【小説】ラプソディ・イン・ブルー⑥/「#創作大賞」参加作品
青森県内のH市に生まれ育った菊地原桃花は、中学時代、陸上部の短距離走選手としてそれなりの成績を残していた。
それなり、というのは県大会まではいけるが、全国大会には進めないというレベルの選手ということである。
高校に入っても陸上は続けたが、トップ選手との差は開いていくばかり。
そんな彼女とは違い、全国どころかオリンピックも目指せるのではと期待されていたのが桃花の同級生、松本綾乃だった。
アスリートが集う県内の私立高校からの誘いを蹴って、自宅から近い県立高校に進学。高校側も、県の教育委員会の協力を得て特別にオリンピアンを顧問に招聘するほどの熱の入れようだった。
だが、そんな綾乃を想定外の事態が襲った。
家の方向が近かった桃花と綾乃は、部活終わりに自転車で連れ立って帰り道にあるコンビニに寄り、棒アイスを食べながらツラい練習の愚痴を言いあうのが日課だった。
だがその日、アイスを食べ終わった綾乃はこんなことを言った。
「膝サポーター買いたいからスポーツショップ行くんだけど、一緒に行ってくれない?」
「え、膝痛いの?」
「いや、痛いまでいかないけど、ちょっとハリがある気がするんだよね」
「大会近いから、ケアしたほうがいいね」
「そう、なんだけど……」
綾乃は少し表情を曇らせた。
「タナベスポーツにさ、なんかチャラい店員いるじゃない。こないだアイツが話しかけてきたからムカついてガン無視したんだよね。なんかいま独りで行くのちょっと嫌だなと思っててさ。桃花、一緒に行かない?」
桃花はスマホを取り出し、スケジュールを確認する。
「あー、きょうお母さん帰りが遅いから私が夕飯の支度するつもりだったんだよね。明日だったらいけるんだけど」
綾乃はふぅ、と小さく息を吐くと
「そっか。いや、大丈夫。パッと買ってすぐ帰ればいいか」
「ごめんねー」
「ううん、こっちこそ急にゴメン」
そういうと綾乃は、じゃあね、と言い残して自転車で別方向に向かって走り去った。
その翌日、綾乃は学校に姿を現わさなかった。
そしてさらにその翌日も。
体調不良だろうか、と考えた桃花は昼休みに、アニメの人気キャラクターが『大丈夫?』と声をかける仕草をしているスタンプをLINEで送った。
が、放課後になっても既読にはならなかった。
そのうちにクラスの女子たちの噂話が聞こえ始めた。
「綾乃がさ、万引きで捕まったらしいよ」
「タナベスポーツでさ、テーピングのテープとったんだって」
……綾乃が?万引き?
そんなはずはない。
膝サポーターを買ってすぐ帰る、といっていたのだ。
「あーあ、やっちゃったんだね」
「綾乃ってさ、最近ちょっと調子乗ってたからさ。感じ悪かったよね」
「待って、おかしいよ。ウソ。なんかの間違いだよ!」
桃花は必死で叫ぶ。
そのとき、教室の後ろの入り口からひとりの女子生徒がふらりと姿を現わした。
「綾乃!」
桃花は駆け寄る。
周囲の女子たちはとたんに気まずそうな表情になった。
綾乃は憤怒の表情で教室の後ろにある荷物棚から私物をカバンに詰め込み始める。
「どうしたの、なんかあったの?」
「逮捕された」
「え?」
綾乃は昨夜から泣きはらしたのだろう、真っ赤な目を隠そうともせずに言葉を続けた。
「私、やってないのに万引き犯扱いされて、警察呼ばれて逮捕された」
「……そんな!」
「裁判になろうがなんだろうが、絶対無実を証明する!」
綾乃は教室内の荷物棚から私物をカバンに詰めこみ、足早に教室の出口へと向かう。
「……ごめん、綾乃!きのう私が一緒にいってれば……!」
桃花は綾乃の後を追おうとした。
「もうさ!」
綾乃は振り向かぬまま、
「私にかまわないでよ。私はひとりで大丈夫だから!」
いいすてるとそのまま教室を出ていった。
菊地原桃花は、どうしていいのかわからぬまま、呆然と立ち尽くしていた。それきり綾乃は学校に姿を現わすことはなく、これが、桃花が綾乃と交わした最後の会話になった。
翌日のスポーツ紙に、綾乃が万引きで逮捕されたとして記事が掲載された。
陸上界期待のホープであっただけに、写真付きで大きく扱われ、学校内でもその噂で持ちきりになった。
桃花はそんなわけはない、綾乃はやってないと否定して周ったが周囲は聞く耳を持たない。
一か月たたずして、真相は判明した。
その後の調べで、スポーツ店の店員が綾乃のカバンにテーピングのテープを忍ばせたことがわかったのだ。
好意を持っていた彼女につれなくされ、困らせてやろうと思ったのだという。
彼女の無実を伝える小さな訂正記事は新聞に掲載されたが、いったん広まった悪評をすべて打ち消すまでには至らなかった。
結局、松本綾乃は県立高校に戻ることはなく、その名もいつしか忘れ去られていった。
桃花はしばらくの間、LINEのメッセージを送り続けたが、既読になることはなかった。
風の噂に、綾乃の母親の実家が北海道にあり彼女はそちらで暮らしているのだと聞いたが、定かではなかった。
もう一度会いたい。
そして、彼女に謝りたい。
もっと自分が積極的に踏み込んでいれば。関わっていれば、彼女の疑いをもっと早くはらすことができたかもしれない。
そうすれば、彼女は陸上を続けられたかもしれない。
祈るような気持ちで北海道の大学に進学し、報道に携わる道を選んだ。そこには綾乃への贖罪のような気持ちもあったのかもしれなかった。
☆☆☆☆☆
「5頭ものクマを駆除する。または追い払う。猟友会の皆さんにとっても、例のない事態だと思います。みなさんが命の危険を冒して市民を守るという覚悟を感じました」
菊地原の言葉に、権田と呼ばれた白髭の男はその言葉への返礼のつもりか、右手で赤い帽子のツバに触れ、くい、と引き下げた。
「その覚悟を伝えるために、報道に関わう人間がこの場にいるべきだと思います」
「だからそれはっ!」
「ただ!」
警官が割って入ろうとするのを遮り、菊地原は続ける。
「警察と報道機関とのルールも無視するわけにはいきません。ウチのカメラとアナウンサーはエリア外に出します。そして私はヒノデさんの取材活動に密着するという名目で同行します。ですので、ヒノデさんの撮影への許可をお願いします!」
驚いたのはヒノデだった。
「俺が?撮っていいのか」
「いまその交渉をしています。ですがヒノデさん、この交渉を取り仕切っているのはDTV報道部の私・菊地原です。ヒノデさんの映像配信の優先的な使用権を認めていただきたいです」
「と、撮らせてもらうのはありがたいが、優先的にってのはどういうことだ?」
「これからの配信を限定公開にして、まずはDTVで放送させてください。きょうの放送について、私たちは視聴者に経緯を伝える義務があると考えます。私たちのカメラがエリア内にいられないことを踏まえた折衷案です」
菊地原はその場の全員を見回していった。
「いかがでしょうか!」
「よかろう!」
権田が即座に言い放つ。
「桃ちゃん、無理だけはしないで!」
言い残すと橿原とカメラクルーは頷きあいながらロケ車に向かって歩き始めた。
警官二名は、その場の雰囲気に吞まれたように、しばし唖然としていたが、そのうちにベテラン警官の方がハッ、と気がついたように言った。
「自分たちは権田さんに同行します。いざとなれば……」
と、右手の拳銃ホルダーに手をやる。
「お役にも立てるかもしれません」
権田は他の猟友会メンバーと目配せをしあい、同意を確認していた。
「アンタ、ヒノデといったか。それでいいんだな!」
ヒノデは自分の想像以上の事態になっていることに震えながら、コクコクと頷く。
「狩猟人生の中でも、一世一代の大舞台だ。せいぜいカッコよく撮ってくんな。アンタらの安全は俺たちが文字通り命を張って守る!」
☆☆☆☆☆
「やるじゃないの」
DTVの報道センターではイヤホンを装着した有村が、大崎カメラマンの映像を見つめ、盛本音声マンの送る音声に耳を澄ましていた。
その目からは、いまにも涙がこぼれそうだった。
頭に血が上っているように見えながらも、判断は冷静な菊地原桃花の姿に、有村は胸を打たれていた。
彼女が入社して報道部に配属になった当時、最初に研修を受け持ったのは有村だった。
「きょうもDTV報道部『三つの使命』、やるぞ!ご唱和ください!」
彼女が入社した当時、有村は菊地原と1対1で2週間、新人研修の先生役を務めた。
さまざまな事例学習を繰り返しつつ、1日のカリキュラムの終わりには、有名プロレスラーのパフォーマンスをまねて報道部のモットーを叫ぶのを日課にした。
「いくぞ、菊地原!」
「オー!」
報道部から遠く離れた五階の隅の会議室で、二人は向かい会って立ち、真剣なまなざしを交わす。
「ひとーつ、真実の追求!」
「シンジツノツイキュー!」
「ひとーつ、権力の監視!」
「ケンリョクノカンシー!」
「ひとーつ、弱者の味方!」
「ジャクシャノミカター!」
ひとついうごとに握りこぶしを突き上げる様は、プロレスラーというよりは組合のシュプレヒコールのようだったが、本人たちは至って真面目そのものだった。
「以上、『DTV報道部、三つの使命』、あざーっしたー!」
「あざーっしたー!」
菊地原は格闘家のように、クロスした両手を大きく両外に開きながら礼をした。
「あしたから君も報道記者の仲間入りだ。よろしくな!」
「『三つの使命』胸に刺さりました。わたし、自分と向き合って、……人間と向き合って、戦います!」
「よーし、その意気だ」
あれから2年半。
彼女の心の中には確かに、報道への情熱が燃えていた。
いや、それはそんな厳めしい名前のものではないのかもしれない。
だが彼女が「人間と向き合う」といったその覚悟は『三つの使命』の根底に流れる決意と共鳴するものだった。
若いころはジャーナリストとして名を成したいとの野望を持っていた時期もあった有村だったが、日々の業務に追われ、営業や制作など人事異動で社内の他部署を経験していくうちにいつのまにか『業務をこなす』だけの人間になっていた。
まだ、間に合うのだろうか。何かできるのだろうか。
自問する有原の意識を、胸ポケットに入れたスマホの振動が呼び戻す。
「もしもし」
「あー、有村さん!菊地原です」
動揺する有村は一瞬、言葉に詰まった。
「すみません、たぶん聞かれてたかと思うんですけど、あんなことにしちゃいまして……」
「いや、面白い。アドリブにしてはいい発想だ。上の人たちには俺から説明する。こうなったらやるしかないだろ!」
「はい!……でヒノデアキラの生配信なんですが、このあとURLをアプリで送ります」
「わかった。さすがにそのままの配信はヤバいから、ネット経由で編集機にとりこんで10秒ディレイで放送する。最悪、俺の判断で配信止めるけど、悪く思うな」
有村は自ら口に出した『最悪の事態』に思いを巡らす。
タイムラグがあるとはいえ、限りなく生放送に近い形で事態を伝えれば、クマが打たれる瞬間を視聴者に見せることになる。動物愛護の観点からは、好ましくない状況だ。クレームも来るだろう。
……そして、死傷者が出る恐れもある。
このチャレンジは、そんなリスクを冒してまでやるべきことなのだろうか。
「有村さん」
「……なんだ?」
「久しぶりに、アレやってくれませんか!」
「アレ?なんのことだ」
菊地原は、電話のむこうでアハハと軽やかに笑う。
「『三つの使命』ですよー」
「あ、アレか!あれを?いまやるのか!?」
「はい、いまです!」
「……いや、いまオンエア中だ。『三つの使命』お前がやれ。俺が追認する」
といいながらも有村は、できるだけフロアーの隅の方に移動する。
「では、DTV報道部『三つの使命』、やります!」
「ヨォーシ!」
有村は電話をもっていないほうの、右手のこぶしを固く握り締める。
「ひとーつ、真実の追求!」
「ヨォーシ!」
「ひとーつ、権力の監視!」
「ヨォーシ!」
「ひとーつ、弱者の味方!」
「ヨォーシ!……行ってこい」
「……あざーっす!!」
「ふはは。やらかしてこい、このバカヤロウ!!」
「はい!!」
ちょうどそのころ、銭函上空で旋回中のヘリでは……。
「あれ、なんだろうな」
「なにがですか?」
ヘリ搭載のカメラ『ウエスカム』を操作する田中のつぶやきに、山根が反応する。
ヘリの中では回転翼の音が大きいため、田中、山根とパイロットはそれぞれヘッドセットを着用して会話をしている。
そのため小さなつぶやきも自分以外の乗員に聞こえてしまう。
「あいや、いまなんか沖の方に大きな魚みたいな影が見えた気がしたんだが……光の加減かな」
「あーよくありますよね」
「おっと、猟友会が四人とも銃を構え始めてるぞ。パイロットさん、できるだけ大きく、ゆっくり左旋回でお願いします」
雲一つない青空の中を跳び行く白いヘリは緩やかに旋回し、いったん沖の方へと向かい始めた。
