【小学校受験】ネット上に転がる学校格付けを参考にして俺が格付け表決定版を作るわ
格付け。
古来より、我々日本人はこの格付けという行為に、人生の半分くらいの情熱を注いできた。
そのルーツを辿れば、江戸時代の「相撲」に行き着く。
かつての人々は、ただ巨漢同士がぶつかり合うのを眺めるだけでは飽き足らず、そこに「東の正横綱」「西の大関」といった冷徹な序列を書き込んだ「番付表」を作り上げた。
それ以来、我々日本人のDNAには「あらゆる事象にラベルを貼り、棚に並べないと夜も眠れない」という呪いが刻まれている。
令和の現代においても、親族と団欒の時間を過ごす正月でさえ、我々はテレビにかじりつき、一流芸能人が高いワインと安いワインを飲み比べて悶絶する「格付けチェック」を、手に汗握りながら見守っている始末。
正解すれば「さすが」と称え、間違えれば「映す価値なし」と画面から消し去る。
その残酷なまでの選別作業に、我々日本人は言いようのないカタルシスを感じてしまうのだ。
そんな「格付け」の魔の手だが、実は聖域であるはずの子供たちの学び舎にまで伸びている。
「慶應幼稚舎はSティア」
「東洋英和女学院小学部は1日校でないからAティア」
「新興勢力の稲花はまだこの位置」
掲示板やSNSを覗けば、そこには倍率だけでは語れない、血の通った(あるいは血の凍った)主観と偏見が入り混じった「お受験番付」が格付けやらランキングやらといった形で乱立しているのだ。
それらは時に親たちの不安を煽り、時に虚栄心を満足させるための、極めて毒性の強いエンターテインメントとして機能している。
私は娘の受験を伴走していた際、それらありとあらゆる「格付け」を、血眼になって読み漁った。
色々と目を通して思ったのは、どの格付けも納得度に欠けるということだ。
万人が納得する形の内容でなければ、格付けの意味がない。
こうした状況を憂い、今回私が重い腰を上げ、戦いを終わらせるべく立ち上がることとした。
混沌としたネット上の情報をすべて飲み込み、咀嚼し、その上で「小学校受験における真の学校格付け」をここに定義しようと思う。
単なる倍率の比較ではない。
主観を完全に除外しながらも、学校の伝統、格式、親の属性、卒業後の無敵感、そして何より「その学校の制服を着て歩いている時に感じる優越感」。
全てを考慮した最終版だ。
いきなり発表してしまってもいいのだが、まずはネット上で見かけた格付け表を一緒に見ていこう。
1.YouTubeで見かけた格付け表
まずYouTubeから。
ご存知の方も多いと思うが、YouTubeはそのアルゴリズム上、自分が見た動画に関連しそうな動画を自動で出すことで、視聴者を飽きさせない仕組みになっている。
本番を控えた当時の私は、ことあるごとにYouTube上で色んな学校や受験情報を調べていた。
その結果、ある日息抜きにYouTubeショートを見ていると突然陽気な音楽とともにデカデカと表示されたのが以下の格付けだった。

動画内には格付けの根拠も書かれておらず、ただ無機質にランクと一緒に学校名が書いてあるだけの内容だ。
これではとてもじゃないが見た人は納得しない。
実際コメント欄を開いて見ても
「〇〇小学校と××小学校が△△小学校より上なわけないだろ笑」
「いや上だろ。ペーパーテストの難易度は確実に上」
のような不毛な争いが展開されている始末。
これは一重にランキングの尺度がないためだ。
尺度がないから、各人の世界観で尺度を勝手に設けて言い争いが起こってしまっている。
尺度を設けなかったという点でこの格付けは不完全なものと言える。
2.インターエデュで見かけた格付け表
お次は、私が愛してやまない「お受験界の地獄の釜」こと、インターエデュだ。
先日記事にしたようにインターエデュとは連日連夜、日々のお受験対応に疲れたお父様方とお母様方が、匿名性を盾にして日々レスバトルが繰り広げられる現代のコロッセオだ。
そんなインターエデュの深淵で、煮凝りのような執念とともに投稿されていた格付け表が以下だ。

この格付け表の作成主によると「尺度は模試判定・教室の見解を元にした難易度」とのことで、先ほどのYouTube格付けと比べると尺度定義もなされており、一見もっともらしいように見える。
ただ、肝心の難易度という尺度が人によってはバラバラなため、やはりコメント欄ではレスバが繰り広げられてしまっている。
「〇〇教室の模試を基準にするなら△△小学校はBティア」
「倍率も含めたら××はAティア」
「辞退率がわからないと倍率はわからないだろ」
「周りの状況を踏まえた想像のランキングだろ」
尺度を設けたとしても、「客観的な確からしさ」が担保されていなければ、このように空中戦になってしまう。
3.noteで見かけた格付け表
最後は、ここnoteで見かけた格付け表だ。
投稿主のライターさんは、お子さんが超難関校に合格された方らしく、「お教室の選び方」や「入塾すべきタイミング」など実践的な内容を多く書かれているようだ。
そんな記事群の中で「志望校の選び方」と題し、学校格付けについて言及されていた。内容は以下の通りだ。

記事主によると、この格付けは、倍率や伝統、評判、ブランド力、そして立地などをふまえて作成したとのことだ。
尺度についても「合格するための難易度」という一点に集中していたエデュのそれとは異なり、立地や世間の評判といった、親が実際に志望校を選ぶ際に直面する「肌感覚」に近い要素が盛り込まれているのが特徴だ。
実際、内容を読み込んでみると、単なる人気度の羅列ではなく、長年のリサーチと実体験に裏打ちされた独自の視点が光っている。
まさに「合格者の親が、後進のために自分なりの地図を提示した」という、極めて親切心に基づいた格付けと言えるだろう。
しかし、ここで一つ、格付けという行為が宿命的に抱える限界についても考えざるを得ない。
それは、これほどまでに精緻に分析された表であっても、やはり見る人の立場が変われば、その景色は一変してしまうという点だ。
例えば、伝統を重んじる家庭にとっては「ブランド力」こそが正義であり、共働きで利便性を追求する家庭にとっては「立地」が何よりも優先される。
作成者さんご自身も同様のことを記事内で言及されているが、ライターさんが提示した「正解」は、あくまで「ライターさんから見た正解」であって、万人の家庭に当てはまる「絶対的な真理」ではない。
万人にとっての正解となる格付け作りはこういった難しさがある。
真の格付け表とは?
さてこれまでYouTube、エデュ、そしてnoteとネット上のあらゆる「格付け」という名の情報の荒波をかき分けてきた。
それぞれに作成者の意図があり、信念があり、あるいは隠しきれない業があった。
一連の格付けを見て思ったのはどれほど客観性を装おうとも、どれほど複雑な尺度を設けようとも、格付けという行為には必ず「誰かの主観」という名のフィルターが介在してしまうという点だ。
Aさんにとっての最高は、Bさんにとっては妥協かもしれない。
そんな不確かなものを「真理」として振りかざすことに、一体どれほどの価値があるというのか。
私が求めたのは、そんな脆弱な相対評価ではない。
作成者の薄汚れた意図を極限まで排除し、対象への深い敬意と、全知全能の神が頷くほどの圧倒的な「真実」に到達した、唯一無二の格付け表である。
小学校受験という、もはや教育の域を超え、親子の魂を削り合う聖戦と化したこの世界。
その戦場で泥にまみれ、涙を流し、それでも前を向こうとする全ての人々を包み込むような、慈愛に満ちた結論。
それこそが、私が提示すべき「真の格付け」でなければならない。
私は、連日連夜の独自調査と、脳が焼き切れるほどの思索の果てに、ついに一つの「特異点」に到達した。
この表を前にして、反論できる者はこの世に一人として存在しないだろう。
それでは、刮目して見てほしい。
これが、迷走するお受験界に終止符を打つ、人類史上もっとも「完璧な」ティア表である。

ご覧の通りだ。
この世のすべての小学校は「優勝」ティアだ。
家族全員隣り合わせで走り抜け、時には深い落胆に涙し、また時には家族の確かな成長を痛いほどに刻みつけた、あの神聖な歳月の果てにようやく掴み取った学校、あるいは、人知を超えた縁に導かれて辿り着いた学校。
そこは、親子が血を吐くような思いで耕し、慈しんできた、いわば魂の置き所である。
そんな温もりの宿る場所に、部外者が優劣などという下品な物差しを突き立てること、それは教育という希望に対する冒涜であり、命を懸けて積み上げられた人間の営みに対する、許されざる不敬である。
どの学校にも、そこを守り続けてきた教師がいて、そこを愛する卒業生がいて、そして今まさに、ランドセルを背負って目を輝かせている子供たちがいる。
その輝きを「Aティア」だの「Cティア」だのと勝手にラベリングし、あまつさえネットの海に放流する行為。
それは、他人の家の宝物殿に土足で上がり込み、価値も分からないくせに「これは安物だね」と吐き捨てるような、救いようのない失礼極まりない振る舞いだ。
学校の格を決めるのは、ネットの格付け表ではない。
その門をくぐり、6年間を過ごす子供たちとその保護者だけだ。
小学校受験において格付けなんて不要だ。
格付けしたいんだったら、「やすこオリンピック」のように「みんな優勝でーす😃😃😃」でいいじゃないか。
なので改めていうが、全ての小学校は「優勝」ティア。
これが今回導き出した、万人に当てはまる学校格付けの最終解となる。
もしこの期に及んで「綺麗事ぬかしてんじゃねえよハゲ!」とか物申したいフワちゃんみたいなやつがいるならばこれだけは伝えておきたい。
格付けを作ること自体が誰かの聖域を土足で踏みにじり、尊厳を傷つけかねない可能性を秘めているのだ。
「格付け」のみならず「〇〇小学校以外は小学校受験の意味がない」と否定する行為も同罪だ。
この記事を書いたきっかけは、昨今Xで繰り広げられていた
「中受vs小受コスパ論争」だ
あるアカウントがポストした「中受させるんだったら、そもそも小受させてないと教育方針に一貫性がなくね?」という何気ない内容が、中受vs小受の様相を生み出してしまい、方々で言い争いが起こってしまった。
最初は「またなんかやってるわ笑」程度で眺めていたのだが、いろいろとポストを追っていくうちに「正直小学校受験をする価値があるのは〇〇小と××小だけ」というクソポストを見つけてしまい、どこか娘の進学先を否定されたような気分になり、ひどく悲しくなった。
その折、「そういえばこのゴミポストに限らず、自分が伴走していた時も、このようなネット上のノイズに惑わされて一喜一憂してたなあ」と思い出し、後続のご家庭のために何か行動できないかなと思い筆を取った次第だ。
これ以上、誰かが勝手に作り上げた歪な序列に、これから本番を迎えるご家族の尊い挑戦を汚させてはいけない。
今後嫌な気持ちをするご家庭が出てこないよう、この記事がなにかしらの抑止力につながるならば望外の喜びと思っている。
最後に、今この瞬間も、終わりの見えない不安の中で戦い続けているパパさんとママさんへ。
誰が何と言おうと、あなたが我が子を想い、悩み、共に歩んできたその時間こそが、何物にも代えがたい「格式」である。
外野の騒音に耳を貸す必要はない。
顔を上げ、誇りを持って、その最高の一歩を踏み出してほしい。
格付けという名の不毛な呪縛は、私が書いたこのクソ記事を読んだことで終わりにしよう。
みなさんによいご縁があることを願っている。
本記事における画像内では、画像の独り歩きを防ぐため、敢えて「あやしい」といった表現を使っています。
作成者を否定する意図はございませんので、その点ご理解いただけると幸いです。
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