【短編】シャボン玉の記憶 (4567字) #シロクマ文芸部
シャボン玉は、丸い表面を温かい太陽に照らされ、キラキラと輝きながら青い空を目指して風に揺られている。もっと空の高いところを目指して飛んでいきたいのだろうが、残念ながらそれは叶わない。ゆっくりとゆらゆら漂った後、地面に落ちて跡形も無くなっていく。幼い子はそんなことには無頓着で、ただただシャボン玉をたくさん吹いてキャッキャと笑いながら楽しんでいた。
「ねぇ、ママ。シャボン玉ってとっても綺麗だね。ことり、上手にできるでしょ」
「本当ね、ことりちゃん。シャボン玉作るの上手になったねぇ」
「うん。そうだよ。だってね、時々幼稚園でお友達と一緒にやってるから」
母親の近くを走り回りながら、まるで時間を止めてしまったかのようにシャボン玉に夢中になっていた幼い頃を思い返していた。ゆっくりと閉じた目を開けたことりは、母親の面影を偲んで離れていく我が家の玄関を見つめた。
「生まれ育ったこの家ともこれが最後なんだなぁ。仲良しの家族が住んでくれればいいけど。でもこんな事件の後じゃあ、無理かなぁ」
ボソッと独り言のように呟きながら、ことりは両手首に上着をかけられた状態でパトカーに乗せられた。家の中では鑑識による検死が始まっている。二階の寝室に何も語ることができなくなった老夫婦の遺体が綺麗に並んだ状態で布団に寝かされていた。ことりの両親だった。
パトカーに乗せられたことりは県警本部の取調室へと連れて行かれた。飾り気の無い小さな部屋に置かれている椅子に座るように促され、静かに俯いたまま腰を下ろした。
「お名前と年齢を教えてください」
「田所ことり、五十六歳です」
「ご職業はなんですか」
「今は無職です」
「そうですか。では、田所さん、単刀直入にお尋ねします。あなたはご両親を殺害したのですか?」
「いいえ、私は殺害してはいません。でも、両親が亡くなるのを静かに看取りました…」
「それは、どういうことですか?」
「両親は自ら死にたいと言って…そして見送ってちょうだいと言われたんです…」
「あなたは止めなかったのですか?」
「…はい」
「どうして。それって罪に問われるんですよ」
「ええ、わかっていました…でも、止められなかったんです。母の苦労を知っていたので…」
「お母さんの苦労とは、どういうことですか?」
「父は、脳梗塞を患った後、半身不随になり日常生活もできない状態で母が一人で看病していました。でも、その母が疲労で階段から落ちて骨折してしまったんです。動けなくなった母は私に連絡をくれました。睡眠薬を持ってきてと…」
「それで…」
「私は、父と一緒に死にたいのだなってピンときたんです。だから、私が通っている病院で睡眠薬を処方してもらいました。旅行に出るので一ヶ月分を処方してもらったんです」
「それを渡したのですか?」
「…はい。抵抗はありましたが、動けない二人がかわいそうで…」
「ご遺体のそばには睡眠薬が入っていた空き瓶が発見されましたが、それがあなたが準備した睡眠薬なのですね?」
「…はい、そうです。間違いありません」
「そうですか…ところで、あなたには入院している娘さんがいらっしゃいますよね」
「えっ、娘は何も関係ありません」
警察は、ことりの逮捕時に娘の存在を知り病院に問い合わせをしていたのだった。
「昨日は一時退院をされているようですが、娘さんは今どちらに?」
「む、娘は、自宅にいます…また、病院に戻らなければならないので…」
「どうして娘さんは一人で留守番を?」
「…」
「一時退院で一人置いてくるのは心配ではありませんでしたか?」
「娘は何も知りませんから…」
刑事たちは、ことりの言動に疑問を持ち始めた。
「そうですか。でも一応確認のために警察官を娘さんのところに向かわさせていただいていますよ」
「娘は何も関係ないって言ってるじゃないですか。余計なことはしないで」
ことりは急に大きな声を出して、刑事にくってかかった。その反応に刑事は敏感に反応した。
「随分と焦っていらっしゃいますが、何かまずいことでもあるのですか?」
取り乱したことを後悔するようにことりは静かな口調に戻り下を向いた。
「…いいえ、何もありません。娘の心を乱したく無いんです。心臓が弱いので」
「移植のためのドナーを待っていらっしゃるんですよね。入院費も大変でしょう」
「…えっ、もう、そんなことまで調べられたんですか?」
「まぁ、仕事ですから。それから、あなたには娘さんの他に息子さんもいらっしゃいますよね。弁護士になられているようですが…」
「…息子は今近くには住んでいません。なので、連絡もしていません」
こうして刑事による取り調べは続き、調書が出来上がった後には検察官の前に連れて行かれた。検察官は事前に調書を読み、刑事たちと打ち合わせを実施した後、追加の捜査を実施していた。調書の内容では「自殺幇助」で起訴することになりそうだった。検察官は刑事たちと話をしていた。
「この被疑者の田所ことりという人物は、自殺幇助ではなく第一級殺人なのではないでしょうか?」
「いやぁ、本人の供述にもあるように自殺幇助だと思いますが…」
「追加で届いた鑑識の報告書を見ると気になる点があるんです」
「と、言われますと」
「まず、亡くなられた両親の着衣が全く乱れることなく、仲良く手を繋いで布団の中に横たわっていたということ…もし、睡眠薬を大量に飲んだ後、コップも片付け夫の着衣を綺麗にし、自分も布団に横たわり裾も合わせて綺麗に整えた後、掛け布団を綺麗に首までかけて手を繋ぐということはできないのではと思うのですが」
「それは被疑者が後から整えたのではないでしょうか。それなら可能かと思います」
「なるほど、ではコップについている指紋の位置が不自然なことはどう説明されますか? 親指の指紋がコップの下の方についているんですよね」
「えっ、あ、本当だ。不自然ですね」
「おそらく被疑者が握らせてつけた指紋なのではないでしょうか?」
「…なるほど。でもそれだけでは追求は厳しいですね」
「あとは、数日前に実家を売却していたということがわかったんですよね」
「ああ、そうです。言われて捜査した結果、売買契約が成立していたことがわかりました。受取人は田所仁志で被疑者の長男である弁護士ですね」
「おそらく被疑者が依頼したものではないですか? 長女は心臓移植が必要らしく三千万円以上の費用がかかるようです」
「なるほど、それで殺害を…でもそれならなぜ現場にいて連絡を入れてきたのでしょう」
「おそらくは長男の入れ知恵なのではないでしょうか。自殺幇助にすれば殺人よりは軽い罪になり、状況によっては情状酌量もありうるので。それに保険や遺産は息子や娘に渡るのであれば問題はないと考えたのかもしれません」
このあと、ことりは再度追求されることになった。ことりはなんとしても子供たちを守りたかったようだ。追いかけるように検死の結果の報告書も届いていた。
「田所ことりさん、あなたは嘘をついていますよね。あなたはご両親を殺害して自殺に見せかけようとしたんですよね。娘さんの治療費のために。もしかすると実家を売却したことが明るみに出てご両親と争いになったのではありませんか?」
「そ、そんなことはありません。私は、どうすることもできなくて、ただただ両親を見守っていただけです。だから、自首したんですから」
「実はですね。検死の結果もついさっき届いたんですよ。それによるとご両親の太ももの血管に注射痕があったそうです。麻酔を注射したあとだそうです。田所さん、あなたは看護師の経験がありますよね」
「…」
「口から摂取した睡眠薬で眠りについた両親に対し、注射で致死量の麻酔を血管に流し込んだことが死因だと報告を受けました。田所さん、何か言いたいことはありますか?」
「…」
「この件にあなたの息子さんも関与されているのではないですか?」
「いえ、そんなことはありません。全て私の一存で実施しました。息子は遠い場所にいますから関係ありません」
「そうですか。それではあなたはご両親を殺害したことを認めるのですね」
「…、はい、認めます」
「あなたは自身の罪を軽くするために自殺幇助を演じたのではありませんか?」
「い、いえ、そんなことは…」
「その入れ知恵は息子さんによるものではないのですか?」
「ち、違います。息子は何も関係ありません」
「それではあなたの携帯の通信履歴も確認させてもらいますよ」
「はい、構いません…」
田所ことりは大好きだった母親を自らの手にかけてしまったことを後悔はしていたが、自分の子供たちの関与に関しては最後まで否定し続けた。使っていたスマホも両親が亡くなる前に買い換えていたのである。
警察内部では、田所ことりが買い換える前の電話番号に辿り着き、長男と頻繁に連絡していた事実を突き止めていた。しかし会話の内容までは確認する手段はなく、田所ことりの単独犯行ということで送検する決断をしていた。
それでも長野に住んでいる田所ことりの長男である田所仁志に事情聴取を試みていた。郊外の一軒家にすむ田所仁志を刑事が訪ねていた。庭では田所仁志の妻と娘と思われる二人がシャボン玉を作って遊んでいる。
「田所さんのお宅でしょうか」
「あ、はい、そうですが。どちら様でしょうか」
「神奈川県警からの依頼でご主人にお尋ねしたいことがあり訪問しました。ご主人はご在宅でしょうか」
「ええ、呼んで参ります」
屈託のない笑顔で幼い女の子が刑事に歩み寄ってきた。
「おじちゃん、シャボン玉、綺麗でしょ。はづき、大好きなの、シャボン玉」
「綺麗だね。はづきちゃんっていうんだ。可愛いねー」
そこに頭を下げながら仁志が現れた。
「初めまして、田所仁志です」
「お忙しいところ、申し訳ありません。長野県警の剣持と言います。神奈川県警からお母様の事件の件で依頼されてお話を伺いにきました」
「ああ、祖父と祖母の件ですよね。全く驚いています。数ヶ月前に祖母から電話があり実家を処分して妹の手術費用に当ててくれと依頼されまして。頻繁に母と連絡をとっていたんです。それでやっと売却が成立した矢先のことでした。本当に残念でなりません。でも母も困り果てていたんじゃないかと思います。とても責める気にもなれなくて…」
「そうですか。なるほど、そういうことだったのですね。じゃあ、今回の事件のことで何か関わりがあるということはないのですね」
「関わりですか。それって、もしかして僕も疑われているってことですか。共犯とかで」
「いや、一応親子関係なので念には念を入れて捜査している次第です」
「そうですか。僕も一応、弁護士をしていますから、法律に触れるようなことには関与しません。ただ、母のことは残念でなりません」
「そうですか。わかりました。それでは失礼します」
この時、仁志はまだ知らなかった。母親の罪が自殺幇助から殺人に切り替わっていたということを。
はづきが母親と一緒に飛ばしていた大きなシャボン玉はフワフワと風に煽られ、地面に落ちて弾けてしまった。思わず涙目になったはづきを母親が懸命にあやしている。
「大丈夫よ。やり直せばいいのよ、ねっ、はづき…」
そんな光景を玄関から父親である仁志がじっと見つめていた。まるで自分の過去と重ね合わせるかのように。
了
あとがき
小さい頃は無邪気にシャボン玉を楽しみました。今は孫たちが楽しんでやっています(笑
シャボン玉の思い出といえば楽しいことばかりのような気がします。嫌なことがあった後思い出すとホッとするような感じもありますよね。
表紙の画像はCHATGPTに作ってもらいました(内容と誤差があるのはご愛嬌)
下記企画への応募作品です。
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