No.1542 昔の光 今いずこ
その昔、といっても昭和の頃には、ここには1棟に40家族が住める5階建ての社宅が3棟建っていました。各棟の間には大きなサクラの木が植えられており、入居者の子どもたちの入学や卒業や、新社会人の入社式を満開の花で祝ったことでしょう。企業の有する団地として、数十年にわたり多くの家族を受け入れて来たのでしょうが、その社宅も使命を終えたのか、桜の木が伐採され、団地が壊され、今は画像のように更地になりました。
どれくらいの広さだったのだろうと歩測しました。130歩✕170歩でした。私の1歩は65cm幅ですから84,5m✕110,5m=9337,25平方メートルです。坪数に直すと、約2,830坪ということになるのでしょうか?計算は、合っていますか?
大分の町中から車で15分ほど離れた、静かな住宅地の一角です。近くにスーパーマーケットも、簡易郵便局も、病院も小学校もあります。住環境としては過ごしやすいのではないかと思います。これだけの広さですから、畑としての利用は考えにくく思われます。どんな建物が現れ、どんな人が住み始めるのか興味深く見守っているところです。
それにしても、ここのソメイヨシノには、毎春、目を休ませ、足を止めさせて貰いました。住人がいなくなってからも、毎年春を忘れることはありませんでした。
「お前も頑張っているな!」
と声を掛けたくなるような桜だったことは、近所の人々の共通の思いだったことでしょう。
今から40年も前の1984年3月初め、福岡市南区桧原地区に植えられていた樹齢50年の桜の木9本が、道路の拡幅工事により伐採されることになりました。1本が伐採された翌日の朝、1人の住民が桜の木に短歌を結びました。
筑前花守り 進藤市長殿
「花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花をゆるし給え」
「せめてあと20日間、最後の開花を許して」との願いを歌にして桜の木に掲げたのです。この短歌が、散歩していた別の住民の目に留まり、それをきっかけにマスコミに大きく取り上げられ、たくさんの短歌が桜の枝につり下げられました。
「桜花惜しむ 大和心の うるわしや とわに匂わん 花の心は」
後に、当時の福岡市長・進藤一馬氏の返歌であることがわかりました。その後、道路拡幅計画は一部変更され、8本の桜が伐採を免れました。現在、一帯は「桧原桜公園」として整備され、地域の人々の憩いの場となっています。
桜には、こんな感動のエピソードもありましたが、多くは人の都合で植樹され、人の都合で切り倒されてしまいます。近くの団地の桜もそうでした。無常観そのものの世界がそこにはありました。昔の光をとどめることもなく。
