【#創作大賞2026 #お仕事小説部門】バックヤード!!<4-2>
NO.4:大地の最果て、裸足のミューズ #02
「着いたよ、あおいちゃん」
懐かしい声が聞こえる。誰だろう……。
「あおいちゃん?」
その声の主が分かった瞬間、飛び起きた。
「沢渡さん!」
「東京到着ですー」
「わー、すみません! 降ります!」
「大丈夫、今ついたばっかりだから、焦らなくていいよ」
私はボストンバッグを引っ掴み、イヤホンをしまい、バスから降りると、瀬尾さんの周りに全員が円を描くように立っていた。
「本日はお疲れ様でした。いい作品ができあがったと思います」
瀬尾さんが淡々と、でも満足そうに話す。
「紺野さん」
唐突に私の名前を呼ばれ、「はいっ」と声が裏返る。
「あなたの頑張りは、ちゃんとデータとして記録されました。お疲れ様です、ありがとう」
瀬尾さんの言葉に、スタッフ全員が拍手を私へ送ってくれる。
「ありがとうございます。初めての経験が、このロケで良かったです」
私は深く頭を下げた。
そして解散。山田さんは「これから会議なのー、全然東京堪能できてないー」と愚痴をこぼしながら東京駅へ。
バスが止まった場所からホテルまでは歩いて十分くらい。色んな方との名刺交換で、自分の名刺の在庫が少なくなっていることに気づく。
また注文しないとな、などと考えていると、肩をトントンと叩かれ「また連絡するね」と沢渡さんはそう言って、私と別れた。
ホテルに戻って、明日の帰宅準備をするのと、今日の夜の格好を決める。
この時期の服装は、ワンピースさえあれば何とかなるので、荷物が軽くて助かる。この間のアーリーサマーセールで売れ残っていたけれど、私好みで買った幾何学模様の半袖ワンピースに、ネイビーの薄手の長袖カーディガンを羽織って、念入りにドライシャンプーシートで拭った髪を、高めの位置で丸めてシニヨンにする。
ラブラドライトのネックレスをつけ、ワンピースの裾にベリーの匂いの香水を一吹きすると、さっきまで私の身体に染みついていた、あの最果ての崖のじっとりとした潮風の匂いが、ようやく消えていくような気がした。
鏡をどれだけ見つめても、いつもの私だ。さっきまであの際にいた女性はどこへ行ってしまったのか。
『着いたよ。準備できてるかな?』
沢渡さんのメッセージが来たので、部屋を出ると、空は夕暮れのオレンジグラデーションに染まっていた。
「お待たせ。事務所で今日のデータを整理してたよ」
「お忙しいときにすみません」
「いいのいいの、さ、乗って」
「な、懐かしー!! ランドクルーザー!!」
ハザードランプが点滅している黒のボディに、私の心が弾む。
奈良でも乗せてもらったランドクルーザーを見つめて微笑んでしまう。色んな想い出があったな、と噛みしめながら助手席に乗り込んだ。
同時に運転席に乗り込んだ沢渡さんから「さて、問題です。東京で一番高いところはどこでしょう?」と訊かれる。
「……スカイツリーですよね」
「じゃあ、スカイツリーに行きますよーいいですかー」
「なんでそんなに棒読みなんですか!」
「高いところ、って発想が面白すぎたからね、いやもうそれスカイツリーしかないじゃんって」
「だって……思いつかなくて……」
「そういうあおいちゃん、嫌いじゃないよ」
沢渡さんは面白そうに、シフトレバーを動かす。
ホテルを出たランドクルーザーは、夜の東京のメインストリート――中央通りへと滑り込んでいった。
「ザ・東京、って感じの道でしょ」
沢渡さんの言う通り、最初は日本橋のライトアップされたクラシカルな街並みが窓の外を流れていたのに、万世橋に差し掛かった瞬間、景色が一変した。橋の向こうに広がるのは、秋葉原の、ビル全体が発光しているようなネオンの海。いつもパッキンが積み上がった薄暗い倉庫で、下ばかり向いて台車を押している私の視界に、電子の光が容赦なく飛び込んでくる。
「わー、すごい!」
最初は窓の外の景色が「老舗の重厚なビルの光」だったのに、どんどん「現代的な激しいネオン」へと目まぐるしく変わるので、助手席から外を眺めていた私は「すごい」を連呼。
「東京っぽくて、高いところっていうリクエストには、この道かなと」
「沢渡さんって色んな道知ってますよね」
「仕事が車じゃないと行けない場所も多いからね」
「十三峠のときも……」
「あそこは夜景の鉄板コースだから」
「どんな人と行ったのやら」
「え、僕の過去の話聞きたいの?」
やけに嬉しそうに沢渡さんが訊いてくる。
「いえ、全然聞きたいと思いません」
「あおいちゃん、本当に面白いよね」
「私にとってあの場所はマクドとラブラドライトの場所です」
「マクドとラブラドライトを並列で聞く日がくるとは……」
私が自分の胸元に下がった、鈍く光る石にそっと指先で触れると、沢渡さんは一瞬だけハンドルを握る手に力を込めたように見えた。
おかしそうに笑う沢渡さんの横顔を、車内のほの暗いダッシュボードの明かりが照らしている。十歳以上年の離れたこの人は、あの頃と何も変わらない大人の余裕で、私の隣にいる。
秋葉原を抜け、上野駅の大きな交差点を右折すると、全く読めない通りの名前が書かれているのを見た。
「え、何て読むんですか、この通り」
「言問、って読むよ」
「こととい、って不思議な名前ですね」と呟くと、沢渡さんが「昔の和歌からついた名前なんだよ。東京の歴史を感じるよね」と教えてくれた。
「さて、そろそろメインディッシュだよ」
「メインディッシュ?」
「今から行くところは?」
「スカイツリー……ですよね」
「この橋を走れば分かるよ、右側に注目しておいて」
車が隅田川にかかる大きな「言問橋」へと差し掛かった。
浅草のビル影を抜けた瞬間、遮るものが一気になくなって、視界が跳ね上がる。
フロントガラスの右前方――ハンドルを握る沢渡さんの横顔の、そのさらに向こう側の闇夜に、ライトアップされたスカイツリーが突如としてその巨大な光を現す。
水面に反射する光の海と、気高く自立してそびえ立つ、東京で一番高いタワー。
「わあ……!」
言葉を失った私を見て、沢渡さんが微笑んだ気がした。
「これをあおいちゃんに見せたかったんだ。電車でも見えるけど、この景色に勝るものは今のところないかな」
「素敵です! キラキラが降ってきそう!」
橋を渡りきり、タワーの真下へ。見上げるほど巨大になった光の柱に向かって、重厚なエンジン音を響かせながら駐車場へ滑り込む。
平日だけれど、夜のスカイツリーは大人気で、インバウンドも含めて混雑していた。チケットを買い、エレベーターの列に並ぶ。
「ここにいる人だけで、奈良の小さな村くらいの人口はいますよね」
「例え方のクセが面白すぎるよ」
エレベーターは係員さんがお客さんをきっちりと詰めていく。私たちの目の前でロープが張られて、次のエレベーターの先頭に乗ることが確定した。
「あおいちゃん、多分危ないから。嫌だったら言って」
そう言うと、沢渡さんはそっと私の背に手を添える。
嫌では、ない。むしろ沢渡さんに迷惑をかけていないだろうか。
ロープが外されて、後ろからやや押されるようにエレベーターへ乗り込む形になる。沢渡さんは押しつぶされないように、私を守るように少し空間を作ってくれた。
「大丈夫ですか?」
「うん、これくらい平気」
スカイツリーのエレベーターはものすごいスピードで私たちを上へと連れていく。四基のエレベーターに春夏秋冬の演出がされているのも憎い。私たちが乗ったのは「夏」だったようだ。隅田川の花火をイメージした江戸切子アートが施されている。
一分もしないうちに天望デッキに到着する。
私たちは天望デッキと天望回廊チケットを持っていたので、更に上へと向かう。天望回廊へのエレベーターはシースルーだった。街がきらきらと白く光っていて、不思議な光景だ。
「はい、東京でいちばん高いところに着きました。四五〇メートルだよ。高いね」
「高くて、すごく綺麗ですね……」
私はただただ、外に広がる東京の夜景を眺めていた。
「この煌めきのなかで、たくさんの人が生きてるんですよね……」
「うん。僕もだし、あおいちゃんも生きてる」
「今日の撮影で、すごく『生きてる』って思えたんです」
「どうして?」
「ヒールを脱いで、地面に足をつけたとき、痛みがあるから生きてるんだ……って」
「うん。あの痛みに耐えて睨みつけた瞳、カメラ越しに僕の心に突き刺さったよ。あおいちゃんは最高のモデルだよ」
「あの頃……二年前から、成長していますか?」
「……別人みたいに成長しているよ」
沢渡さんは優しい眼差しで、私に微笑んだ。
急に恥ずかしくなって、私から視線を逸らしたとき、お腹がぐうと小さく鳴った。
「……今日の夕飯、食べたいものがあるんですけど」
「言って言って、折角だしおじさんがおごってあげるよ」
「おじさんって…!」
若々しい沢渡さんを、とてもじゃないけれどおじさん扱いなんてできない。冗談交じりに「イケオジ」と言ったことはあるかもしれないけれど。
「何が食べたいの?」
「……マクド」
「え」
「ランドクルーザーに乗れると思わなかったから、マクドがいいです」
「……オッケ。じゃあ僕はビッグマックだな」
「あはは!」
奈良の雑誌の忘年会のエスケープのとき、マクドを買って、沢渡さんはビッグマックを頼んで食べていたっけ。思い出して笑ってしまう。
「じゃあ私もビッグマックにしようかな」
「お、じゃあお互いチャレンジする?」
「します!」
二人でケラケラ笑う。ここは東京で一番高いタワーなのに、カップルもたくさんいるのに、ムードのかけらもない二人がいた。
◇
翌日。
ホテルをチェックアウトして、スーツケースをゴロゴロと音を立てて引く。
みんなにお土産買わなくちゃ。何がいいかな、ラピスアークとPLACEには箱菓子がいいかな。あとは……と考えていたら、前方に良く知る人物が立っていた。
「なんでいるんですか!」
「見送りに」
昨日一緒にマクドチャレンジをした沢渡さんがいる。
「ご丁寧な社長が、あおいちゃんの乗る新幹線の時刻を送ってきて『最後まで責任持て』だって」
「だからって、本当に来なくても……」
「迷惑だった?」
「全然! そういう意味じゃなくて……嬉しいです」
口にしてから、自分の顔が急激に熱くなるのが分かった。
まさか本当に、わざわざホテルの近くで待っていてくれるなんて。手元にある大きなスーツケースの重みが、一瞬で軽くなったような気がした。
「それならよかった。あとあおいちゃんのことだからグランスタあたりでおみやげとか選びそうだなと思って、チェックアウトの時間にここで待ってた」
「なんでわかるんですか!」
「あおいちゃんが分かりやすいんだよ」
クスクスと沢渡さんは楽しそうに笑う。
私たちは東京駅を目指して歩く。グランスタ東京はおいしいものの宝庫だと聞いていたので、密かに楽しみにしていた場所だ。
「これおいしそう。リスココのクッキーサンド」
「うん、鉄板のおみやげだね」
「じゃあお店に三箱買おう」
「そんなに買うの!?」
「うち、派遣さんも他店ヘルプさんもいるんで人数多いんですよ」
「加賀美社長たちには?」
「社長は甘いものよりはしょっぱいものの方が好きかもしれないんですよね……あ、吉岡さんに訊いてみよう」
「吉岡さん?」
「現場マネージャーです。私と同い年くらいかな?」
「そう……」
『僕が知る限り、社長は意外と甘いものいけますよ!』
スマホの画面にポップアップした吉岡さんからのメッセージを、沢渡さんが横から小さく覗き込んでいる。ふわりと、昨日の夜に助手席で嗅いだのと同じ、大人の香りが鼻腔をくすぐった。
「そっか、じゃあ別のものにする?」
「覗き見反対! ……って、広尾のビスティアーヌ! これ食べたい! 社長に渡すときに食べようっと!」
「なんだかおかしなことになってるよ、あおいちゃん」
沢渡さんはあきれたように笑いながらも、紙袋の行方を邪魔していたスーツケースを「僕が持つよ」と自然に引き取ってくれた。
賑やかなグランスタを抜け、東海道新幹線の改札をくぐる。黒い電光表示板に刻まれた発車時刻が近づくにつれて、胸の奥が少しずつ、静かに凪いでいく。
にぎやかな東京の喧騒が、ホームに滑り込んできた新幹線の風の音にかき消されていった。
「わざわざホームまでありがとうございました」
「ううん、この三日間あおいちゃんと過ごせて楽しかった。ありがとう」
「今度は大阪に来てくださいね」
「うん、必ず」
沢渡さんはそこで言葉を区切ると、何かを言いかけるようにして、ふっと視線を落とした。
私服の、少し開いたシャツの襟元に伸びかけた手が、所在なげにチノパンのポケットへと収まる。ホームに滑り込んできた新幹線の風が、彼の少し長めの前髪を揺らした。
「……どうしました?」
「いや、なんでもないよ。身体無理せず、どっちの仕事も頑張って」
「沢渡さんこそ、過労で倒れないでくださいね!」
そう言って、私は新幹線に乗り込んだ。
窓際の席で、ホームにいる沢渡さんに手を振る。
笑っているようにも、泣きそうにも見える表情で、私を見つめて手を振っていた。
――この胸の痛みは、何度か経験があるけれど、今日が一番鮮烈かもしれない。
前日譚はこちらから。
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