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空に解き放った心 - 第二話 栄転

栄転

 都内の渋谷に本社を置くシステム開発会社に井上健二は勤務していた。元々はシステム開発に関してそれほど興味を持っているわけではなかったが、IT業界以外は逆風に感じていたため、法政大学の経済学部を卒業する際に、IT業界に絞って会社訪問し試験を受けて入社した。その後、いろんな職種があることを知り、自分自身の真面目で一途な性格を利用できると思い、プロジェクトマネージャを目指した。最初はプログラム開発も経験していたがシステム独自のロジックを考える事がどうしても性に合ってないと感じ、早々に見切りを付け、契約やプロジェクトの進め方、SEとの付き合い方などを学んでプロジェクトマネージャの道を歩んでいた。そして約十年の経験を積み開発プロジェクトのリーダーを任せてもらえるようにまでなっていた。

 芝浦に拠点を置くクライアントの開発プロジェクトのリーダーの話が入ってきて、ちょうどその前のプロジェクトを完了させたばかりの健二にその役割が回ってきたのだった。これが最初の運命の出会いとなるしおりとの接点となった。健二の仕事ぶりは真面目だったのでお客様の評価もある程度高かった。コンサルティング会社に勤めていたしおりは健二たちが請け負うことになるシステムの上流部分を担当していて、その引き継ぎの場で二人は出会ったのである。偶然がもたらした悪戯のような出会いだった。

 しおりと付き合い始める事になった健二だったが、付き合い始めてしばらく経った頃、健二のリーダーシップの手腕が会社で認められた。新しく札幌の開発拠点が立ち上げられる事になり、そこのPM組織のリーダーとして赴任することが突然決まったのだ。健二にとっては寝耳に水、そこまでの成果を上げたつもりはなかった。しかし、開発拠点のPMを束ねる仕事なので喜んで赴任することを決めた。赴任直後は、しおりが恋しくて毎日のようにZoomを使ったテレビ電話をして状況を賢明に説明したりしていた。ちょっとでも顔が見れない日は不安が募った。しかし、仕事で忙しい時はしおりを思い出す余裕もなく目の前の対応しなければならない事に没頭する日々が続き連絡の間隔が開き始めていったのである。

 札幌の開発拠点は、最初は三十人程度で立ち上げられたが、ローカルでの開発ということで東京よりはかなり安い単価で請け負うことができ、それなりに業績を伸ばしていった。世の中も段々と完全リモートでの開発が認知され、品質も問題なく出来上がることが実績として示され始めると、安い開発コストだったため、一気にリモート開発のブームが始まったのである。まだまだ、海外に依頼するには不安もあり、日本語で安心して開発が頼めるということで、北海道や九州といったローカル拠点の開発が脚光を浴び始めていた。そんなチームを率いて、順調に売り上げを伸ばすことができていたので、社内評価としても健二は高い評価を得ていた。当初の経営陣としては、万が一失敗しても健二なら、東京に戻してもまだ稼いでくれるだろうという打算的考えもあったようだ。しかし、見事にそんなことを払い除け、軌道に乗せ始めた。それというのも、しおりに影響されたことがかなりあったようだ。しおりは自信家だった。それに努力家でもあった。健二は幾度となく「もうこの辺でいいや」と思っていても、しおりは、「これで満足するの。もっと上を狙いなさいよ」といつも檄を飛ばしていたのである。健二はその度に、「そうか、まだまだ上を目指せるかもな」と思い、懸命に結果を出し続けていたのだった。

 健二の心の中は、いつの間にかしおりで満たされてしまっていた。自分にないものを持っているしおりが羨ましくもあり、憧れでもあり、何とかして追いつきたい相手と考えるようになっていた。常にしおりのことを考え、いつしか目標にもなっていたのだ。もちろん、しおりに対する愛情も日に日に大きくなっていくのを感じていて、会いたい気持ちを抑えるのに苦労する日々が続いていた。健二はしおりも自分のことを考えてくれているものだと疑うことは無かった。九月になり肌寒くなった札幌の秋の空に赤く染まった夕日を見ながら、健二はつぶやいていた。

「今頃どうしているかなぁ、毎日でも会いたいけど、無理だよなぁ」

 お互いに忙しいということは認識していた。それに今頑張っておかないと絶対に後悔するとも思っていたのだ。しおりの上昇志向の影響を受け、健二も更に上を目指すようになってしまっていた。本来は、競争してまで上を目指すような人間では無かった。あくせくしてほんの少しのインカムが増加することより、今を楽しみたいと思っている人間だったのだ。小さい頃からおとなしい子で両親の言いつけをよく守る子だった。近所からは「とてもできたお子さんですね」と良く言われていた。両親もそれが自慢だった。健二も周りからそんな風に言われることが心地よく感じていた。それがしおりと出会い、しおりの生き様を知った後からは、「自分のこれまでの人生はぬるすぎる。もっとアグレッシブに生きていかないといけない。そうじゃないとしおりとバランスが取れない」と思い始めるようになったのだ。もとより一途な性格なので、一旦思い込むととことん前進しないと気が済まない性格も後押ししたのかもしれない。

 しおりと付き合い始めてから、健二の人生は大きく変わった。自分の仕事の成果を社内でもアピールするようになり、研修も率先して受講し、お客様への提案にも喜んで同行するようになっていった。そして、自分の実施したプロジェクトに関しては必ず振り返りを実施し社内に発表するようになったのだ。そんなこともあり、上層部は健二の振る舞いに目をつけ、白羽の矢を立て、札幌を任せようと考えたのかもしれない。もしかすると外部からの推薦もあったのかもしれない。札幌への赴任はなるべくして実現した結果だったのだ。

 そして、札幌に単身で赴任した。その快進撃は札幌に着いてからも止まることを知らないかのように続いていった。まるで影から誰かの支援を受けているのではないかというほど次から次へと仕事をこなしていった。札幌のセンターは、リモート開発拠点なので、本社で契約した仕事の開発部分を担うのが役割である。そしてその作業が滞りなく品質を確保しながら進むようにするのが健二の役割なのである。もちろん、優秀なスタッフが適切にデータを分析し健二に提供してくれるので誤った判断をすることがなかったということも大きかった。しかし、健二はそれだけではなくクライアントの利益を考慮することを忘れなかった。開発の途中や終了時に依頼先のクライアントに直接コンタクトして内容を確認するということを発案し実行していたのだ。本来は、クライアントから仕事を受託した本社の仕事である。しかし、これまでの経験から、間に人が介在すればするほど正しい情報が伝わらなくなることを知っていたのである。もちろん、本社の合意を得てのオペレーションではあったが、これがのちには標準プロセスとして評価され定着していくことになった。更に、気がついたことがあれば、スタッフと協議し本社のレビューを受けた後、直接クライアントに提案も実施して、契約内容を変更することもしばしばだった。現在は、Zoomなどを利用してオンラインで会話しながら提案もできるので、非常に効率よくコストも抑えてビジネスを大きくすることが可能になっていると感じていた。IT業界の強みが、ここにきて現れたかのようだった。過去は、直接会議をしないと本意が伝わりにくいとか回線の品質が悪くオンライン会議は途切れてしまうという現象も発生していたが、今では通信を介した方が安定した会議開催が可能となり年間でみると出張費の大幅削減が可能となっていた。反面、外に出る機会が少なくなると社員の息抜きの機会がなくなるのでモチベーションに影響するのではという心配もあったが、実質が自宅での在宅勤務が主流となり、コスト削減できた範囲で追加手当を支給し各自で楽しみを見つけられるような支援制度を作ることで大きな問題の発生を抑えることができていた。札幌というロケーションの欠点をもろともしないオペレーションを確立していったのである。札幌という場所でのビジネス基盤を固めることに成功していったことで、本社からもクライアントからも高い信頼を得られるようになった健二は仕事に対する自信ができてきていた。

 健二の目標はいつでもしおりだった。しおりのような振る舞いができるプロジェクトマネージャになりたいと思っていた。いつの日にか実力的に追いつき、追い越せれば、その時はしおりも自分のことを一目おいてくれるだろう。そんなことを思い描いていたのだ。しおりと付き合い始めてから、健二は何事につけ、手を抜かなくなった。一日でも早く、しおりより実力のあるPMになりたかったのである。そうすることで、しおりに対して有意に立ち、プロポーズできるだろうと考えていたのである。


つづく

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