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うにっき帳 vol.10 |自分史編|アッチッチ、帰ろ!――茶碗蒸し一杯で家族崩壊!(1)


はじめに

こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.10を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。

今回は、二度目の自分史編です。自分史をエッセイのような形式でまとめました。
前回の自分史編は以下のようにあります。

上記の記事では、「暖かい気持ちになる」と嬉しい感想を頂きました。
しかし、今回の記事は気持ちにはならないと思います。

サブタイトルからして、重そうだと予想されるでしょうが、見る人が見れば重いかもしれません。私はどこか冷めたところがあるので当時から今に至るまであまり重いとは感じませんが。

うちの家族には、外からは見えない、問題点が多々隠れています。その問題点には、内側からいる私でも気づきませんでした。関係者の多くが鬼籍に入った今、この問題点をエピソードを交えて綴りながら、ついでに自分の人生を振り返ろうというのが、「うにっき帳」の目的の一つでもあります。

読者の皆様には、興味があるところだけにお付き合いくださればいいと思います。変わった一家なので、そこに共感するのは難しいかと思いますが、「へえ、こんな家族いるんだ」くらいの感覚で読んで頂ければと思います。
整理したいエピソードや代々伝わる話を書いていきますので、徐々に個々の登場人物のキャラクターや生き様が見えてくると思います。

では、始めます

ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。

  二〇〇〇年八月十五日頃 アッチッチ、帰ろ!――茶碗蒸し一杯で家族崩壊(1)


 あれは、おそらく二〇〇〇年だったと思う。八月は間違いない。十五日というのは怪しいが。

 場所は祖父母の家のある兵庫県の田舎町。猛烈な暑い日だったのははっきりしている。祖父が九八年三月に亡くなり、その三回忌の法要が行われたというので、二〇〇〇年で合っているとは思うが、一年ずれているのかもしれない。もっともその法要が三回忌というのが正しいのかどうかわからないが、母は「三回忌」と言っていたと思う。

 お寺で、お経をあげてもらい、私と従弟二人(兄妹でどちらも伯父の子どもで成人)の三人でタクシーを待った。法要の参加者である母と姉夫妻、伯父は先に車か何かで祖父母の家に向かったと思う。うだるような暑さの中、境内で一時間ほど待たされただろうか、迎えに行く寺を間違えたとタクシーの運転手は平身低頭して謝っていた。私は疲れ切っていたのと怒りで、タクシーの中で一言も口をきかなかった。従弟も黙っていた。

 食事会が開かれる祖父の家に着いたのは夕方だった。曲がりくねった枝ぶりの良い松の木を横目に玄関に入ると、檜の板が張られた玄関と一メールはある柱が僕らを出迎えた。現在入院していたか、動けなくて母のマンションに住んでいたかしていた祖母のフジが、いつも、ここを自分が建てたといつも自慢していたという。しかし母も、そして母から話を伝え聞いていた私も、その家は、亡くなった祖父が、クリニックを経営してできた家だと思っている。

 小児科医として、九十二まで働き、深夜の診察室で倒れた祖父。生涯現役だったのは、医師という仕事が好きだったからなのか、長男、つまり私の伯父の借金の保証人として働かざるを得なかったからなのか、今となっては知る由もない。祖母は専業主婦だったが、株の取引が上手く、かなりの儲けがあったと豪語していた。その割には、かつて株の指南役の男に騙されて、
「儲けは折半、損失は祖母が被る」
 という契約をして大損もしたらしい。しかしその事は祖母自身が語ることはなく、彼女は自分のお陰で八十坪の土地を買い、そこに自分が建築会社と共同設計した診療所と二階建ての住宅を建てられたのだと、成果だけを主張していた。   (つづく)

さいごに

今回は自分史ということで、一家の転機の一つとなったエピソードをまとめてみました。いかがだったでしょうか。今回のエピソードはやや長めになります。ご了承下さい。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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