自分事にするため、福島ひとり旅①
3月だ。東日本大震災に関する番組や報道を目にする機会が多くなる。
震災遺構という場所があるのことは知っている。被災していない自分が行ってもいいのか、そこで悲しいとか怖いとか感じるのは失礼じゃないかと思うと足を向けることができないでいる。でも、それって自分事と考えていないからなのでは…?
発災した年の9月に災害ボランティアとして釜石に行ったことはあるが、私がそこにいたのは数日だけ。ちょっと行っただけ、テレビで観ただけ。本当のことは何も知らない震災のことを、ちゃんと知るために、震災で被害にあった場所に行ってみたいと思った。
皆さんから愛されるような素晴らしい景色があったんです。
今回は福島を巡ることにした。
最初に訪れたのは、とみおかアーカイブ・ミュージアムさんです。


展示は富岡町の歴史から始まる。地域の成り立ちや特徴、行事や昔から大事にされてきた子安地蔵さんの展示など。そして、各解説文に添えられた町民の声が過去形だった。


想像がつかない
展示室を半分ほど進んだ頃、震災遺産の展示コーナーが始まる。


富岡町の災対本部を再現した展示がある。災害対応の夜と全町避難の朝に町がどのように行動したかの解説があった。「原発のことは頭になかった訳ではないが大丈夫だと思っていた。地震の被害と余震、津波の対応に追われていた」というコメントや、「国、県、東電はせめて一報でもくれれば町の対応は違ったのに」という当時の町の幹部の悔しい思いを知った。富岡町にとって福島第一原発に関する情報源はラジオやテレビといった報道のみだったことを知り、どれだけ不安だったか想像した。

家族や家が心配だったろう
津波に流されたパトカーが展示されていました。事前にこの展示があることを知ってはいましたが、ここに町民を救おうと行動した人が人が乗っていたという事実の実感と津波の威力の凄まじさは来てみないと感じられなかったと思う。

企画展の展示に、この津波で流されたパトカーに乗っていた佐藤雄太さんのお父さんのコメントがありました。雄太さんは見つかっておらず、何も残っていなくて、残ったものはパトカーぐらいだと、毎日思い出さなくても、3月11日だけは、福島でこういった事がありましたということさえ伝われば私はそれでいいと書かれていました。

行動してくださった方々に感謝したいと
私は思いました

震災後にどれだけあっただろう



この横断幕だった
冒頭、富岡町の成り立ちが丁寧に説明してあるから急に降りかかった震災、原発事故以降がどれだけ町民の生活を激変させたか伝わってきた。
あなたにとっての大平山はどこですか
次に訪れたのは浪江町立請戸小学校です。

この小学校の生徒はみなさん避難できたという。学校を襲った津波の威力と、どのように逃げ切ることができたのかを順路を辿りながら分かりやすく知ることができる場所でした。

全てのパネルに英語訳があった


そうでなければこんなにじっくり見られなかったと思う





生徒自慢の校舎だったのではと思う


家族連れも多く来ており、
いつか私も子どもができたら連れてきたい
と思った



別のもう少し整備された道から山に入っていたら
遠回りで逃げ遅れていたかもしれないと聞きました

3月からとまったままの体育館


目で見て、ここに立ってみて初めて実感した
生徒たちがどう行動したか学んだ最後に
「あなたにとっての大平山はどこですか。」
と問いかけられる。この一言で、自分の家の周辺を思い浮かべるとともに、やっぱり震災を自分事として考えられていなかったと気づかされる。

他人事に思っていた自分に気づく
いつ私が被災してもおかしくないのに。
2階では、発災直後の上空からの映像や世界から届いたメッセージの展示があった。

頭が上がらない


探したい人もそれをダメだと言わなければいけない人も
どちらもつらい

どんな感想を持っても失礼だと思った

これからも残していくためにまた行きたいし
微力すぎるけど周りの人にも伝えたいと思った
来て良かったんですよ
ここは必ず行きたい、としていた場所
東日本大震災・原子力災害伝承館に来た。


近くでレンタサイクルができるのでここから請戸小まで
自転車で海沿いを走るのもいいなと思った
入館時、「もうすぐ語り部講話が始まりますがいかかですか?」とお声がけいただいた。今日は特別講師として菅野篤司さんという方が語り部を務める回だった(菅野さんの書かれた記事)。発災当日から15年、福島を取材し続けたという菅野さんが語り部をするのは今回が初めてだという。案内してくださったスタッフさんが、菅野さんの講話を聞けるのはラッキーですよ、私も仕事を抜けて聞きたいくらいですと教えてくれた。
原発の近くにはオフサイトセンターという場所を設けており、原発事故が起こればその場所を対策本部とする計画でいたこと。発災の2年前に数カ所のオフサイトセンターに放射線物質が入り込む等対策が不十分だと判明していたこと、初めて知ることばかりだった。
原発事故から数年後、報道陣に公開されたオフサイトセンター内の原発周辺地図には半径10km以内の医療施設等の詳細なデータが記載されていたが、実際の被害は20.30km範囲に及んでいたことからいかに国も東電も被害想定が甘かったかということ、仮に10kmで被害が収まっていても地震・津波・原発が重なって大混乱だっただろうということ。

講話の後に展示室で見つけることができた

聞いてなかったら見ても何も感じなかったかも
発災したとき、報道する人としてだと思うけれど菅野さんは「今まで起きた地震や原発事故を他人事だと思っていたことを後悔した」とおっしゃった。マイクロシーベルトって何?ということも発災後に勉強したという。原発事故を学ぶために、チェルノブイリも訪問したという。
災害を他人事だと思っていたのは私もそうではないか、と講話を聞きながら思った。
「お住まいの地域で過去にどんな災害があったか、身を守る方法は?避難先は?一度考えてください。市や県等の公的機関はどんな支援や行動を計画しているのかも調べてください。」とおっしゃっていた。
「最後に、福島は空が綺麗で、魚は美味しい、酒も美味しい、いいところです。今日は来てくださってありがとうございます。」と。
40分か、長いかな?と思っていた講演時間はあっという間に過ぎていた。
講演後、今日はラッキーですよと言いながら案内してくださったスタッフさんが声をかけてくださった。色々見て聞いて知らぬうちにいっぱいいっぱいになっていたらしい私は、今日一日不安だった思いを漏らしてしまった。
私は、知り合いも含め被災していないのに、こういった場に来てよかったのでしょうか。
いいんです、来てください、命を守るために知るために来る意味があるんです。私は友人がまだ見つかっていません。私もまだ避難をしているままです。そういうことから学ぶために、じっくり見て、知って行ってください。来て良かったんですよ。
そう言ってくださったけれど、あぁ自分勝手なことを言ってしまった、ごめんなさいと思った。
最初の入り口に案内していただき、福島出身の西田敏行さんが優しい声でナレーションを務める動画を観て、展示館へ入場する。




”原子力 明るい未来のエネルギー”
なんと皮肉なことかと思ってしまうな、そう考えていたら先ほどのスタッフさんが私を待っててくれたようで、声をかけてくださった。さっきはごめんなさい、ありがとうございます。と伝えた。
東電の看板を見て、これは、自分からしたら双葉町の目印みたいなもんで、今更なんとも感じないですよという。
スタッフさんは浪江町出身。避難指示解除と言われていても自分の家の場所は除染が済んでないから帰れないという。テレビで見聞きしただけじゃ分からないでしょう?と。
私も今日、6号線を走ってきたけど帰宅困難区域がたくさんあった。雑草だらけのパチンコ屋を何軒か見かけたことや"すきや この先2km”の看板の先にすきやなかったことなど話したら
「あぁ、あのすきや!よく行ってました!懐かしいな。もうないんですけどね。何年も経つといろんな風景を忘れてしまうけど、すきやとかワードを聞くと思い出せるんですよね」
とおっしゃった。自分の家に10年以上帰れず、周りの建物も流されたり取り壊されたりしたら、きっと私も忘れてしまうだろう。数年ぶりによく行ったお店のことを思い出したら、すごく懐かしむだろう。そう思った。
「最近、震災の特集番組を観ていたら、キャスターが”15年たっても終わっていなかったんですね”っていうから、腹が立つし、悲しかった」
とおっしゃったのが忘れられない。今日まで自分事と思えていなかった私でも、一緒に腹が立った。いつが終わりだよ。なんだよ。いや、今日福島来てなかったら怒れなかったかもしれない。人のこと怒れない。
スタッフさんは家族のこと、発災当日のこと、友人のこと、ここで働き始めたきっかけ、テレビじゃ知りえないたくさんの話を私にしてくださった。
私は、あなたに会うために今日福島に来たのかもしれない。この方は、自宅から120km離れた伝承館に毎日通って働いている。
こうして、立派な建物があって、震災を知ってもらおうと行動されてる方々がいて、それなら私は被災した当事者じゃなくてもここに来る意味が、ありますね。そうですよ、来てほしいんですよ。いつかお子さんとも来てください。
1時間ちかく話しこんでいた。最後に握手をして、また!とお別れした。また、来よう。気づけば閉館時間まであと少し。展示も随時更新されるとのこと。本当にまた来る。

今現在が何時なのか分からなくなるくらい

家にとりに行った際
見かけた人は二重マスクで防護服姿だったという
かたや自分は花粉症用のマスク、
なにも知らさせてなかったんですという。

どんなに辛いか分かった気になるなんて申し訳ない



すごく天気が良かった
来て、見てみないと分からなかったことばっかりだった。テレビで見たことで知った気になっていてはいけないと思う。それに、自分に対して語ってくださる方と出会えて、福島で起きたことは他人事ではなくなった。
ぜひ、帰ってから周りに伝えてください。大切な人の命を守ってくださいと仰っていた。
記事にするつもりのなかった旅だけれど、私と同じように被災した地に来ることを躊躇っている方にもぜひ来て欲しいという思いと、何より今日出会って私に話をしてくださった方へ、ささやかすぎるお礼として書き残してみました。
2日目も、遺構を巡ります。
つづく
2025/03/14
