見出し画像

五百蔵さん日記 気になる春

3/1(金)

同じ営業部の五百蔵いおろいさんが、休憩室で壁の一点をじっと見つめながらなにやらご飯を食べていた。五百蔵さん、食事するんだ。いやそりゃするか。

五百蔵さんはいつも淡々として冷静で、仕事ができて上司からの信頼も厚い。けど、人間的な部分が見えにくい謎の人。ちょっと気になる存在。気まぐれで書いているこの手帳日記に、たまになら登場いただいても良いだろうか。

後ろを通る時に五百蔵さんの視線の先を見てみたら、「今月の日本・沖縄」という特集が組まれた社内報が壁に貼ってあった。食べていたのは角のコンビニで新発売のガパオライス。南国。


3/4(月)

五百蔵さんが外回りから帰ってきた時に開けたドアのささやかな風圧で、床に落ちていた小さな付箋のようなものがひらりと舞った。五百蔵さんはすっとかがんでそれを拾い上げて、

「どなたか行き先がわからなくなった方はいらっしゃいますか」

とよく通る声で言った。

……ちょっと理解まで時間がかかった。たぶんだけど、付箋=目印=行き先みたいなことを言いたかったのだと思う。突然のお悩み募集に営業部が「?」でいっぱいになる。誰も付箋のことだとは思わなかったのか、手は上がらなかった。しばらくしてさっきの付箋と思われる小さなピンクの紙がホワイトボードに貼りつけられていたのを発見したので見に行く。

殴り書きで「先手必勝!」と書いてあった。行き先不明でも問題ないなと思った。


3/15(金)

K商事の高山さんから、「い、いおろ……さんはいらっしゃいますでしょうか」というだいぶ惜しい入電があった。珍しい苗字だしね。営業部の五百蔵でよろしいでしょうか、と聞いてみる。「そうですそうです!真っ黒スーツで真面目直角な感じの男性です!」だそうなので五百蔵さんへ電話を繋ぐ。

真っ黒スーツで真面目直角な感じ、すごく言い得て妙だなと思った。電話をとった五百蔵さんが、はい、はい、左様でございます、と応答しているのが聞こえる。電話を取る姿勢が真面目直角。


3/28(木)

近々部長と仕事の成果についての面談があるので、記入した自己評価シートに漏れがないか確認する。漏れあった。名前の前に、「〇〇年入社 〇〇年目」という空欄に書き込むところがあって、そこを書き忘れていた。書こうとして、あれ、自分はこの会社に入って何年目だったかと考える。

隣から部長が「五百蔵くんは4年目かあ。もう20年くらいこの会社で働いているみたいだけどね」頼もしいよ、と言っているのが聞こえた。五百蔵さんが4年目ということは、1年後輩の私は3年目か。いえ、と五百蔵さんの声が聞こえて来る。

「4年目なんて、学生で言えば高校2年生ですから」

どこから数えて?と思った。


4/1(月)

4月になった。新入社員が入ってくる時期だけど、しばらくは研修でこちらには来ない。うちは小さな文具メーカーだし研修もゆっくりだ。幸い私は今年も部署異動がなかった。隣には変わらず五百蔵さんもいる。先月の面談で部長と雑談をしていて知ったけど、是非五百蔵さんに、と名指しで商談の連絡が来る取引先も多いらしい。自分は自分、人は人だけど、見習う部分もたくさんあると思うよ、と部長は優しく笑っていた。

五百蔵さんは今日も真っ黒なスーツに整えられた清潔な髪、1つも汚れのないピカピカの靴にしゃんと伸びた背中で凛とそこにいる。

そういえば五百蔵さんの笑った顔を見たことがない。どういう時に笑うのだろう。気になる。


4/9(火)

隣にある五百蔵さんのデスクから落ちてきた付箋。

なんだろうこれ……猫……?



4/10(水)

自分で持っているのもなんか違うし、と昨日の付箋を五百蔵さんに渡してみる。なんと言って良いかわからず、あのこれ、昨日デスクから……とごにょごにょ言ってしまった。

五百蔵さんは「ああ」と受け取り付箋をじっと見て、「昨日、企画部の同期から新商品の参考にしたいから動物を描いてくれと言われまして」拾っていただいてありがとうございます、と頭を下げられ慌てて自分も下げる。

「ひとしきり笑われたあと突き返されましたけど」言いながら、大きな手で付箋を小さく折りたたんでいく。「ちなみに佐倉さくらさんはこれ、何に見えましたか?」突然こちらに向き直って聞かれたのでえっ、と変な声が出た。恥ずかしい。猫、ですか?とおそるおそる聞いてみる。

「犬です」

五百蔵さんの表情は変わらなかった。


4/16(火)

部内で、隣のビルの1Fに新しくできた総菜屋さんが美味しいという話題になった。部長のお気に入りはかぼちゃの煮物だそう。私は休憩時間に外出するのが面倒で基本弁当持参なので行ったことがなく、ふんふんと皆さんの話を聞いていた。

「五百蔵くんは行ったことある?」部長が話を振り、五百蔵さんはキーボードを叩く手を止めた。いつも思うけど、五百蔵さんのキーボードを叩く音は優しい。ッターン!とか一度も聞いたことがない。黒いスーツが、くるりとイスごとこちらを向く気配。たぶん、まっすぐに私を通り越した先にいる部長を見ている。

「行ったことはないですが、鶏の山賊揚げと里芋の煮っころがしとナスの揚げびたしが美味そうだなとは思います」

すごく淀みない惣菜名の羅列だった。めちゃくちゃ見てるな……と思った。


4/24(水)

外線の電話をとっている五百蔵さん。ええ、ええ、といつもの真面目顔で相槌を打っていると思ったら、一瞬間が空き一呼吸おいて言った。

「そうです。メカニカルペンシルです」

なんの話題かは全くわからないけど、カタカナ英語で良かった、と何故か安心した。


5/2(木)

5月。既に少し気温の上昇を感じる。夏は外回りで汗をかくから好きではない。憂鬱。五百蔵さんは今日もしっかりピシッとスーツだ。私も気合を入れなければ。

会議を終えた部長が、「まだちょっと早いけど冷やし中華食べたいねえ」とデスクへ戻りついでに五百蔵さんに話しかける。五百蔵さんは少し考えるように下を向いた後、

「では、始めましょうか?」と答えていた。

この世の冷やし中華は五百蔵さんによって始められていたのかもしれない。


5/15(水)

営業とはいえ、私はそこまで頻繁に取引先に通うことのないチームにいるので、たまの訪問は緊張するし終わった後にどっと疲れが出る。今日はお弁当も作っていないので、会社に戻る前になにか調達するかと隣のビルの前を通ると、以前話題になっていた総菜屋さんの前で五百蔵さんを発見した。

あごに手を当て真剣に悩んでいる様子だ。あまり見るのも悪いかなと思い、通り過ぎてコンビニへ。戻ってくると、ちょうど商品を受け取っているところに遭遇。悪いと思いつつちらっと手元を見てみる。

五百蔵さんの手に握られているのは、ケーキを入れるあの白くて小さい箱だった。ここ総菜屋さんだよね?まさかあれに惣菜が入っているわけじゃないよね?謎は深まるばかりだった。


5/27(月)

営業部の部内にあるコピー機が突然壊れうんともすんとも言わなくなり、今日の午後に修理が来るまで使えないとのことであった。このデジタル時代にコピー機が使えなくて困ることもない、なんてことはない。普通に困る。

復旧するまでは経理部のものを借りてくれということなので向かう。他の部署って緊張するな、と思っておそるおそるドアを開けると五百蔵さんが経理部の方たちに囲まれていた。なんで?

まさか一触即発……?そっと中に入り様子を見ていると、「営業さん的におすすめの手土産ある?」「あそこの会社の受付さん彼氏いるかな」「新しい名刺のデザイン、取引先のウケ聞かせてよ」などなどの質問攻めらしかった。まるで転校生が来たみたいなテンションだ。

五百蔵さんは「申し訳ありません」と軽く頭を下げた後、「私自身をコピーできれば、皆さまのご質問に即答できるのですが……。面目次第もございません」と言った。

全ての質問に真摯に答えようとしすぎだよ、と思った。今日も真面目。


次→五百蔵さん日記 夏