いいですね。そのまま笑顔で」
レンズの向こうから、懐かしい、でも最高に信頼できるカメラマンの声が降ってくる。
「そうそう――最高に素敵だ」
私は沢渡さんを信じて、カメラに視線を投げ続けた。
前日譚はこちらから。
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