小説『BUTTER』に登場したバター料理を再現し食す、バターの風味をいかしきったたまらないレシピ群たち
小説の「BUTTER」を読むんじゃなかった、と強く後悔した。
それは、なぜか?
妄執、妄想、追想ともいえる食欲が、おれの脳の片すみにこびりついたのだ。
バターを食べてみたいと、禁煙したての人間が喫煙したい、とつぶやくように、四六時中バタ―にたいする食欲が、むっくりと勃起するようになった。
もちろんバターを食べたことはある。
バターは喜び勇んで積極的に食べたいと思う食材ではなかった。
もちろん料理にくわえれば味わいが厚くなり、バターをいれるか、いれないかで天と地ほどに味わいに差が生まれるのは知っている。
それでも、ふとる、バターを食べると。
脂肪がつく、齢40歳を超えると、なにもしなくともお腹が膨張していく。
ふとることと、おいしくなることを天秤にかけると、バターを食べたいという欲求を抑えこむことができていた。
その今まで圧力をかけつづけ鎮圧してきたバターへの欲望が、「BUTTER」を読んだことで、一気に噴きあがってしまったのである。
「BUTTER」さえ読まなければ、ほんもののバターの味わいを読みさえしなければ、ずっとバターへの煩悩を封じこめられていたのに。
「BUTTER」のなかに登場するバターは、一般的なバターではない。
おフランス産の高級、いや、超高級と呼びたくなるお値段のバターだ。
「BUTTER」の序盤にバターご飯が登場する。
日本人であれば、おそらく、一度は食べたことがあるシンプルなレシピだ。
あつあつの炊き立てのご飯に、白い四角のバターをのせ、お好みで醤油を1滴か2滴。
口に運ぶと熱せられた醤油の黒い香りがふくらみ、バターの脂分が潤と溶けたものが白米をコーティングしていく。
シンプルなレシピだけども、その魅力に多数の日本人がひきつけられてきた。
そんなにバターご飯に魅力を感じなかった。
なんならニンニクをバターで炒めて炒飯やピラフにしたほうが好きだ。
それだというのに、「BUTTER」のなかでつむぎだされる黄金色に輝くような文字が、屹立してくる活き活きとしたバターご飯の描写を読んでいると、食べてみたいな、とつぶやくやいなや、おれはインターネットで作中に登場したバターの値段を調べていた。
200gで4千円オーバー。
おれは目をこすり、メガネの汚れをふき、顔を冷水であらい、もう一度お値段を確認した。
数字に変化はなし。
さらに配送料もかかるので、5千円オーバーのバターになる。
はい、解散、解散。
突如、招集されたバター購入議会は、秋の葉が散るようにあっけなく解散した。
「 BUTTER」を読みつづけていると、一流のピアニストが執拗に鍵盤をたたくように、お高いバターを使った料理の描写が飛びこんでくる。
タラコとバター、パスタ。
塩ラーメンにバター。
どれもこれも、お手頃な価格の食材に、驚愕のお値段を誇るバターをかけあわせる不均衡なレシピだ。
けれども、料理が苦手なひとでも作ることができ、さらにバターさえあれば美味しい料理が作れることが確約されているのだ。
食べてみたいな、高級なバターを。
寝ても覚めても極上の味であろうバターのことばかり考えるようになった。
であるからして、いつものスーパーをおとずれ、まずはバター売り場のまえにたち、じっくりとバターたちを観察した。
落ち葉を拾っているひとでも見つけやすい場所には、黄色の箱に白い北海道が描かれているバターたちが、広大な大地をつくりあげている。
すこし視線をあげると、6つに分割されたチーズや熱ですぐに溶ける薄いチーズが置いてあり、そのよこには「BUTTER」のある登場人物が蛇蝎のごとく嫌っていたマーガリンが置いてある。
マーガリンはいくつかの種類が置かれており、いろいろと噂されているわりには根強い人気があるようだ。
あるひとつのマーガリンのパッケージを見ると、バターいりマーガリンと書かれている。
バターでええやん、と思わずつっこんでしまった。
マーガリンの棚の最上部をみると、ありましたよ、ありましたよ、高級バターが。
「BUTTER」のなかにも登場していたカルピスバター。
昭和世代の人間だと、氷をいれたグラスにはいった白い液体。
祖母の笑顔がセットになった光景が思いうかぶ。
そのカルピスとバターには、なにかしらの関係があるのだろうか。
カルピスバターには、塩をくわえたものと、くわえていないものがある。
一般的なバターの容量で2千円ちょいと、ぎょっとはするが、飛びあがるほどに高いとは感じない、フランス産のバターの値段を見たあとでは。
カルピスバターを買い、バターご飯、たらこパスタ、塩ラーメンをリアルに食べることで、頭のなかにだけに存在した味を確認することができる。
頭のなかで妄想がふくらみすぎて、バターの後ろ姿だけを追いかけ、実際の味よりも素敵な味だと思いこんでいる可能性がある。
四六時中あたまのなかに存在するバターの妄執を二千円で追いはらうことができるかもしれない。
そう思うと、二千円はけっして安い投資ではないと思った。
手をのばしカルピスバターをつかもうとした瞬間、おれは見つけた。

カルピスバターの横に、おフランスのバターが売られているではないか。
まるで王のように他のバターを睥睨するがごとく、棚の一番うえの中央に鎮座している。
30gと小分けにされているおかげで、お値段は千円以下におさえられている。
それでも30gで700円と、驚天動地のお値段だ。
よくよく考えてみると、フォアグラやトリュフ、キャビアの一級品を買うことにくらべると、たった700円で最高峰のバターを味わえるのであるからして、けっして高くはない、と結論づけた。
そしてバターの極北を食し、なんだこんなもんか、と納得すれば、頭に巣くったバター熱が溶けるかもしれない。
おれは、すぐにおフランスのバターを買い物にカゴにいれ会計をすませた。
エクボがチャーミングなレジのお姉さんが、羨望の視線でバターを眺めていたような気がする。
ここまで2千文字オーバー。
再現レシピとタイトルに書いてあるのに、いつになったら料理がはじまるのダと激怒されているかた、すでにブラウザバックなされたかたもいるだろう。
あえて、あえてね、読者さんのことを考えて、長々とバターについて書いてきた。
それは、なぜか、この先の文章を読んでしまうと、あなたは鬼灯に誘われバターの沼に沈みこんでしまうからだ。
お高いバターは、作中の描写に劣る味わいではなかった。
高級バターは死ぬまで忘れがたい、極上の味わいを脳に刻みこみやがった。
そんなに美味しくないだろうと懐疑的な態度でのぞみ、さらに頼む!残念な味であってくれ、普通のバターとあまり変わらない味であってくれ、と嘆願さえしながら食したが、お高いバターの味わいは極上でした。

土鍋で炊いた、柔らかい白い湯気をたちあげる白米。
すこし焦げめもつけておいた。
そのうえに、丸く白いバターを王冠のようにうやうやしく設置する。
1合にたいしてバターの量は多すぎたか、半分にすべきだったかと思ったが、ぴったりの量だった。

そうそう、お高いバターの包装は、すこぶる開けにくい。
星ひとつ減らされそうなほどに包装をはがしにくい。
対策として、できるだけバターを硬い状態のまま包装をはがしたほうがよい。
バターを溶かす料理でないのであれば、バターを食す1時間ほどまえに冷凍庫にいれておくと開けやすくなる。
また、冷凍庫にいれても味わいや風味はかわらない。

「BUTTER」の作中でもいわれていたように、冷たいままのバターと熱い白米をどうじに口のなかにいれその対比をたのしむ。
ファーストインプレッションとしては、あれ?旨味が乏しいぞ。
口の上部に触れたバターは、音もなく静かに一瞬にしてかき消えた。
風味がふくらむこともなく、脂分の旨味が浸透してくることもない。
味わいも日本のバターよりも弱い。
おれは、にやりとほくそ笑んだ。
これでバターの妄執を頭から追いだせると。
ところが、白米をパクつきながら、あることに気づいた。
食べるにつれ、透明な旨味の膜が、アミーバのようにゆっくりとひろがり、おれの味覚を包囲しだしていると。
はじめのうちは軽いとも思われたバターの風味は、まるでしぼりたての牛乳のように新鮮であり雑味がなく、アムールにあふれかえった母乳のように柔和で、あえかに熟した乳製品の風味がある。
そのバターの味わいが、鶴の羽のように口のなかに広がる。
フランスのバターの旨味は、おしつけがましくなく、おごりたかぶらず、尊大でない。
謙虚でありながら、自分の旨味に静かに誇りをもち洗練されている。
また、重低音ともいえる存在感のでかい旨味の余韻がこだまする。
さらりとしたバターは、いつのまにか、白米ひと粒ひと粒をしっかりとコーティングし、気品よく、おとなっぽい様相にしたてあげている。
バターには塩がすこし加えられているのか、白米の天然の甘味をナチュラルにひきだしている。
バターと白米のあいだに、一抹の幸せが実存する。
バターの脂分は豊熱している、けれども健やかで清冽な後味でくどくなく、白米をいくらパクついても疲れない。
倉庫にきっちりと物を整頓して片付けるように、胃のなかに順序よく、スキマなく白米がしっかりと収納されていくような達成感がある。
白米1合を一気に食べてしまうと、猛烈な眠気に襲われるはずであるが、それがやってこない。
フランスの美食家は、二日酔い対策としてバターをたっぷりと塗ったパンを食べるとよいと書いていた。
まさに、バターをかけたご飯を食べたあとは、食道から胃までがしっとりとコーティングされているように感じられる。
ここでお詫びがある。
「BUTTER」を読みかえし気づいた。
作中はで明太子ではなくたらこ。そして紫蘇がいれられていた。
このnoteでは、明太子とバターパスタになる。

パスタをゆでるあいだにバターと明太子を調理しておく。
調理といっても明太子をフォークでつぶしたのちに、ゆでたパスタとバターをボウルにいれ混ぜあわせるだけだ。
「BUTTER」を読んで、この作家さんわかっているな、と思った調理過程だ。
料理番組を見ていると、明太子をしぼりあげ皮をはぐ。
つねづね明太子の皮の食感は邪魔にならないし、なんなら芸術的に薄い膜の噛みごたえは心地よい。
明太子の薄皮すら日本国民は噛みきれなくなったのかと。
いちどお試しあれ。
けっして、薄皮から明太子をしぼりだすのがメンドクサイからってわけじゃないんだからね!!

ゆであげたパスタを明太子とバターと混ぜあわせる。
ボウルにいれたが、なんならお皿のうえで混ぜあわせると、明太子もバターもすべて食すことができ、洗い物もへる。

いろいろな明太子パスタを食べてきたが、こいつは滅法界うまい。

パスタにからみつくバターの食感がナチュラル。
油くさくなく、オリーブオイルよりも品がよく、温かく柔らかく凛然と整っている。
和風パスタソースのひとつの究極の完成形ではないだろうか。
しかも、食品添加物をいっさいくわえていない、というのに、これほどの風味、旨味をかもしだせるのは、やはりお高いお値段のバターのおかげだろう。
脂分の薄いけど実感できる厚みのあるソース。
しっとりとうるんでいる奥行きのある味わい。
バターの膜は、ちいさい明太子をおおい隠しているが、ときどきはヤンチャな明太子の食感が弾けるように飛びだしてくる。
ちくりとした辛味のおかげで、後味は引きしまっている。
単純でありながら、深みがあり、厚みがあり、それでいて食べていて疲れない絶妙な調和。
白ご飯とパスタで食べた結果、高級バターは新鮮だけども熟した風味がある。
その脂分の風味はあくまで自然で、軽くてあっさりしている。
さらに、ゆったりとした悠然な塩分のおかげで炭水化物がもつ滋味を魔術的に芸術的にひきだしている。
バターの製作工程は、日本のバターと大差ない、と思う。
けれどもたくらみの深いおフランス産高級バターの味わいは値段相当であると、口と食道、胃、脳がしぶしぶ認める魔味をひめていた。
余談になりますが、高級バターを食べた翌日は、いいウンコがでます。
品のいい脂でコーティングされたような快便の悦楽。
いよいよ、〆のラーメンにとりかかりましょうか。

もっともリーズナブルな塩らーめんと、もっともラグジュアリーなバターの邂逅。
味噌でもなく、豚骨でもなく、塩をえらんだ理由は、バターの風味を壊さないからだろう。
バターの風味をあますことなく堪能することができる。

柔軟であり、流暢なバターは、じわじわとスープの海に溶けこみながら、旨味の領土を拡大させていく。
はじめのうちは、バターの存在はかすかなものであり、いつもの塩らーめんとかわらないなと思っていると、おやおや、いつのまにやら、なにか味わいが進化しつつ、奥行きが深化しているゾと気づく。
しずかに、ねっとりと、まるで虎がバターになり溶けるように白いスープが、喜びの声をあげながら黄色く輝きだす。

鶏の油よりも軽く、ラードよりも味わいがノーブル、円熟した味わいのスープ。
温かい優しい気持ちが、体に満ち満ちる典雅な陶酔感。
高級バターを食べていれば、世界はきっと平和になると確信する多福な味わい。

あまりにも一気呵成に麺をすすりあげたがゆえに、まだバターが溶けきっていないではないか。
これは、これは、いけませんね。
替え玉をするしかありませんね。

3回ぐらいは替え玉しても美味しく食べられる底力をバターはもつ。
スープが少なくなってくると、結晶化したような塩の味わいも強くなる。
高級バターは食べおわっても、唇から思いだしたようにバターの香りがたちのぼり、胃で消化されたバターの脂分が肌からしみでてきたように肌がしっとりと潤う。
ただし、やはりというか、当然のように、脂分と炭水化物のコンビネーションは、ふとる。

小説「BUTTER」の伝えたいメッセージのひとつは、適度、適量を知ること。
長生きの秘訣は、腹八分目。
高級バターは700円で至福の料理を作れる、それも簡単に。
けれども、やはり食べすぎてはいけない。
お財布にも、お腹にも負担のかからない分量の高級バターをこれからも美味しく食べつづけたいと強く思った。

読んでいただいたみなさまのおかげで、CONGRATULATIONSをいただけました。
ありがとうございました。
