【SS】 始まり #シロクマ文芸部
りんご箱を食卓にするところから二人の生活は始まった。今から七十年くらい前の話だ。まだ若かった二人は、結婚を親に猛反対され、手に手をとっての駆け落ちを選択したのだった。駆け落ちした二人には、十分なお金もなかったが、誰にも気づかれずに生活できる遠い場所までの切符を買った。たどり着いたのは富士山の見える静岡県だった。新幹線のない時代、長旅だった。節約のために特急には乗らずに、夜遅くたどり着いたのだった。
「ここまでやってきたけど、これからが問題だな。後悔してないか」
「後悔なんてしてないわ。あなたと一緒だから。でも、ちょっぴり不安かなぁ」
「はは、そうだよな。とりあえず、ちゃんと寝れる場所を探さないとな」
二人は、簡単な荷物を抱えて、繁華街の方へと歩いて行った。すでに夜の十時を回っている。歩いているのは酔っ払いばかりだ。絡まれないように端っこを歩きながら、貼り紙を探していた。住み込みで働けるような店の募集がないかを探したのだ。旅館を探すという考えもあったが、旅行客相手だと二人の居場所が突き止められるかもしれないと思ったのだ。
二十分ほど繁華街を歩いていた時、一軒の焼肉屋の前で二人は止まった。「住み込み可」の文字が目に入ったのだ。しかし、今はお店の中もてんやわんやしている時間だ。果たしてこんな時間に話を聞いてもらえるだろうかと恐る恐る裏口に回った。ちょうど店主が裏口から空になったビールケースを運び出しているところだった。なぜか空のりんご箱も積み上げられている。
「あのう」
「おぅ、何だい。今、忙しいから時間は取れないぞ。人手不足で手がまわんないんだよ」
「二人で、手伝います」
「おっ、本気かい。だったらこの空き瓶をそっに片付けて、中で野菜を切ってくれるか」
こうして話をすることもなく、店の手伝いをすることになった。従業員がみんなやめてしまったらしく、店主が一人で右往左往していたようだった。何も知らない素人でも、運んだり切ったり片付けはできる。店主も大いに助かっていた。いっぱいだった客も次第に少なくなり、暖簾を入れる時間になった。午前二時だった。店主は奥から冷えたビールとグラスを取り出してきた。
「いやー、助かった。死にそうに忙しかったからな。最近は夜の十時前後が一番忙しくなるんだよ。みんな一生懸命働いてるから飲む時間も遅くなっているようだ。ほれっ、二人ともこっちにきて座んな。ありがとうな」
店主は、二人にもビールを注ぎ、自分のグラスにも注いで高くあげて、一気に飲み干していた。
「いやー、やっぱり労働の後のビールは美味いなぁ。遠慮はいらないから飲んでくれよ。そういえば、まだ何にも聞いてなかったが、うんうん、訳ありなんだな、お前たちは。住み込みを探してたんだろ。格好を見ればわかるよ。この店の上の部屋が空いてるから今日から使っていいぞ。ただし、布団しかないけどな。まぁ、給料とかの話は明日改めてしようか」
「あ、ありがとうございます。お世話になります。助かりました。それで、裏にあったりんご箱を一ついただいてもいいでしょうか。当面、節約のためにちゃぶ台にします」
「おぅ、使ってくれ。明日から、よろしく頼むぞ」
こうして、逃避行のような駆け落ちをした後、見知らぬ場所での新生活が幕を開けたのだった。この後しばらくは、りんご箱をひっくり返したテーブルで食事をする生活を続けたのだった。
了
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