【#創作大賞2026 #お仕事小説部門】バックヤード!!<4-1>
NO.4:大地の最果て、裸足のミューズ #01
ロケバスが、未舗装のデコボコとした土の道を軋ませながらゆっくりと停車した。それを確認して、ミューズ・ドレスを着用し、私のメイクとヘアセットが始まる。プロの仕事は流石の早さ。そして迷いがない。ドレッサーに映るぼんやりしていた自分の顔が、どんどんハッキリとしていく。スポンジで細かく細かくファンデーションを叩きこまれて、陶器のような肌になっていく。メイクが終わりかけたところで今度はコテを使ってヘアセット。胸まで伸びている髪の毛はゆるく巻かれて、つやつやした質感の「触りたくなる髪」へ。
「よし、完璧!」とヘアメイクさんたちにお墨付きをもらって、上にラピスアークのヒット作のトレンチコートを羽織り、外へ出る準備をする。
ドアが開いた瞬間、穏やかな風と比べものにならないほどの、狂暴なまでの強風が車内に吹き込んできた。さっきまであんなにつやつやだった髪が、一瞬で容赦なく乱される。だけど、不思議と嫌な気分ではなかった。この風さえも、私の演出の一部にしてみせる。
一歩外へ出ると、視界が一気に開ける。
空は曇り。沢渡さんの日頃の行いは良かったらしい。
そこは、草木すらまばらな、ゴツゴツとした茶色い土と硬い岩肌が剥き出しになった、世界の果てのような場所だった。
大地の層がぷつりと途切れた先は、何も遮るもののない、空と太平洋の青が一面に広がる絶壁の頂上――崖の上。
柵なんてどこにもない。切り落とされた地層の際の向こうには、数十メートル下に白く砕ける荒波と、冷たい岩場が見下ろせる。安全のために、際と言ってもギリギリの場所にいるわけではない。けれど。
「……高い」
風に煽られるラピスブルーのドレスの裾を必死に押さえながら、私は足元をすくわれるような恐怖に襲われた。一歩間違えれば、あの硬い地層の底へと真っ逆さまだ。
あまりのスケール感と剥き出しの大自然の荒々しさに、喉の奥がカラカラに乾いていく。
「あおいちゃん、風を怖がらないで。その風を味方にして、身体を預けるように立ってみて」
すでにカメラを構えた沢渡さんの声が、ごうごうと鳴り響く波音に混じってまっすぐに届く。
私は深く息を吸い込み、ヒールにぐっと力を込めて、大地の際へと視線を向けた。
屛風ヶ浦はじっとりとした強風が吹いて、私にまとわりつく。
「あおいちゃん、変わったね。ただ綺麗なだけじゃない、折れない芯があるのが分かる」
「それは、私を支えてくれる人たちがいるからです」
「それだけじゃない。あおいちゃんの意志が、目に宿ってるよ。よし、あおいちゃん、そこに横たわってみて。そう、その岩の平らなところに」
沢渡さんの言葉に、ヘアメイクさんとスタイリストさん、アシスタントさんが素早く動く。ドレスを傷つけないよう、岩肌の上にドレスと同じラピスブルーの長い布が美しく広げられた。
ゴツゴツとした硬い岩の感触を、布越しに横になって受け止める。
私は上半身を少しだけ起こし、両方の肘を使って硬い岩場について体を支えた。
「いいね、そのまま。風を恐れないで、こっちを睨んで」
「右手を唇に添えて……そうそう、いいよ」
青い布が、吹きつける海風に煽られて生き物のようにバサバサと波打つ。
まるで、大地の割れ目から、ラピスブルーの激しい海原が湧き出してきたかのような錯覚を覚える。
強くてぬるい風が頬を叩き、髪が容赦なく顔にかかるけれど私は瞬きをせずに、沢渡さんの撮影の邪魔にならないように、髪をかき上げる。
「そのかき上げる感じも色香があっていいね。カメラを見つめてもう一回お願い」
――私は今、地球の際にいる。
バックヤードで泥臭く台車を押してきた私の身体は、この荒々しい岩場に負けないくらい、強く、しなやかに鍛え上げられているはずだ。
肘にじわりと伝わる岩の硬さを味方に変えて、私はファインダーの向こうの沢渡さんを、まっすぐに、強く射抜くように見据えた。
「軽く左足を膝だけ曲げて……そうそう! 綺麗だよ!」
「左肘を軽く引いて、右肘だけついて、右腕に体重をかけて、うんうん、そのまなざし、かっこいいよ」
「あおいちゃん、顔を少しだけ左に振って。うす曇りの光が、ドレスの胸元のカッティングを一番綺麗に引き立てる角度があるんだ。……そこ! 動かないで!」
「頭を少し後ろに傾けようか、……いいね、最高だよ!」
沢渡さんの言葉通りに表現するためには、身体の柔軟性も大事だと奈良でのモデル時代に経験しているので、毎日コツコツストレッチしていてよかった、と思いながら、大自然を感じる。
曇り空はいい感じで太陽光を隠してくれている。これで陽射しの強い日だったらどうなっていただろう、と少し怖くなる。
「いかがでしょうか」
沢渡さんが、山田さんに確認をしてもらうためにデータをパソコンに飛ばして見てもらう。
「……言葉が出ないですね。ただ綺麗だとか、ドレスが似合っているっていうレベルじゃない。この剥き出しの大自然の中で、ドレスの青が信じられないくらい気高く自立して見える。紺野さんのこの真っ直ぐな瞳、同じ女性から見てもゾクッとするほど格好いいです。私たちが求めていた新しいミューズの姿、そのものです」
「ありがとうございます」
沢渡さんが微笑み、隣にいた私は頭を下げる。
「あのとき、紺野さんを選んでよかった。まだまだ撮影は続くけど、がんばってくださいね」
「ありがとうございます!」
私を選んでよかった、と言ってもらえただけで涙がこぼれそうになる。
「あおいちゃん、今度は座ったり、立ったりして動きを出そう」
「はい」
私の足元は、秋冬新作のヒール。この岩場では気をつけないと足をひねってしまう。だけど、これはラピスアークが、魂を込めて作った靴だ。バックヤードで愛おしく検品してきたヒールに、泥を塗るような無様な歩き方は絶対にしない。
「靴を脱いで、靴を持ちながら岩場を歩いてもいい感じになるかもなあ」
ただ、足が痛いかも……と沢渡さんが悩んでいる。
「私、やります。いいものを撮れるのなら、なんだってやります」
「無理だけはしすぎないように、分かった?」
「はい」
私は、さっきまで足元を支えてくれていた新作のヒールを脱いだ。
そして、細いアンクルストラップを人差し指にひっかけ、まるで愛用のバッグを背負うかのように、右肩の後ろへひょいと回した。
ゴツゴツとした岩肌に、今度は裸足の足裏をしっかりと下ろす。大地の感触が、ダイレクトに身体に伝わってきた。
このシーンからは動画も一緒に撮影していく。定番のトレンチコートにミューズ・ドレス姿で裸足で歩く私。微笑んでみたり、遠くを見たり、カメラ目線で挑発してみたり。
一歩踏み出すたびに、剥き出しの硬い岩が裸足の裏を容赦なく刺激する。じわりとした痛みが走るけれど、その痛みがむしろ、私の感覚を極限まで研ぎ澄ませていくようだった。
レンズの向こうで、沢渡さんのシャッター音が激しく連射される。それと同時に、動画のカメラも私の足元から表情へと滑らかに動いていく。
「あおいちゃん、いいよ! その、ちょっと野生的なのに最高にエレガントな感じ!」
風が私のトレンチコートの裾を大きく翻し、肩に担いだヒールが指先でかすかに揺れる。
私はふっと息を吐き、カメラを、世界を、まっすぐに睨みつけた。
――服を、靴を、愛している。
それを届けるためなら、私はこの大地の最果てで、裸足でだってどこまででも歩いていける。
「……はい、オッケー! 動画パーフェクト!」
「スチールも完璧だよ!!」
佐々木さんの声と、沢渡さんの晴れやかな声が同時に響き渡った。総責任者の瀬尾さんも何度も頷く納得の仕上がりのようだ。
山田さんは「本当にきれい……ミューズ・ドレスの良さ、紺野さんの良さ、どちらも相乗効果で素晴らしいものになっています。ありがとうございます」と、色んな方へお礼を述べている。
撮影中何度もメイク直しやヘアセットをしてくださった担当の方へ「終わりました! ありがとうございます!」とロケバスへ報告に行く。
「よかった!! 多分髪の毛とかに砂が付着してるから、外でちょっとはたきましょう」
確かに強風をガンガンに受けた私の肌は、少しざらついていたし、髪の毛もベタベタなのにキシキシしている。
自前のボディシートで腕や脚を拭いて、顔はメイク落としシートでさっぱりさせる。髪の毛は外でブラッシングしたあとに、ドライシャンプーシートで丁寧に汚れを落とす。
「あはは、さっきまでのキリッとした顔が行方不明になりました」
鏡に映る自分の顔を見て、思わず笑ってしまう。
「そんなことないですよ! 紺野さん、お手入れちゃんとしてるからお肌もきれいだし、すっぴんでも大丈夫って最強ですよ!」
メイクさんが笑顔で「軽く負担にならない程度のメイクしますね」と下地とパウダー、眉毛だけ仕上げてくれる。
「もっと時間使うかなと思っていましたけど、行程より早く終了しましたね。お疲れ様でした」
「いえ! こちらこそ何度もメイク直ししていただいたりして、本当にありがたかったです。お疲れ様です」
みんなの帰り支度ができて、ロケバスが静かに発進し、銚子を離れていく。緊張が解けた途端、猛烈な空腹感が襲ってきた。
「はーい、みんなお疲れ様です! お昼にしましょう。ドライバーさんが保冷庫で守ってくれてたから傷んでないですよ! あっためたい人は電子レンジありますんで!」
アシスタントさんが手際よく配ってくれたのは、冷めても衣がサクサクで美味しいと評判の、東京で仕込んできた有名店の唐揚げ弁当だった。
ひとくち齧ると、醤油の味がじゅわっと口いっぱいに広がり、張り詰めていた身体の芯がじんわりとほどけていく。
順調に撮影が終わったことを、お弁当を食べ終えて社長にメッセージを送る。
『二泊三日やし、明日無事に帰ってくればええから、今日は沢渡に何かごちそうしてもらえ』
なんという返信。完全に沢渡さんをいいように使っている。
その沢渡さんは、技術スタッフの人たちと楽しそうに会話している。プライベートな会話過ぎて、切り出すのが難しい。しばらく考えたあと、社長のメッセージを転送して『今日ってこのあとお時間ありますか?』と書き添える。
しばらくしてメッセージが届いた。
『いいよ、東京案内しようか。行きたいところがあれば教えてね』
ど、どうしよう……行きたいところ……。
東京は中学の修学旅行以来だから、どこになにがあるのかさっぱりだ。
え、東京ってなに? 首都やろ? 何が名物なん……。
そんな時、昨日のカフェのシーンを思い出した。
高層ビルに囲まれた、おしゃれなカフェ。
そうか、高いところ!
私は慌てて返信する。
『東京っぽい、高いところに行きたいです』
私がメッセージを送ると、吹き出すような沢渡さんの声が聞こえた気がした。
十秒後、沢渡さんから大笑いしているうさぎの絵文字と一緒にメッセージが返ってきた。
『了解。じゃあ、東京で一番高いところに連れてってあげる。ホテルに荷物を置いたら、ロビーでね』
そんな風に言われると、急にそわそわしてしまう。私は平常心を保つためにイヤホンをつけて、大好きなバンドの曲を再生する。流れる景色と曲がまるでリンクしているようで、心が落ち着いてくる。
――気が付けば、私は窓にもたれかかって眠っていた。
前日譚はこちらから。
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