【小説】ラプソディ・イン・ブルー④/「#創作大賞」参加作品
「おいおい、銭函だろ!すぐ近くじゃないか」
うっすらと感じ始めていた眠気が吹き飛んだヒノデアキラの体に、久しく感じていなかった熱い血が巡り始める。
彼の自宅アパートは札幌市手稲区。
イワシが打ち寄せられ、クマが出現した現場からは愛用のスーパーカブで駆け付ければ30分とかからない距離だ。
全国ニュースのトップを飾るかもしれない、キャッチ―な出来事が自分の現在進行形で起きている。
「行くしかねーだろッ!」
彼は自らを奮い立たせるように口に出すと身支度を整え、スマホとモバイルバッテリーを肩掛けカバンに押し込んで勢いよく部屋を飛び出した。
生配信だ。
なんなら24時間でも48時間でも張り付いてやる。
そうだ、おととい『知事選に出馬する』といった軽口をここで生かせばいい。所属事務所の生意気なマネージャーにも一泡吹かせてやる。
1週間前に見舞いに行った母の顔を思い出しながら彼は、バイクに飛び乗った。
☆☆☆☆☆
「いやあ!」
道都テレビのスタジオで女性キャスターの向山が鋭い悲鳴を上げ、のけぞる。メインキャスターの宮沢は
「橿原さん!いますぐ現場を離れて、クマと距離を取ってください。クマを刺激しないように、慎重に後退して、安全を確保してください。危険ですので現場からの中継はこれでいったん、終了いたします」
落ち着いた様子で宣言して、フロアディレクターに目配せする。
「CMに!」
インカム越しの声がスタジオサブ(副調整室)に届き、CM発行ボタンが押される。
OAを映し出すモニターが見慣れた地域CMを流しだすと同時に、スタジオの内外でどよめきが起こった。
プロデューサーの坂本はスタジオ内に割って入り、声を張り上げる。
「立て直そう。CM何分?2分?現場の中継は安全が確保されたらまた呼びます。CM開けたら一言受けて、スポーツ、それから……」
この先の進行について指示を始める。
ニュースデスクの有村は、スタジオサブでインカム越しに現場に呼びかけていた。
「まずロケ車まで戻ろう。クマに背を向けないように。大崎さんは可能なら映像送り続けて。こっちから警察に通報するから、ゆっくり、ゆっくり下がろう」
その間も現場の映像はスタジオサブのモニターに映し出され続けている。
クマは幸いなことに中継クルーではなく、海岸の魚のヤマに興味津々のようで、やがて勢いよくイワシにかぶりつき始めた。
「目的はそっちだな!よーし、いいぞ。加賀、警察に通報して!そのあとサツキャップに事情説明も頼む。俺は編集長に電話して、応援呼んでヘリ出すから」
そんなやりとりをしているうちに中継班一行は7、80メートルほど離れたワゴンタイプのロケ車にたどり着いたようだった。
「えーと、私の声、生きてます?」
橿原の声が音声卓の脇のモニタースピーカーから聞こえてくる。
「LIVE-U、サーバ収録かけてー」
有村はADに声をかけると、
再びインカム越しに呼びかける。
「ちょっと余裕ないから、一方的にしゃべります。収録まわしてるんで、カメラは車から出ないで距離取ったままでクマと魚の画、送り続けてください。橿原はリポートつけて。そのうち警察がついてそこから追い出されたら、その場所から中継いれるから」
大崎がかつぐカメラが『了解』の合図で上下に首を振る動きを取る。
「あと、ヘリ飛ばします。安全第一でよろしく」
「小樽署に通報しました。あとキャップに一報入れましたー」
加賀がバタバタと近寄ってくる。
「サンキュー。クマ、イワシと合わせて1分半で原稿あげて。あー、キー局のデスクにも言わなきゃ。忙しくなるぞー」
有村は右手で、加賀の肩をポン、と叩くと報道フロアのデスクへと戻っていった。
☆☆☆☆☆
「いやー、ビックリしましたね!イワシの取材だと思ってたらクマの取材なっちゃって。私、クマを間近で見たの初めてです!」
ロケ車の助手席に乗り込み安堵の息を吐いた菊地原は、興奮冷めやらぬテンションのまましゃべり続ける。
「あのクマ、体長2メートルくらいですかね?かなり大きく見えますよ。あんなのに襲い掛かられたらひとたまりも……」
「桃ちゃん!」
饒舌な菊地原に、車内の中列から橿原が鋭く一声かける。
「興奮するのはわかるけど、落ち着いて!いまやらなきゃいけないことがあるでしょ」
「そうだ」
大崎は肩に担いだままのカメラのフレームにクマを捉え続けながら、声を発した。
「俺たちはさっき、『海岸に大量のイワシが打ち寄せた』という生中継をしたんだ。遠目にクマが近寄ってくる画まではちらっと見せられたが、その危険までは十分に伝えられていない。もし、野次馬が海岸にやってきてクマの被害にあった場合は……」
「私たちの責任ね」
普段は柔らかな表情の、橿原の目が真剣みを帯びている。
「は、はい。すみません」
「私は今の状況をリポートして、本社に送り続ける。このあと警察もくるし周囲が騒がしくなるから、桃花ちゃんは対応と周辺取材をお願いね」
「わかりました!」
橿原は深刻な表情を崩し、あえて笑顔を作る。
「さ、そうときまれば、場所変わろ!やるしかない!」
☆☆☆☆☆
「こちらは小樽市銭函の海岸です。時刻は5時20分をまわったところ。私はいま海岸から7,80メートルほど離れた場所に停車中の車の中からリポートしています」
橿原の上半身を映していた大崎のカメラは、車のフロントガラス越しに海岸線へとズームし、途中でエクステンダーを入れてさらに『寄り』の映像を送り出す。
「銀色に光って見えているのは、さきほど一度中継でお伝えした、海岸に打ち上げられたイワシと見られる魚のヤマです。そして、その魚にかぶりつくような動きを見せている黒い生き物がみえますでしょうか?私たちが見た限りではヒグマのように見受けられました。
現在私たちはヒグマから距離を取り、警察に通報して、車の中からクマの状況を監視しています。付近にお住いのみなさんは、危険ですので決して海岸には近づかないでください。
繰り返しお伝えします……小樽市銭函の海岸です……」
「よーし、いいぞ。収録は回し続けて。あ、佐久間ちゃん聞いてる?」
ADに指示をした後、有村は、頭に着けていたヘッドセットでインカム越しに編集にコンタクトする。
「はーい、聞いてます」
当直のエディター、佐久間は40代前半のベテラン編集マンだ。
「いまのさー、サーバにニュース項目の新しいハコつくるからいいとこで切って入れてほしい。尺2分くらいだったでしょ」
「ざっとそんな感じでしたね」
「加賀君の本記Vのあとに入れようと思うんで、よろしくです」
「りょーかいでーす」
有村はヘッドセットを外すと、スタジオサブから報道フロアーに移動する。報道フロアーは生放送が続いている報道スタジオに隣接していて、プロデューサーの坂本はその報道フロアーから制作ラインのインカムを使って番組に指示を出していた。
「坂本、現場の橿原リポート、撮って出しでいこう。生だとなんかあった時に危険もあるけど、Vならいいと思うんだ」
「いいですね。『現場付近に近寄るな』のエクスキューズも入れたいし。生は警察が着た後に安全が確認されたら復活しましょ」
坂本はモニターから目を離さずに応えると、そのままオンエアディレクターとフロアマネージャーにインカムで伝える。
「次のCM明けからさ、イワシとクマ全力で行くから。残りのスポーツと特集は飛ばす。天気の時間だけ残してあとは全部、イワシクマ!あっ、CMは飛ばさないからね」
☆☆☆☆☆
遠くから聞こえ始めたパトカーのサイレンは、確実にその音量を増し始めていた。
「警察車両のサイレンと思われる音が近づいていますが、クマは我関せずといった様子で、イワシを食べ続けています。食べるペースは少し落ちたように感じられます。満腹が近づいているのかもしれません」
橿原は付近の状況や、クマの様子などを加えてリポートを送り続けていた。
やがて一台の小型のパトカーが接近し、ロケ車のすぐ横に停車すると2名の制服警官が降りてきた。
菊地原はクマの様子をきにしながら、車から出て警察官に近寄った。
「DTVさん?通報の」
40代と20代のように見える2人のうち、年かさの方が話しかけてきた。
「そうです」
「クマは?」
「あの、ここから見えている海岸で、黒くて動いてるヤツ、見えます?」
「あー、あれか。おい、連絡」
一緒に見ていたもうひとりの警察官が、署への無線連絡を始める。
「ちょっと近いな。DTVさんね、もっと下がってもらうから」
「えっ?」
「だって、危ないでしょ。ここひとまず封鎖するから」
「封鎖、ですか。じゃ、どのくらい下がれば?もう50メートルくらいですか」
「いやいや」
ベテラン警官は呆れたような表情を浮かべながら言った。
「付近一帯封鎖だから、1キロか2キロかわからないけど、この海岸自体から出てもらわないと」
「ええーっ!」
大声を出したのは菊地原ではなかった。
リポートを続けているはずの橿原が、車の外まで響くような叫び声をあげていたのだった。
思わず、菊地原も警察官も車に近寄りながら耳を澄ます。
「ふ、増えています。1、2、3、4、5。5頭!いつのまにか海岸のクマが5頭に増えています!」
