【読書記録】時代が変われば書けなくなるもの『火山のふもとで』
2025.7.25 松家仁之さんの『火山のふもとで』を、
冷房の効いたカフェでコーヒーシェイクを飲みながら読んだ。
外は夏。真夏だった。
ひとことで、あえて言うなら「きれい」な小説。
漢字で書く「綺麗」じゃなくて、丸みを帯びたひらがなで書く「きれい」って感じ。
き、れ、い
口の中で硬い音が生まれる「き」が先頭にきて、
その後に、私の中にはない人工的な、ステンドグラスみたいな美しさをもつ「れい」が続く
時代設定的に、数十年前の日本が舞台だから、
どこか現実から遠く離れた場所にある気がして、
そういう雰囲気もあいまって、私は「きれい」な小説だと思った。
きっと、次の日の自分にさえ伝わらない例えだけどね。
読者を飽きさせない仕掛けとか、
張り巡らされた伏線を華麗にラスト数ページで回収とか、そういう類の面白さじゃなくて、
そこにいる人たちの人生を透明人間になってそっくり見せてもらった気分。
言葉にしない、容易に輪郭を与えない、
息遣いだけで相手の感情や意図を推しはかる感じ。
お互いのどこにまで踏み込むか、探る感じが
とても私たちと地続きの場所にいてくれる登場人物と思わせてくれた。
現実の日本人なんて、
滅多に怒りの感情を誰かにぶつけたりしない。
だから、感情を露わにして物語を進めるような小説の登場人物は
「作られた人」として
画面越しに見る俳優のように思える時もあるけど、
この小説の登場人物は、そういった意味でとても自然体でニュートラルだと感じた。
主人公を飲み込むような邪悪さも、
どんでん返しもないけど、
日常は少しずつ変わっていくように、
小説も少しずつ足を進めていく。
大波乱も、感情のジェットコースターもない
そして、それこそが一番リアルだと。
松家さんの本は初めて読んだ。
2024年に文庫化されて、
あらすじのところに「鮮烈なデビュー作」と書いてあったから、
てっきり最近デビューした若手の新人さんかと思ったら、親よりも一回りくらい年上の方だった。
だから、小説に流れる雰囲気はこうなのか、と納得。
若い作家さんを想像しながら読んでたから、
若い世代がここまでこの時代の雰囲気を出せるなんて、
すごい才能だ、ってびっくりしてたけど、その時代をちゃんと生きてたからでした。
きっと昭和世代、平成世代、令和世代で読んできたものの質は
かなり違うんだろうなって、松家さんの文章を読んでふと思った。
SNSで流れてくる短い文ばかりを目にしている平成後半から令和の人々は、
どうやっても昭和世代の書く文章に近づけないんだろうな。
どっちがいいとか、劣ってるとかじゃなくて。
飼料によってミルクの質が変わるように、
時代の中で多量摂取する言葉はいったいどこ生まれの、どんなものなのか。
それがまるきり違う世代の文章を読むのは、面白くもあり、
もうそれを書ける人がいない時代になっているのではっていう、切なさもあり。
公衆電話で、話をするシーンが登場する。
百円を入れて、それでも足りなくて財布にあった最後の十円玉を投入する。
小銭がなくなって電話が切れたことなんて、今まで経験したことないよ。
そんな切ない瞬間なんて、知らないよ。
その時代に生きた人しか書けないことって、
確実にある。
そう思わされた。
すごくさらさらした文章で、レモン水みたいな小説だった。
きっと、この先
何度も本棚に並べられたこの本の背表紙を眺めては、
彼らと過ごした夏の家の静謐を味わっては、
冬の焚き火を思い返して、
そして、「先生」を思ってはちょっぴり切ない気持ちになるんだと思う。
