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【SS】 やり直し #シロクマ文芸部

 ただ歩く、ひたすらに前だけを向いて。時折振り返ると、規則正しく並んだ自分の足跡だけがついて来ている。それでいい。人生なんて波風が立たない方が良いに決まっている。両親からそう教えられてきた。だから、貴史は穏やかな両親を見習って生きていこうと思っていたし信じていた。両親の言う事を忠実に守り、周りからも「良い子」に見られるように努力してきた。おかげで学校の成績はいつもトップクラスを維持し続け、両親も喜んでくれた。両親が喜ぶことが自分の喜びでもあると思っていた。あの時までは。

「あなた、これは一体どういうことなの。我が家の土地建物が全部銀行の抵当に入っているじゃないの」

「ああ、とうとう見つかってしまったか。実はな、会社の資金繰りがいよいよ瀬戸際になってしまって、銀行から融資してもらうために抵当に入れてしまったんだ」

「そんな。ここはあたしの父から受け継いだ土地なのよ。なぜそんな勝手なことをするの。相談もなかったじゃない」

「いや、今では私の名義だし、相続税を負担したのも私だし、何しろ、お前に言えば反対されるだろうと思ったからな」

「そりゃ、反対するわよ。酷すぎるわ。今まで信じていたのに」

「そんなお前だって偉そうに言えないだろ。友達と毎日ランチ三昧でカードの請求が山ほど来てるじゃないか」

「それは、だって、お付き合いは大切だし。あなたに言うほどの事でもないじゃない」

「毎月百万を超えるカード決済がお付き合いだと。笑わせてくれるよ。お前の金銭感覚はどうなっているんだ。男にでも貢いでいたんじゃないのか」

「ひどい、そんな風に思っていたなんて。もう、終わりね」

 突然リビングから言い争う声が響き渡ってきた。家の中で大きな声で口論する場面を貴史は初めて経験した。自分の家族、ましてや穏やかな両親の間でそんなことが起きるとは考えてもいなかった。どうやら定期的に弁護士に依頼して、自宅の登記内容を確認している母がその内容に驚いていたようだ。もともと父親を信じてはいなかったのかもしれない。貿易で身を立てている父の会社の資金繰りが詰まったらしいと言うことを弁護士から聞き、臨時で登記内容を確認させたようだった。

 父親の会社は、十年ほど前から小麦の輸入に全資本を集中投資し始め、大成功を納めていた。複数箇所から輸入していた小麦の調達を、交渉によりより安価で買い付けることができるような目処がたったため、一箇所からの大量購入に変更していたのだ。輸送もコストを下げるために海路での輸送に集中させていた。しかも、混載なしの専用の輸送船まで契約したのだ。一大決心だったのだろう。父親の判断は、当事社内でも反対派もいたのだが、結果が出るとそれはいつしか賞賛の声に変わっていたくらいだった。

 だが、長くは続かなかった。調達している国で隣国との争いが起きてしまったのだ。そして最悪の展開となり、争いは戦争に発展してしまったのである。街や道路は破壊され海路も妨害されるようになった。途端に小麦の輸入が困難になると同時に調達単価まで高騰してしまった。その全てが貴史の父親の会社の利益を奪い、顧客の減少を加速してしまった。あっという間だったようだ。社長である父親はやむなく土地と家を担保に融資をしてもらったのだ。ただそれも焼け石に水だった。

 悪いことは重なるものである。融資して得た金額もあっという間に無くなり、一家は全財産を失うとともに会社は倒産した。母親は、持てるだけの宝石を抱え、いつの間にか蒸発してしまった。誰も貴史のことを構ってくれない。貴史は途方に暮れた。それまでは誰かが作ってくれた道をただ歩いて来ただけだった。自ら判断する癖など身につけてはいない。

 貴史は過去を否定することから人生をやり直そうと考えた。偉大な人だと思っていた両親は自分のことを一番に大切にする人だと知ってしまったのだ。貴史は家を捨てた。と言うより、住んでいる家が無くなるのは時間の問題だったから、母親同様、家から逃げ出した。そして生きていくために悪いことにも手を染めていった。

 いつしか、貴史は闇の街に君臨するようにまでなってしまい、過去の生活に戻ることは出来なくなっていたが、後悔はしていなかった。偽りの愛情の中で生活をするくらいなら、憎まれても存在価値のある生活に身を委ねようと決心したからだ。

 貴史の生活基盤は密輸だった。流石に麻薬には手を出してはいなかったが、海外製品を密輸入して海外の客に「日本製」と偽って販売することで利益を得るような商売をしていたのだ。顧客が海外であるということで、日本国内で事件として発覚する可能性が低いと判断し、思いついた商売だった。

 貴史の闇の商売も順調かと思われたある日。内部告発というか組織内からの密告により、その悪事が明るみに出ることになった。どうやら、海外に居る自分の家族が被害にあった男性が、復讐のために貴史の組織に潜り込んでいたらしい。全ての事務所と「日本製」に偽るための商品パッケージの作り替えに使っている倉庫の場所などが警察にリークされたのだ。

 あっけなく貴史は逮捕された。そして今拘置所に収監されてしまった。今では、毎日午後になると、拘置所内のグランドで、ただ歩く生活を貴史は送っている。貴史三十八歳、実刑十五年の判決だった。


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