SNSと読書。
身近で手軽にできる、1番ダサい行為を考えてみた。
匿名SNSで何か誰か、言っていることをオンラインでさらに何か言うこと。
今から自分が書くことはこれに該当する。
ほんのり自己嫌悪しつつ、何か残しておきたい気持ちが今は強いから書いてみる。
でも自分の自分だけの意見を持つほどのことはないので、最近読んだ本たちに絡めて。
ダサい、という言葉にぴったりの新書を読んだ。
何がダサいを決めるのか
「何がダサいを決めるのか?」
という新書タイトル。こっわー。何がダサいのだろう?
この本はファッションセンスのダサさをテーマにした新書である。
私はいま「モスラ」がプリントされたTシャツを着ている。これがダサいわけがないと確信している。だってモスラだよ?
前に読んだ新書
「東大ファッション論集中講義」
コレの著者の新しい新書である。面白かったような思い出がある。
信頼を寄せて、何がダサいか決めて欲しい。
おじさんパーカーはダサい。
この本では昨今SNSは洋服・ファッションで炎上しているという持論をもとに、話を始める…
代表例として「おじさんのパーカーはダサい」とかなんとか、そんな話。
誰かがそんな投稿をして、それを、ホリエモンとかひろゆきが何か言ったとか。

この本だけの話じゃないけど…
「SNSで◎◎と言っていた」「SNSで炎上していた」この手の現象を解説してくる本。
読者との距離を縮めたり、共感を担うために、あえてトピックスとして挙げているのだと一定の理解を示しつつ…個人的には強烈に読む気をなくしてしまう。
SNSのワン投稿を、さも世論、世の中の大問題のように扱うのが“炎上”の本質だと思う。
SNSが嫌い、嫌い、大嫌い!という訳じゃない、こうして私も見ている、眺めている…
ただ、本を読む、という行為の最中は世界との接点を持つと同時に、世間と断絶する行為だと思うのだ。
接点を持ちたいことは、遠くの社会課題、地底深くの鉱物、潜れない海の奇妙な魚、月の裏側。
およそ、自分では辿り着けない多くの知識にアクセスできるのが本の良いところ。
しかもその道の研究者が真面目に堂々と万を超える文字で。
断絶したいのは、みなまで云わなくても分かってもらえると信じているけど
パーカーがダサい、について、あいつがどういったこういったという話。そういう話。
本の結論を雑に書くと“ダサい”という規定は「こうあるべき論」から逸脱することと書かれている。
この“べき論”を蹴飛ばし自由なスタイルを個人が選ぶことでファッションは発展してきたという学びが書いてあった。
そう思う。
「おじさんはパーカーじゃなくて、しっかりシャツとかを着る“べき”」
があるなら、おじさんは積極的にパーカーを着て、一泡ふかせてやれ!!
あと、今電車に乗っているが目の前のおじちゃんのズボンのおしりが破れている。
これがファッションである。
女性解放思想の歩み
自分ひとりではアクセスできない学びへの本。
「女性解放思想の歩み」恐ろしく良い本だった。
内なる天秤を育むための、自分の半径ではアクセスできない思想史。
女性解放思想がどのように歩みを辿って、いまの地域や家族や学校、コーポレートガバナンス、インティマシー・コーディネーターという仕事が産まれたのか?
SNSの話に戻すと…
佐藤二朗さんと橋本愛さんの職場トラブルの記事と、そこにぶら下がるコメントを見た。
佐藤二朗さんと橋本愛さんのことは知らないので当事者の話には何も言うことはないのだけど…
コメントに溢れる敵・味方の白黒二元論。
ミソジニーを隠す気もない、物申す女性への嫌悪も目についた。
SNSの凄味だし、SNSの奥には血の通った人間がいる。
分断と排除の人類史
敵と味方。
どっちが善でどっちが悪であるというムーヴ、脳死の所業について深掘りしている本も読んだ。
「分断と排除の人類史」
どうしてこういう、分裂が生まれるのか?について古代の人類の生き残り戦略であると書いてあった。
脆弱な人類は部族を作り団結しないと過酷な自然環境を生き残るのが困難であった。
そんな人類史が綴られていた。
狩猟採集社会では機能していた「部族意識」がグローバルで、高速で通信可能な、でっかいでっかい世界を生きる、私たちにもたらしたのは不毛とも思える、排除と分断。そんな結論。
ちなみに、この本はドライバリズムの一例としてスターウォーズ:マンダロリアンを例に説明してくれていた。
スターウォーズファンにも必見の、ナイスブックだった。
