小学校受験体験記シリーズ 白百合学園小学校
小学校受験体験記シリーズについて
本シリーズは、私が2025年の小学校受験の伴走の中で体験したことやその時感じたことを説明会〜考査本番までありのままに綴った記事群です
記事を通して、今後本番を迎えられるパパ・ママの皆様に先々に待ち受けるイベントを疑似体験してもらい、少しでも心の準備に繋げて貰えればと思い執筆しています
諸事情から本番以降は有料設定してますが、本番までは無料で読めますのでぜひご参考にしていただければと思います
※本番を迎えるまでの娘の成績は以下をご参照ください!
手のひらサイズの青いクーピー
白百合学園小学校の考査を終えて戻ってきた娘が、最初に報告してきたのは出題の内容ではなかった。
緊張したとか、できたとか、できなかったとか、そういう話でもなかった。
「クーピーが短くて、持ちにくかった」
青いクーピーである。
白百合学園小学校の考査では、筆記用具として青いクーピーが配られる。これ自体は受験界隈ではよく知られた話だ。
ただ、配られるのは新品ではない。
使用済みの、使い込まれたクーピーだ。
娘いわく、それが「手のひらに収まるくらい」短かったらしい。
天下の白百合学園である。
創立百年を超える伝統校である。
その学校が、考査という一年で一番大事な日に、わざわざ使い古しの短いクーピーを配る。
なぜなのか。
実はその答えらしきものに、僕はこの一年間で三回すれ違っていた。
2月に1回、9月に1回、そして11月1日、考査当日に1回。
ただ、三回目に娘の口から「クーピー」という単語が出てくるまで、それらが一本の線でつながっていることに気づいていなかった。
白百合の受験体験記は言わば、その線をたどり直す話だ。
白百合学園と意外な接点のある宝塚歌劇団について真面目に語ったこちらの記事も是非ご覧ください!
白百合学園小学校を知ったきっかけ
これは模試振りシリーズの最初の方でも伝えている通りだけれども、我が家が小学校受験を決めた当初、視野に入っていたのは慶應幼稚舎、早実初等部、雙葉、といった学校だけだった。
つまり、誰でも名前を知っている学校である。
ようは、何も分かっていなかったのである。
小学校受験の世界には百校近い私立小学校があるのだが、当時の僕が知っていたのは解像度はミーハーのそれであった。
転機は、通っていた伸芽会の先生の一言だった。
「◯◯ちゃんは、白百合も合うと思います」
白百合。
名前は知っている。
だが、それまで選択肢として考えたことは一度もなかった。
この一言で、白百合学園小学校の受験を意識するようになった。
そして気づくと、白百合は我が家の本命になっていた。
理由を正直に書くと、当時の妻と私の間には「雙葉はめちゃめちゃ難しい。だからうちの子の場合は白百合かな」というよくわからない思い込みがあったからだ。
いま読み返しても根拠がよく分からない。
はっきり言ってどっちもレベルが高い。どっちも最難関である。
「エベレストは大変そうだからK2にしよう」くらいの判断である。
どっちがエベレストだとかそういう意図はないが、当時の私たちは大真面目にそう考えていた。
親の解像度はその程度。
その解像度が、学校に足を運ぶたびに少しずつ上がっていくことになる。
(2月ごろ)学校展覧会に行く
白百合学園小学校と我が家の最初の接点は、二月の展覧会だった。
説明会より先に展覧会に行った理由は、単純に、年間スケジュール上いちばん最初にあった行事が展覧会だったからだ。
そしてこれが、うちにとって記念すべき「初めての学校訪問」になった。
他校をまだ一校も見ていない、いわばN=1の状態である。
比較対象ゼロ。すべてが初めて。
だからこの日のことは妙に細かく覚えている。
確かこの日は九段下から行った。
自宅からの動線上飯田橋よりも九段下の方が都合が良いからだ。
九段下の駅から坂を上がる。
銀杏がいっぱい落ちていて、くさい。
くさいな、と思いながら歩いた。
それから、白百合の子たちは登下校のとき、この銀杏を踏まないように歩いたりしているのだろうか、という、よく分からない想像をした。
想像は自由である。
坂の途中、視界の目の前に靖国神社が現れる。
鳥居がとにかく大きい。
実物を見たことがなかったので、「え、鳥居ってこんなに大きいのか」と素直に驚いた。そういえば、白百合学園小学校の象徴である黄色い傘をさした子どもたちが、靖国神社の参道を歩いている写真をどこかで見たことがあった。九段下と靖国神社と黄色い傘。このあたり一帯が、白百合の子たちの日常の風景なのだ。
服装はスーツで行った。
ただし、この時点ではまだ「お受験用」の濃紺スーツは用意しておらず、仕事でも着ている普通のスーツである。
今思えばこの装備の中途半端さが、当時のうちの立ち位置をよく表している。
会場に着くと、思いがけない事態が起きた。
同じ幼稚園に通う、同じく小学校受験予定の子と鉢合わせたのである。
しかも、その子も白百合を考えている。
子ども同士は当然、会った瞬間に大はしゃぎである。
娘のテンションが一気に上がる。
私は焦った。
こういう様子も、どこかで見られているかもしれない。
誰が見ているという確証はない。
ないのだが、受験を控えた親というのは、校内のすべての大人が試験官に見えるのである。
私は娘に「今日はあんまり一緒に行動しないようにしようね」と声をかけ、意識的にその親子と物理的な距離を取った。
仲良しの友達と引き離される娘。
挙動不審に距離を取る父。
冷静に書き起こすとだいぶ感じの悪い父親だが、当時は必死だった。
さて、肝心の展覧会である。
館内の混雑はそこそこ、という程度。
そのなかで、私がいまでもはっきり覚えている展示が一つある。
六年生の提示であった「わたしとランドセル」だ。
三月に卒業していく六年生たちが、六年間使ったランドセルを絵に描く。
絵にすることで、ランドセルに「ありがとう」を伝える。
そういう趣旨の展示だった。
使い込まれたランドセルが、一枚一枚、丁寧に描かれている。
物に感謝を伝えるために、絵を描く。
ユニークだな、と思った。
面白いな、とも思った。
そして、うまく言語化できないのだが、たぶんこれが白百合の教育方針と、どこか深いところでつながっているんだろうな、となんとなく思った。
「なんとなく」である。
この時点では、まだなんとなくでしかなかった。
一方その頃、娘は何をしていたかというと、一年生の作品コーナーにあったビー玉の創作物でずっと遊んでいた。ランドセルの絵は特に見ていない。
楽しかったのはビー玉である。
それでいい。
年中さんの二月なんてそんなものだ。
もう一つ、この日の校内で見たものとして非常に印象に残っているのが、廊下の掲示物だった。
「わたしの十戒」。
モーセの十戒になぞらえて、子どもたちが「自分はこれをします」という宣言を書く掲示である。カトリック校らしい企画だ。
ほほえましい内容を想像するだろう。私も想像した。
書いてあったのは、こうだ。
「SDGsを意識して行動する」
「将来の人のために行動する」
小学生である。
僕が小学生の頃の目標はたしか「一年間半袖で登校する」だ。
視座が違う。
地球規模である。未来規模である。
おそらく、日々の教育の中でそういう視点を持つよう導かれているのだろう。
子どもたちの視座の高さに驚いたこの掲示のことは、実際に我が家の願書にも書いた。それくらい掲示物を見た際に印象に残った。
帰り道、夫婦で特別何かを話し合った記憶はない。
ただ、一つだけ感じたことがある。
今回初めて私立小学校に訪問したが、それまで私立小学校というものに、私はもっとピカピカした、新しい施設のイメージを勝手に持っていた。
白百合は違った。
よく言えば、歴史を感じる校舎だった。
九段下のあの敷地にできて約百年経つ学校である。
ピカピカである必要は、たぶん最初からないのだ。
(5月ごろ)学校説明会に行く
5月、学校説明会があった。
まず申込が大変だった。
予約枠が、開始から1分を待たずして埋まったのである。
1分。人気アーティストのチケットか。
申込開始時刻の前からパソコンの前に構えておき、時報とともにクリックする。この構えができていない家庭は、その時点で説明会に参加できない。
白百合学園小学校の人気を、校門をくぐる前に思い知らされた。
今回この説明会に参加したのは妻である。
僕は仕事の都合で行けなかった。
よって、ここから先は妻からの報告に基づく。
父親視点の体験記と銘打っておきながらいきなり伝聞で申し訳ないのだが、この伝聞の中に、今年度の白百合を象徴する場面があったので書いておきたい。
白百合学園小学校の校訓は「従順・勤勉・愛徳」であることは、読者のみなさんもご存じの通りかと思うが、説明会の中で、先生がこう言ったらしい。
「今年は、特に勤勉に力を入れています」
その瞬間。
会場の保護者たちのペンが、一斉に走った。
一斉に、である。
妻はその光景がいちばん印象に残ったと言っていた。
数百人の保護者が、同じ一言で、同時にメモを取る。
書いている内容はおそらく全員同じだ。
「今年→勤勉」。
笑い話のようだが、他人事ではない。
帰宅して報告を受けた私も、真っ先に考えたことは「ということは、願書は勤勉を軸に書かなければいけないのか?」だった。
私のペンも、時間差で走ったのである。
この「勤勉」問題は、のちの願書パートで再び頭を悩ませることになる。
(6月ごろ)公開授業に行く
6月、授業公開に行った。
今度は僕も参加である。
在校生たちの、普段の授業をうしろから見学できる行事だ。
最初に見たのは図工だった。
ここで、私の思い込みが一つ崩れる。
白百合学園小学校の子というのは、きっと全員おしとやかで、物静かで、しずしずと歩くお嬢様なのだろうと勝手に思っていた。
全然そんなことはなかった。
良くも悪くも、小学一年生らしい教室だった。
元気で、活発で、にぎやかで、キャッキャしている。
普通の、健康な一年生たちである。
考えてみれば当たり前なのだが、この「当たり前」を自分の目で確認できたのは大きかった。
次にフランス語の授業を見た。
白百合といえばフランス語である。どんな高尚な授業なのかと身構えていたが、雰囲気としては、よくある「ネイティブの先生が来て英語で楽しく話す授業」のフランス語版、という感じだった。
みんな楽しそうだった。それでいい。
算数は、割り算の筆算を扱っていた。児童がiPadを使っている。伝統校のイメージからは意外だったが、ICT教育もしっかりやっているようだ。
歴史ある校舎の中でタブレットが動いている。
そして理科である。
この日いちばん、いや、もしかするとこの一年の学校見学全体でいちばん印象に残った授業が、この理科だった。
テーマはこうだ。
「砂場に水たまりがないのはなぜ?」
雨が降ると、校庭には水たまりができる。でも砂場にはできない。なぜだろう。それをみんなで考えましょう、という授業である。
子どもたちがまず仮説を立てる。
「水はけがよくて、流れていったから」
「砂が水を吸収しているから」
いろいろな仮説が出る。
次に実験だ。
水槽の中に、砂を詰めたペットボトルが用意されていて、そこに水を流し込む。砂が水を吸い込んでいく様子を、子どもたちが観察する。
そして検証する。
「自分の仮説のうち、一つが正しかった」ことを、自分の目で確かめる。
事実を集める。
仮説を立てる。
検証する。
新卒一年目が入社時研修で習うようなフローを、白百合の子たちは理科の授業の中で、当たり前のように回していた。
ここで、私の思い込みがもう一つ崩れた。
二つ目である。
女子校、カトリック、フランス語。
そうしたイメージから、私は白百合をなんとなく「文系の学校」だと思い込んでいた。
全然そんなことはない。
調べてみれば医学部への進学者も多く輩出している学校である。
理系教育に、明確に力を入れている。
仮説と検証の授業は、その入り口だったのだ。

出所:白百合学園中学高等学校HP
見学を終えて、自分に一つ問いかけてみた。
うちの娘がここにいる姿を、想像できたか。
答えを言うと「できた」。
それは娘がどうこうという話ではなく、児童たちの側の話である。
誰とでも友達になれそうな、活発で屈託のない子たちが多いと感じたからこそ、「うちの子はここではやっていけないかもしれない」というネガティブな想像を、しなくて済んだのだ。
(9月ごろ)学校見学会に行く
9月、学校見学会に行った。
6月の授業公開との違いを説明しておくと、授業公開は「普段の授業を傍から見る」行事であるのに対し、見学会は「在校生が、受験生の親子を迎えてもてなしてくれる」行事である。
つまり、白百合の子どもたちと直接ふれあえる。
まず、図書室で足が止まった。
白百合には「選定図書」という仕組みがあるようだ。
学年ごとに必ず読む本が指定されているのだ。
その冊数を見て驚いた。
1年生、44冊。
多い。年間44冊である。
ちなみに3・4年生は36冊、5・6年生は18冊。
学年が上がるごとに冊数は減っていくのだが、代わりに一冊あたりの分量がどんどん厚くなるよう設計されている。
冊数で読む習慣をつけ、次第に読む力そのものを育てる。
読書を推奨している、というレベルではない。読書を仕組みにしている。
もう一つ、選ばれている本のテーマにも特徴があった。
戦争や平和に関する本が、多く選ばれているのだ。
読書の中でも、心の教育をしようとしているのだと感じた。
教室では、「二学期のめあて」の掲示を見た。
「困っていたら助け合おう」
「大丈夫? と声をかけよう」
助け合いの精神が、教室の掲示という何気ないところに表れている。
このあたりは白百合らしい、カトリックの学校らしいところだと思った。
そして、この日のハイライトである。
算数のコーナーに、パズルで目標の形を作る、という体験ブースがあった。担当してくれていたのはたしか5年生たちだ。
会場には、受験生の子どもたちがわーっと群がっている。
有象無象である。うちの娘もその有象無象の一員である。
そこに5年生が、子ども二人に一人くらいの割合でついてくれる。
「何ができた?」
「すごい!」
「きれいにできたね」
声をかけ続けてくれる。
それだけではない。
子どもが席に着こうとすると、すっと椅子を引いてくれるのである。
5年生が、である。
十歳かそこらの子が、初対面のちびっこたちに、声をかけ、褒め、椅子を引く。
年下をリードする、お姉さんとしての立ち居振る舞い。
それが染みついている。
この五年生たちの姿は、この日見たどの掲示物よりも雄弁だった。
最後にもう一つ。図工室で見た掲示の話をさせてほしい。
ごみ箱の上に、こう書いてあった。
「待って、そのまま捨てていいの?」
続けて、まだ使えるところがないか。
使えないなら、小さく畳んで捨てて、ごみ箱にたくさん入るようにしよう。
そういう趣旨のことが書いてある。
ごみ箱の掲示である。
学校の主役では、決してない場所である。
そんなところにまで、物を最後まで使い切るための問いかけが仕込まれている。日常のすみずみで、環境への視点、物への視点を持てるように誘導されている。
いいな、と思った。
思ったのだが、このときの私はまだ、この掲示を「いい掲示」として消費しただけだった。二月のランドセルの絵と、このごみ箱の掲示がつながっていることに、そしてその線の先に何が待っているかに、気づいていなかった。
(9月~10月ごろ)願書に苦戦する
見学会と面接の間に、避けて通れない工程がある。
願書である。
先に言っておくと、うちが出願した学校の中で、願書にいちばん苦労したのは白百合だった。
白百合の願書には、明確な特徴がある。
志望理由の欄が、めちゃめちゃに狭いのだ。
書きたいことは、この時点で山ほどある。
ランドセルの絵。十戒の掲示。仮説と検証の理科。椅子を引く五年生。一年かけて集めてきた「白百合を志望する理由」たち。
ところが、欄がそれを許してくれない。
教室では「”志望理由”等の区分け文のフォントサイズよりも小さい文字で書かないように」と指導されていたので、これを守ろうとするとめちゃめちゃに文字間を埋めても250字が精一杯だ。
全部は書けない。
では、どれを書くのか。どれを捨てるのか。
しかも5月の説明会で例の一言を聞いている。
「今年は勤勉に力を入れています」。
あの日、会場のペンを一斉に走らせた一言だ。
勤勉を軸にすべきなのか。しかし勤勉を軸にした願書は、おそらく今年、何百通も届く。あのペンの数だけ届く。
悩みに悩んだ末、うちの願書は次の構成に落ち着いた。
・娘の将来像
・学校に対する認識
・それを裏付ける具体的なエピソード
・最後にもう一度、志願理由で締める
将来像から入り、学校で実際に見たものを具体的に書き、志望に着地する。狭い欄で「見に行った家庭にしか書けないこと」を書く。
それが、悩んだ末のうちの結論だった。
(10月ごろ)面接に臨む
10月、事前面接である。
我が家は雙葉との併願である。
ここら辺は別記事でもお伝えした通りだが、両校の日程をやりくりするために、白百合の出願をぎりぎりまで引っ張る、という戦略を取った。
締切直前に出す。
これ以上遅らせたら間に合わない、という崖っぷちのタイミングで出願した。
面接は受験番号順に行われるため、会場に行くと自分と同じような戦略をとった家庭と鉢合わせることになるのだが、控室について受験番号を見渡して、私は驚くことになる。
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学校別受験体験記シリーズ(まとめ読み用)
各学校の説明会から本番に至るまでに感じたことをまとめた記事群です。本番以降有料としてる部分についてまとめてお読みいただけます。
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