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フランス王アンリ2世と馬上槍試合(トーナメント)

1559年6月、フランス王アンリ2世は平和条約と祝賀を記念する馬上槍試合(トーナメント)に出場しました。その際、スコットランド衛隊長モンゴメリー伯の槍が折れ、その破片が王の兜のバイザー(面頬)を突き破って右目から脳へと深く突き刺さる致命的な事故が起きました。

この事故による具体的な経緯とその後は以下の通りです。

  • 事故の瞬間: 当初、王は相手をやり過ごすつもりでしたが、もう一度だけ勝負をしたいと要求。折れた槍の破片がアンリ2世の顔面を直撃しました。

  • 懸命な治療: 著名な外科医アンブロワーズ・パレ や解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスらが治療にあたりましたが、脳に木片が残ったことで感染症(敗血症や脳膿瘍など)を引き起こしました。

  • 崩御: 10日間の苦しみの末、1559年7月10日に40歳で亡くなりました。

このショッキングな王の死は、貴族たちの間で「命を落とす危険な遊び」としてのトーナメントの衰退を決定づけ、中世の騎士道精神の一つの終焉を象徴する出来事として歴史に刻まれています。

フランス王アンリ2世の生涯

フランス王アンリ2世(在位:1547年 - 1559年)は、ヴァロワ朝第10代のフランス国王です。父フランソワ1世の政策を引き継ぎ、ハプスブルク家とのイタリア戦争を継続しつつ、カトー・カンブレジ条約を結んで講和しました。在位中の1559年、騎馬槍試合での不慮の事故により、40歳で悲劇的な最期を遂げました。

アンリ2世の治世と生涯の主な詳細は以下の通りです。

人物と治世のハイライト

  • イタリア戦争と和約: 長きにわたるイタリア戦争でハプスブルク家と対立し、1559年のカトー・カンブレジ条約によってイタリアの支配権を巡る争いに区切りをつけました。

  • 宗教統制: カトリックの信仰を強く擁護し、パリ高等法院内に「火刑裁判所」を設けるなど、国内で広がりつつあったプロテスタント(ユグノー)を厳しく弾圧しました。

  • 三角関係のドラマ: 14歳で結婚した王妃カトリーヌ・ド・メディシスをほとんど顧みず、20歳年上の寵姫ディアーヌ・ド・ポワチエを深く寵愛したことで知られています。

悲劇的な最期
 
1559年6月、カトー・カンブレジ条約の締結と王族の結婚を祝う祝賀行事の一環として行われた騎馬槍試合に参加しました。その際、スコットランド衛兵隊長ガブリエル・ド・モンゴメリーの折れた槍の破片がアンリ2世の目(あるいは顔面)に突き刺さるという事故が起きました。名医アンドレアス・ヴェサリウスらが治療にあたりましたが、傷口からの感染症や脳損傷が原因で約10日後の7月10日に崩御しました。

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