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『小学校受験界の2ちゃんねる』こと「インターエデュ」の歩き方

世の中には「知らない方が幸せだったこと」が山ほどある。

例えば、別れた恋人の現在の幸福度や、愛用している歯ブラシの毛先に潜む細菌の数、そしてインターエデュだ。


インターエデュとは

そこは、2ちゃんねると聖母マリアが泥酔して殴り合った末に産み落とされたような、およそこの世の平穏とは無縁の匿名型電子掲示板である。

例えば、インターエデュの雙葉小学校掲示板を見てほしい。

一見すると、お受験に悩む保護者たちが情報を交換し合う、慈愛に満ちたコミュニティに見えるかもしれない。

だが、一歩足を踏み入れればそこは修羅の国だ。
「今年の倍率は?」「考査の服装は?」といった真っ当な質問のすぐ隣で、「あそこの幼稚園の軍団はマナーがなっていない」「合格したあの家は実は寄付金を積んだらしい」といった、真偽不明、根拠皆無、悪意100%の毒電波がビュンビュンと飛び交っている

匿名という免罪符を手にした「自称・関係者」や「合格者の母」たちが、有る事無い事、いや、無い事無い事までをも書き連ねる、情報の闇鍋。
それがインターエデュに対する印象だ。


インターエデュという伏魔殿に住まう魔物

この掲示板を観察していると、いくつかの決まった生態系に遭遇する。
今回いくつか紹介しよう。

1.通りすがりの卒業生

唐突に、それこそ霧の中から現れる亡霊のように現れ、「私の母校ではそんなことはありませんわ」と、30年前の化石のような記憶をソースに現代の受験や家庭学習を断罪する個体だ。

彼らの恐ろしいところは、時間の概念がバブル崩壊前で停止している点にある。本当に卒業生かどうかは定かではないが、情報の鮮度が命である受験界において、30年前の情報なんてものは「賞味期限が切れた牛乳」どころか「発掘された古代の壺」に近い。

それなのにもかかわらず、今でも「自分の実体験こそが宇宙の正解」と、イスラム原理主義も真っ青の鉄壁の論理展開を行い、スレッド全体を絶対零度の氷河期へと叩き込む。

「伝統」という言葉を盾に、現代の共働き家庭や通塾事情を「嘆かわしい」の一言で切り捨てるその姿は、どの学校掲示板にも必ず一人は生息している、絵に描いたようなおせっかいの権化である。

2.オーガニック

「我が家は特に何もせず、子供の自主性に任せて合格をいただきましたが……」という、嫌味の精製水のような書き出しから文章を始める投稿者だ。

一見、迷える子羊たちへの慈愛に満ちた「アドバイス」という立て付けで書かれているが、その実態は、精緻に計算されたただの自慢、いわばマウントのステルス戦闘機だ。

周りのご家庭が血反吐を吐きながらお教室に課金し、子供の語彙力を1ミリでも上げようと必死になっている横で、「うちは野山を駆け回っていただけです」とのたまう。

間違っても、彼ら・彼女らの投稿を見て、自分の教育方針を疑ったり、嫉妬の熱でスマホを握りつぶしたりする必要はない。

彼らの成功は、N=1のラッキーパンチに過ぎない。

再現性ゼロの戯言を真に受けるのは、宝くじに当たった人間の「無欲が勝利の秘訣です」というインタビューを信じて全財産を捨てるくらい愚かなことだ。

3.陰謀論者

合格発表後、特に補欠が回ってこない絶望が臨界点を超えた時に、この魔物は覚醒する。彼らの脳内では、小学校の入試担当者はフリーメイソン並みの巨大な陰謀組織へと変貌を遂げる。

「あの学校はコネがすべて。寄付金の額で合格者の椅子は決まっている」
「考査で見ているのは子供の知能ではなく、親が腕に巻いている時計のブランドと、その革ベルトの経年変化だ」
といった、SF小説も真っ青の陰謀論が爆誕する。

彼らにとって、不合格の理由は「子供の力不足」でも「縁がなかった」ことでもなく、「学校側の不正」や「目に見えない巨大な力」でなければならない。

そうしなければ、自分のアイデンティティが保てないからだ。

掲示板の片隅で「あそこの理事長とあの塾の代表は裏で繋がっている」と囁き続けるその姿は、小学校受験という名の熱病に冒された末路とも言える。

4.学歴コンプ

小学校受験の掲示板であるにもかかわらず、なぜか話が最終的に「東大合格者数」や「早慶への内部進学率」へと着地してしまう人種だ。

まだ6歳の子供に対して「この学校に入っても、結局外部受験で苦労するから意味がない」と、20年後の未来を勝手に絶望視して呪いをかける。

彼らにとって小学校は学び舎ではなく、単なる「最終学歴への滑走路」でしかない。偏差値という物差しでしか世界を測れない彼らは、伝統校の「心の教育」という言葉を「偏差値が足りない言い訳」と斬り捨て、スレッドを殺伐とした数字の羅列へと変えていくのだ。


インターエデュの正しい歩き方

では、我々はこの伏魔殿とどう付き合うべきか。

答えは一つ。
インターエデュの書き込みは真偽の不確かな個人的な主観に過ぎない」と割り切ることだ。

インターエデュにある情報には、確かに有用な情報も存在する。
例えば東京農大稲花小学校の補欠の繰り上がり数を学校法人東京農業大学の経営計画や入試報告会の情報から分析していた投稿には私も目を見張った。

インターエデュ 東京農業大学稲花小学校「2025年度入学試験」スレより

ただ、そのかすかな有用な情報を拾うために、あなたが精神を病むのはあまりにコスパが悪い。有用な情報の裏には、あまりに膨大な真偽不明の情報と思惑で溢れている。

画面の向こうで「慶應幼稚舎の合格者ですが」と書き込んでいる主が、実は中卒のニートであったり、ただの近所の偏屈な老人であったりする可能性だって低くない。

インターエデュは、あくまで「世の中にはこんなに必死で、こんなに狂っている親たちが自分以外にもいるのだ」という、ある種の安堵感を得るためのエンターテインメントとして消費すべきだ。
深淵を覗き込みすぎて、自分自身が「魔物」に成り果ててしまわないよう、常に正気という名の命綱を握っておかなければならない。

つまるところ、「へぇー、今年も誰かが暴れてるな」と、サファリパークの猛獣を眺めるような気持ちでブラウザを閉じるのが、インターエデュとの理想的な距離感の取り方だと思う。

インターエデュを3時間見るよりも、子供と一緒にどんぐりを拾いに行ったほうが、合格の可能性は上がるのではないかとすら思う。


インターエデュは、人間の欲望と不安が結晶化した鏡だ。
そこに書き込んでいるのは、あなたかもしれないし、あなたの隣で紺色のスーツを着て微笑んでいるあの人かもしれない。

もし、あなたがインターエデュを見て夜も眠れなくなっているのなら、今すぐブラウザを閉じ、ホット・ミルクでも飲んで、深呼吸をしてほしい。

大丈夫だ。
合格を決めるのは掲示板の名もなき住人ではなく、あなたと、あなたの目の前で一生懸命プリントに励むあなたの子供だ。

信じられるのは、インターエデュの書き込みではなく、積み上げたプリントの山だけだ。


説明会から考査本番までの流れをまとめた記事を書いてます。
事前に考査までの流れを疑似体験できるという点で参考になるのではないかな、と思いますので、もしご興味があればご覧ください。
(有料記事ですが途中までは無料で読むことができます)



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