うにっき帳 vol.35 |自分史編|家族崩壊のその後(8)
はじめに
こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.35を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
今回は、自分史編です。自分史をエッセイのような形式でまとめています。
以前、掲載した「アッチッチ、帰ろ!――茶碗蒸し一杯で家族崩壊」のその後の話の続きで、最終回です。「アッチッチ~」はこちら
「家族崩壊のその後(1)~(7)」はこちら
では、始めます
ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。
二〇〇四年~二〇〇六年ごろ 家族崩壊のその後
今思えば、姉は自分の意志を持ってしっかりと生きているようで、実は単なる母の操り人形だったのだろう。だから、付き合うボーイフレンドの影響を受けて、簡単に志望学部を変えてしまう。そんな軽佻浮薄な振る舞いは、それまでの成績の悪い私への見下した発言や自信たっぷりの態度と矛盾しているように思えた。だが、それまでの尊大な姉の人生は、母の意向と合致して勉強し、結果を伴っていたからこそ堅牢に見えたのであって、ひとたび綻びを自分の内側に見出すと、砂上の楼閣のように脆いのかもしれない。
このように厳しい見方をしているからと言って、私が姉を憎んでもいるわけでもないし、嫌ってもいない。特に断絶してからは、そのような感情を持ち合わせていない。ただ、苦手意識は当時あったし、今でも残っている。
私が覚えている姉は、感情の起伏が激しく、怒り出すと止まらなかった。大学受験では、模擬試験でミスをすると、ボールペンをへし折っていた。家の中の低い不機嫌な声と、彼女の友人と話すときの明るく朗らかな声のギャップに母も私も呆れていた。どうして怒っているのか原因が不明な事も多く、私は原因を訊いてみたり、宥めようとしたりしたが、大抵逆効果だった。私はひたすら姉に怯え、顔色を窺って、機嫌の悪いときは部屋に籠っていた。
折角同じ大学に行ったのに、姉と白井は別れてしまった。姉は母のせいだと責めていたが、母は男女交際そのものに否定的だったうえに、彼の発言を許していなかったので、一向に意に介していなかった。しかし、姉はきっと今でも知らないだろうが、母が白井を許していない理由がもう一つあった。
姉が高二か高三の頃だったと思うが、母は近所の人に呼び止められた。姉が同い年くらいの男の子と家に入って行ったのを目撃したと告げたのだ。ピンときた母は「ああ、従弟が遊びに来たんですよ」と言って誤魔化していたらしいが、きっと腹の中は煮えくり返っていたことだろう。母は、この事を生涯姉に言わなかった。母は、怒りが沸点に達すると、却って黙り込んでしまう癖があった。姉はきっと今でも、当時のボーイフレンドを家に連れ込んだのがバレたとは思っていない。もっとも、シャーリージャクソンの短編に出てくる「ストレンジワース」のように、近所の人が嘘をついている可能性もあるかもしれないが。
母が亡くなった現在、これは私だけが知っている秘密である。いや、妻には話したか。
(おわり)
さいごに
いかがだったでしょうか。今回は、姉の元カレの話が中心でした。姉は外ではリア充で、家の中では荒れているという生活をしていました。勉強はできたので、母は多少の事には目を瞑っていたのですが。この「勉強ができる子には、生活態度などは大目に見る」という母の教育方針も、今となっては疑問に思ってしまいます。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
