五百蔵さん日記 知っていく夏
6/3(月)
今日から我が営業部にも新入社員が配属となった。元気の良い少年、と言ったら失礼だろうけど、夏休みに日焼けとか気にせずいつまでもサッカーとかしていそうな元気さと明るさを感じる。短髪で口角が上がった彼は、四角さんという。
「よろしくお願いします!」
ピッカピカの笑顔で挨拶をした相手はいつもと変わらぬ無表情の五百蔵さんである。五百蔵さんはこの度、四角さんの教育係となった。イスから立ち上がると、「よろしくお願いします。五百蔵と申します」と直角にお辞儀をする。四角さんの隣にいた部長が、「よろしくね」と笑っていた。
五百蔵さんは周りのことをよく見ている人なので適任だろう。では、という声が聞こえて、2人に注目していた部内の気配が散った。しかしこの2人、性格的には相性どうなの?とちょっと思ってしまったこともあり、自分の仕事をしながら会話に耳をそばだてる。
「先ほど名乗りましたが、まずは軽く自己紹介しましょう。教育係になりました五百蔵と申します。好きな天ぷらはカニカマです」
「四角です。22歳です。好きな天ぷらは~……あっエビフライが好きです!」
案外相性良いかもしれない。
6/10(月)
今日から我が社も衣替え。2週間の移行期間を終えて、みんな半袖やノーネクタイになった。もう夏が来るのだなあ。普段はかっちり黒スーツの五百蔵さんも、ピシッとアイロンのかかったシワ1つない半袖で出社している。
五百蔵さんが汗をかいているとか手で顔を扇いでいるとかそういうところを一度も見たことがないのだが、暑い、という感覚自体はあるのだろうか。失礼だけどそんなことを考えてしまう。でも、ハンディファンを使っている五百蔵さんとかちょっと見てみたいかもしれない。
6/13(木)
また付箋が落ちてきた。
……象?

6/14(金)
例によって昨日の付箋を五百蔵さんに手渡す。「何度も申し訳ないです」と深々頭を下げられた。いえいえいえと多めのいえを発動して恥ずかしかった。また企画部の同期の方に頼まれたらしい。後で捨てようと思ってデスクのファイルの上に置いていたのでエアコンの風で飛んでしまったのだと思います、と丁寧に理由まで説明してくれた。律儀だ。
これ、象ですよね?と人生初の象確認をとってみる。五百蔵さんは付箋をちらりと見た後、
「象です」
と言った。キリンです、とかじゃなくて良かった。
7/2(火)
まだ7月なのに、今日の気温は32℃らしい。先が思いやられる。東京は梅雨入りしたというのに雨が降らない。毎日晴れているのにじめっとした嫌な暑さがまとわりついて、夏は苦手だなと思う。
「雨が降った時って、取引先に傘さして行くじゃないですか。その傘ってエントランスに傘立てがなかった場合どうすれば良いんですか?」
すぐ近くから新入社員・四角さんの声が聞こえる。確かに最初は迷うよね、と自分の新入社員時代を懐かしく思い出す。そういう時は大抵会社の入り口にデパートでよく見る傘を入れて持ち歩ける長細い袋があったりするんだよね。先のほうが破れて床を水浸しにしてしまわないかビクビクしていたっけ。五百蔵さんも同じようなことを四角さんに説明していた。
「雨が強い時などは自分の服や荷物も濡れますので、軽く水滴を落としてから建物内に入るようにしましょう」
「軽く、というと水滴が垂れないくらいですか?」
「そうです。外からの侵攻はなるべく防いでいきましょう」
雨って侵略者だったのか。
7/11(木)
取引先から味噌まんじゅうをいただいた。各地に名物として存在するお菓子らしいが、今回のこれは栃木県の銘菓らしい。皮が味噌の色に似ているのと、隠し味に味噌が入っているから味噌まんじゅう。なるほど。
五百蔵さんにも1つ支給されていた。はい、と手渡され、恭しく両手で受け取っている。小さな半円状のそれは、五百蔵さんの手の上で眠るハムスターのようだった。と、言うにはちょっと茶色すぎるけど。五百蔵さんは饅頭をまじまじと見つめてからデスクの端に置き、
「今日の昼ご飯に」
と呟いた。さすがに荷が重いと思う。
7/17(水)
会議室Aの前を通りかかったら、五百蔵さんの声が聞こえてきた。声量が大きいというわけではなく、よく通る声なのだ。
「千変万化のこの時代、石橋を叩きながらけん玉をするべきです」
なんの議題なのか1つもわからなかった。
7/22(月)
週初めだということもあってまあまあ業務が立て込んでいた。電話は鳴るし作らねばならない資料はたくさんあるし、ちょっと部内の空気もピリついている。五百蔵さんはすごい速さで新商品「折れないシャー芯オレンワG」の会議資料を作っている。さっき部長に急遽頼まれていた仕事なのにすごいな、余裕なのかなと思っていたところでK商事の高山さんから五百蔵さん宛に入電がありつなぐ。いつも通りのありがとうございます、の後すぐ受話器を取った。
「オレンワ変わりました五百蔵です」
思ったより余裕はなかったらしい。
8/2(金)
8月に入ってまあまあ業務にも慣れただろうということで、四角さんの歓迎会が開かれることになった。毎年恒例の居酒屋に部長自ら予約を取ってくれる。こういうところも部長がみんなに好かれている一因だと思う。
五百蔵さんは意外と部内の飲み会に参加するほうだ。仲の良い社員数人でやる小さな飲み会にはあまり行かないようだけど、歓迎会や送別会、忘年会等の行事みたいな会には大体顔を出してくれる。表情が変わらないので第一印象は冷たい印象を持ちがちだけど、部内の人にも他部署の人にも好かれているし、不思議な魅力のある人だと思う。
部長が予約してくれた個室の前方で、四角さんが先輩達にもみくちゃにされている。本人も満更でもないというかむしろ嬉しそうで良かった。少し離れた場所からその様子を見ていた五百蔵さんが、梅酒片手にこちらへ来る。すごく目が合うな、と思っていたら私の横に座った。
「佐倉さん、この店の美味しいものを知っていますか」
小さいグラスの中で梅がぷかぷか動いている。私が1人でいたから気をつかってくれたのだろうか。確かこの店の名物はから揚げだったはず。から揚げですか?とそのまま答えた。
「から揚げも美味しいですが、毎回部長が頼んであまり皆さんが手をつけない塩辛が本当に美味しいです。佐倉さんもよろしければ是非」
では、と返す言葉も言えないまま、五百蔵さんは立ち上がって元いた位置へと戻っていった。ちょっと微笑んでいたような気がしたのは、私が酔っていたからだろうか。
8/8(木)
「えっ佐倉さんも五百蔵さんの教え子なんですか?」
四角さんが本当に驚いたという顔でこちらを見た。たまたま休憩室の席が空いていなくて相席になったのだが、私が新入社員の時も五百蔵さんが指導係だったことを話したら何故か教え子ということになった。まあ、間違ってはいないのかな。
あの時は五百蔵さんもまだ2年目で、しかし優秀で上の先輩がちょうど退職されたこともあり指導係に任命されたそうだった。歳も近いし仲良くやってね、と部長に言われたことを今でも覚えている。
「どんな感じでした?今と変わらないですか?昔からメロンパン好きですか?」
メロンパンが好きなことは正直当時から今まで知らなかったけど、五百蔵さんは今も昔も見た目も中身も変わっていない。淡々と、しかし丁寧に、そしてたまにちょっと変わったことを言い出す人だった。色々ひっくるめて、変わらないですよ、と返す。へえ~!と感心したようなリアクションだった。
五百蔵さんが私の指導係だったのは入社してから1年間で、その間一緒に食事をとることも、飲みに行くということもなかった。冷たいのではなく、それが五百蔵さんなりの気遣いだと、気付くまでしばらくかかったけど。あの頃から真面目で仕事ができて、変わっていないけどもしかしたら当時から私は五百蔵さんに興味を持っていたのかもしれない。考え込んでいたら、四角さんが、あっ、と何かに気付いたようにぽんと手を打った。
「じゃあやっぱり取引先の会社に入る時は必ず右足からでした?」
やはり私はまだまだ五百蔵さんウォッチャーとして未熟らしかった。
8/14(水)
気温38℃。暑さがピークで外回りがキツい。きっと私より外回りが多い五百蔵さんのチームなんかはもっと大変だろう。そんなことを考えていたら、戻りました……と疲れ切った四角さんがドアを開けて入ってくる。汗びっしょりで慰労困憊という感じ。後ろにいる五百蔵さんは、汗ひとつかかず涼し気だった。戻りました、の声も涼やか。
お疲れ様、と部長が優しく声をかけると、四角さんがはい~と力なく返事をする。五百蔵さんはいつも通り部長に報告を終えると、四角さんの隣にある自分のデスクに座り、
「確かな筋から得た情報なのですが、最近このビルで誰もいないはずの深夜に聞こえてくるというソーラン節VS阿波踊りどっちの知名度決定戦大弁論大会の話でもしましょうか」
と肝が冷える?方面に気遣いを発揮していた。四角さんのいやいやいやいいです!と必死に拒否する声が響く。
1日ソーラン節VS阿波踊りのことが気になってしまった。
8/30(金)
朝から雨が降っていて、大きめの雷が何度も鳴った。部長が一番怯えていて、窓を背にしたデスクにいるのがなんというかかわいそう。五百蔵さんは報告に行く度青い顔をしている部長を気遣ったのか、何度目かの報告で温かいコーヒーを持って行っていた。部長が申し訳なさそうにそれを受け取る。ありがとう、と力なく発した言葉の後に、五百蔵さんが言った。
「雷というのは高いところに落ちるそうですから、恐縮ですが、もし落ちるなら部長より背の高い私です」
建物を貫通して五百蔵さんに雷が落ちたらそれはそれで怖いな、と思った。
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