モストマスキュラー!2「挑戦状」【#創作大賞2025 #恋愛小説部門】
カチャリ、と鍵を開ける音が、静まり返った部屋にやけに大きく響いた。
誰もいないと頭では分かっていても、長年の癖で自然と『ただいま……』という言葉がこぼれる。
夢のために生まれ育った関西を飛び出してもうすぐ半年。
この街にもこの部屋にもようやく慣れてきたはずなのに、ふと訪れる静寂が、慣れない孤独感を連れてくる。
疲れで重い身体をずるずると引きずり、明かりをつけた。
大学を卒業してから大手IT企業で事務として勤めながらコツコツ頑張ってきたのはいいけれど、地元での小さな活動との両立では限界を感じたので、潔く会社を辞めた。何も言わず突然退職したので、同期たちから「なんでやねん!」と驚かれたことも、今となってはいい思い出になっている。
実家の父親が無理矢理押し付けたファックスが点滅している。スマートフォン文化の中、サービス終了待ったなしのガラケーのまま頑なに機種変更しない父親は、インターネットが使えない。
「メールで済ませられる要件やん、これ」
筐体からペロリと舌を出しているように見える普通紙。それをつまみ取り、記されている見慣れた文字を眺めて、私は深く溜息をついた。
『元気にしていますか。ご飯はちゃんと食べていますか。たまには電話くらいしてきなさい』
「めんどくさ」
連絡ないのは元気な証拠、ってよく言うのに。一人娘だからだろうか。
「なんか、どっと疲れた……」
父親の心配も運動も疲れるけれど、さっきの出来事のほうが相当堪えたらしく、思わずベッドにうつ伏せで倒れこむ。その衝撃で布団のやさしい香りと自分の汗のにおいが混じり、慣れない空気に包まれてしまった。
「ボディビル、ねえ」
ごろんと寝返り、アイボリー色の天井を見つめた。
◆
上京してからというもの、身体を動かすと言えばレッスンとアルバイトくらい。身体が随分となまってきているような気がするし、このあたりに友人らしい友人もいない。そして夢の居場所も見つかっていない。これはちょっとマズイぞ、と一念発起してSNS内にあった『地域スポーツコミュニティ』というサークルに登録してみた。
大学生から社会人までたくさんの人たちが参加しているコミュニティの主宰が、彼だった。
「あの、『アヤハ』さんですか?」
二月の風は、どこにいても冷たくて頬に刺すような痛みを覚える。
声をかけられたのは埼京線・北与野駅の改札前。ちょうど声の主とメッセージアプリでやり取りをしていたのでスマホに落としていた視線を上げると、赤いダウンジャケットにカレッジロゴトレーナー、ヴィンテージデニムというラフな格好をした浅黒い肌の青年が立っていた。
「はい。『シュウ』さんですか? 初めまして!」
別にインターネットで知り合って誰かと出会うなんて初めてじゃないのに、男性と一対一のシチュエーションは流石に緊張していた。
「初めましてー、主宰の安藤秀一郎です。今日は参加ありがとうございます」
「いえいえこちらこそ。改めまして、小阪綾羽です。わざわざ駅まで迎えに来てくださってありがとうございます」
「家、この辺なんですか?」
「いえ、武蔵浦和から自転車で五分くらい」
「俺、ここが最寄りっすよ。ジモティ」
「私はジモティじゃないし、北与野は今日が初めてなんですよね、降りるの」
「そうなんですね。それなら集合まで時間あるし……このあたり特に何もないんで、車で移動してイオンモールでもぶらつきますか? 大きめのスポーツショップが入ってるし」
「いいですね! 是非」
秀ちゃんはコミュニティの主宰なだけあって、慣れたように私を案内してくれた。小一時間ほどぶらつき、よくあるセルフサービスのカフェでひと休み。
「今日はお仕事おやすみなんですか?」
私の問いかけに、秀ちゃんが飲んでいた季節はずれのアイスカフェラテでむせた。
「ゲホッ! あ、俺まだ大学生で……」
ちょっと吹いたらしく、右手の甲で口を拭いながら秀ちゃんが答える。
「ご、ごめんなさい!! てっきり年上かと思って」
「え? 綾羽さん、失礼ですがおいくつですか?」
「私、二十四です。早生まれなんで二十五の学年ですけど」
「えー!! 全然見えない見えない。年下だと思いましたよ」
秀ちゃんが、黒目がちの大きな瞳を更に真ん丸にしている。
「大学生ってことは」
「四年。二十二です」
「そっか、こっちは『年』って言うんでしたね」
「ん? どういうことですか?」
「私、関西出身なんで大学何回生って数えるんですよ」
「へー、地域によって違うんですね。色々関西のこと聞きたいです!」
――そう言って笑う秀ちゃんの顔は、私の緊張していた心と身体を優しく緩めてくれた。
それからというもの、新参者の私が早く馴染めるようにと色々気を遣ってくれたり飲み会を開いてくれたり、ちょっと遠くの体育館でイベントがあるときは車で送迎してくれたり。
今日もそのコミュニティメンバーでゆるいバスケをして、ファミレスでご飯を食べての帰り道。いつもどおりの金曜日の終わり、ではなかった。
「ボディ、ビル」
「うん」
「あの、筋肉ムッキムキのやつ?」
「うん」
「舞台の上で黒光りマッチョがポーズとって、笑うと白い歯が光るやつ?」
この発言に、秀ちゃんの眉間にシワが寄る。
「それは実際ちょっと違うけど……うん」
「えー!! 秀ちゃんマッチョちゃうやん!! どっちかって言ったら、ややメタボやん!!」
お世辞にも秀ちゃんは筋肉質とは言えない。骨は細そうなのに、余計な肉がついている気がする。特にお腹周りは私が初対面で年上と勘違いするだけあって、バスケのプレイ中に多少揺れていた。
「メタボ言うな! 今オフシーズンなの!」
「オフ、シーズン? って何で突然ボディビルやってるとか言い出すの!」
「隠したくなかったんだって!」
ヤケクソのように秀ちゃんが叫ぶ。
「はあ?」
「綾羽に隠しごと、したくなかったの」
「隠すも何も……」
「だって、ボディビルって『キモチワルイ』とか『イロモノ』なイメージあるでしょ?」
「否定はしない」
即答すると、あからさまに秀ちゃんが肩を落としている。
「サクッと傷つくこと即答しないで」
「あー、気持ち悪いは言い過ぎかもしれないけどさ、唐突に『俺ボディビルやってるんだ』って言われたら驚くよ、普通。特に女子は……多分」
自分に言い聞かせるように答える。
「だろうね。だから俺、真面目に言おうとしたんだよね。別にウケ狙いでやってるわけじゃないし。更に言うと、弱小ボディビル部」
「ただ、なんでそれを今、私に話したのよ」
「うーん。綾羽にもうちょっと俺のことを知ってもらいたかった、から?」
「疑問符つけて言わないでよ」
知ってもらいたい、と言われても。
どうリアクションを取れば良いのか分からなかった。
ボディビルというものが、一体どういうものなのか。
──私の頭の中で、あるお笑い芸人がボディビルに挑戦するためトレーニングに励む──いつか観たテレビ番組の映像が浮かび上がる。
パンツ一丁に黒光りした身体。あれはオイルを塗っているのだろうか。異様な光り方で、正直、怖さや不気味さを覚えた。
筋肉を見せることが、スポーツなのか。筋肉をつけることが、スポーツなのか。少なくとも、鍛え上げられた身体であれば、そのまま見せたらいいのにと思う。
私の周りにマッチョっぽい子はいたけれど、アメフトだったりラグビーだったりと別の競技をしていた人たちだ。ボディビルをやっている、という人に生まれてこのかた二十四年、出会ったことがなかったので絶句した。
気持ち悪い
イロモノ
確かにそんな目で私も見ていたのだろう。家族や友人とムキムキマッチョがテレビに出てきたら驚きと笑いが先に来てしまうのは想像に難くなかった。プラスイメージがほとんどない。あえて挙げるとしたら「筋肉すごいねー」で終わってしまう話だ。そんなもの。
──そんなもの、だったのだ。
明らかに困惑した表情を浮かべているであろう私を、秀ちゃんが少し哀しそうに、でも少し笑いながら見つめていることに気がついた。
「ごめん」
自然と出た私の言葉に「なんで謝るのさ」と秀ちゃんがまた目を丸くする。
「随分と失礼な言い方をしてしまった気がして」
「慣れてるし、大抵は笑っておしまいにされちゃうよ?『秀ちゃんがボディビルとかウケルー』って。なのに」
「……なのに?」
変なところで話をやめてしまったので訝しんでいると、哀しみはどこへやら。秀ちゃんの表情は明らかな笑顔に変化した。
「やっぱり綾羽に話して良かったなあ、と思ったの」
「はあ」
「でね、お願いがあるんだけど」
「ん?」
「俺たちの部活のマネージャーになってみない?」
何かを企んでいるような秀ちゃんの笑み。今度こそ私が叫ぶ番だった。
「は!?」
──秀ちゃんからバン! と挑戦状を強く叩きつけられたような気がした。
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