うにっき帳 vol.58|自分史編|私の幼稚園の頃までの話(1)
はじめに
こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.58を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
今回は、自分史編です。自分史をエッセイのような形式でまとめています。
以前、掲載した「伝説の伯父さん」こちらです。
今回は、私自身の幼少時について話します。小さい頃の記憶は少なく(面倒臭がりだったので周囲に関心が低かったのでしょう)、もっと覚えておけばネタがいっぱいあったのにとは思います。でも、少しでもまとめる事で、自分の生き方を振り返るいい機会になるかなと思います。
では、始めます
ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。
一九七七年頃まで 私の幼稚園の頃までの話(1)
さて、家族や親戚の話ばかりでなく、そろそろ自分自身についての話に戻ろう。幼少時の話になるが、私が記憶しているのはごく僅かの事で、母から聞かされた話と合わせて物語を再構成しようと思う。
母は、私が二歳の頃に「ドブネズミ(略称:ドブ)」と呼んでいた夫と離婚した。その事実をはっきりと聞いたのは私が成人になってからだ。それまで母は適当な事を言っていた。「誰かに父親の事を訊かれたら『死んだ』と言っておけ」とか「肝臓がんで死んだ」などと毎回違う事を言っていた。私は父に関する記憶が全く無く、勿論顔も覚えていないので、ひねくれているからではなく、単純に知らない人だから会いたいとも思わなかった。私の人生の中で、初めから父は存在しなかったのだ。物心ついた時から母と姉と私の三人の生活が当たり前だったので、父親の居ない生活を変だとも思わなかった。その点、従弟は大きく成ってから伯父が突然出て行ったので、大変だったろうと思う。
私は父の苗字も知らなかった。ただ、五歳年長の姉の本に「なべしま」と書いてあったのを見て変だとは思った。変だとは思ったが、尋ねるほど興味があるわけでは無かったので、もしかしたら父の姓はこれだったのかなと思ったのかもしれない。
私が最初に覚えているのは、幼稚園に入る前に住んでいた神戸市の塩屋駅のすぐ近くにあるマンションの一室だ。三歳か四歳ではなかろうか? 横に細長いキッチン。広めのベランダにはプラスチックの跨って乗る足で蹴る車。座席の下は空洞になっていて、何か宝物を入れたかった私は、ティッシュペーパーを何枚か大切にそこに仕舞った。数日後、雨でぐしゃぐしゃになったティッシュペーパーを見て泣いた。母に慰めてもらおうと泣きながら駆け寄った。母はキッチンを走って逃げた。私が涙と鼻水で汚らしかったのだろう。
(つづく)
さいごに
いかがだったでしょうか。少ない記憶ですが、一部は鮮明です。やはり感情を動かされた日の事が覚えているようです。今後も思い出しながら語っていきます。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
