旅行で大江健三郎を読む
去年「50冊読む」と宣った記憶がある。結局21冊しか読んでいない。卒論を書くために論文を読んでいたし、資格の勉強もしたし、就活もしたし、と言い訳をして書き始める。どんなものでも、目標が達せられないのは悔しい。
ほんの少ししか読んでないけれど、印象深い本は確かに存在する。今回はその1冊として、大江健三郎の『親密な手紙』を紹介する。本当は「お気に入りの本n選!」とか言って、何冊も本を紹介するnoteを書くつもりだったが、楽しくなってしまって1冊分だけで十分な長さになった。
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7月の上旬、関西に2泊3日で旅行に行った。久々に本を読もうと思った時、神戸の喜久屋書店で買ったのが『親密な手紙』だ。
少し前におかえりさんの「【読書泊のしおり】心地よく本に浸る旅」というnoteを読んでいて、旅行先で本を読むことについて、気にかけてはいた。しかしスマホがあるし、ハマっているゲームもあるしで、旅行先に本は持って行かなかった。
2日目の朝、喋る人がいないといないで面白くないな、ということに気が付く。1日目は風景と会話するような気持ちで在ったが、2日目は風景側が私との会話に退屈しているような気がした(???)。そこで本を買うことにした。丁度大学での実験協力のお礼ということで図書カードを貰っていたのも、本を買う誘因となった。
大江健三郎にしたのは、ゼミの先生が取り上げていたからだ。「嫌な奴ではないんだけど、言いがかりをつけたくなる」。それがどんな文章なのか気になっていた。また、「手紙」という題材も気に入った。
手紙というものは、開けるまで内容が把握されていない。しかし手紙があるということ自体が意味を持つ。そういう話を1年生の時、文学部の先生にされた。それが自分の存在に関わるように思われ(?)、忘れられなかった。
本は面白く、また細かく章立てされていたので旅先でも読みやすく、大変良かった。『親密なSNS』というタイトルで文章を書こうかな、と思うほど、手紙の扱いは今日とは異なるものだった。
中でも「衿子さんの不思議」という文章が好きだった。「衿子さん」とは、童話作家・詩人の岸田衿子のことである。岸田衿子の、世界から片足浮いたような詩が好きだが、それが彼女の現実生活の風合いと同じであることが分かった気がした。それは大江健三郎のように、直接会った人が描いたものでもいいし、会ってない人が色々と類推するのでも良い。人が色々な角度からスケッチされ、自分の中で濃い影を残す瞬間がたまらない。『親密な手紙』にはそういう文章が他にも沢山あった(武満徹やサイード、渡辺一夫等)。
(『太宰治の辞書』、高校を卒業してからずっと読みたいのに、ずっと読めていない!売っているのを見たことが無い、泣)
本を買ったことによる、ラッキーなこともあった。最終日に万博に行くことになっていた。事前の下調べが足りず、前日の夜になって、万博には紙のマップが無いことを知った。スマホの充電が無くなると困る中、本を持っていたのは時間を潰す良い手立てとなった。また、紙のカバーにスタンプを押し、記念とすることもできた。
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「難しい」本を読むことは半ば諦めている。難しい本を読むのには若さというか、一点突破の集中力というか、そういうものが必要に思う。自分の生活ではその集中力は歌に使われており、本にもエネルギーを割くことはできない気がする。怠惰か。怠惰だな。今度、自分の中で「難しい」と思っている本に一点突破の集中力を使ってみてからまた考えよう。
↑うろ覚えで大変恐縮だが、浅田魔王さんが「ナニクソみたいな気持ちで難しい本を読んでた」みたいなことを言っていた気がする。ちょっと探したけれど見つからず、私が寝ている間に無理やり作った記憶かもしれない。
旅先で本を読むのは非常に良かった。旅の記憶と本の記憶が結びつき、暑かったはずが、本を読んだ時の記憶だけやけに涼しげに感じる。脳がクリアになっていく感覚が、涼しさという記憶に結び付いているのかもしれない。
来年も3月までなら心置きなく「読書旅」できるはずだし、また1人で出かけたいな、と思いながら、本の表紙を眺めている。
