見出し画像

【SS】 時が止まる時 #シロクマ文芸部

 読む時間は全くない。一秒たりとも本を読む時間に費やす余裕がない。今年で五十歳になる長生未来ながおみらいという男は自分が経験した直近二十年間の生活をつぶさに文字にしたいと考えていた。毎日起床とともに時間を惜しむかのようにタブレットに向かって自分の経験を綴っている。エッセイと呼ぶにはあまりにも長い。どちらかといえば日記をノンフィクションの小説としてまとめているような内容になっている。すでに五百ページ分くらいは書いているが、まだまだ半分程度しか書き表してはいないと未来は感じていた。

 最近、かなり焦り始めている。というのも、未来は自分の寿命がそれほど長くはないと感じ始めていたからだ。一人暮らしになってからすでに五年経過している。ワンルームでの生活はすでに慣れたし、食事も三度三度きちんと摂っているので日々の健康管理は悪くない。毎日決められた時間に食事をして軽い運動をした後、入浴する。その間の時間を全て執筆に当てているのだ。規則正しい生活の中で規則正しい執筆を実施できているのだが、その分、他には何もできない。しかし、未来はそれも自分に課せられた運命だと割り切って、残された時間で全ての経験を書き下ろすことに集中していた。

 未来は小さい頃、裕福な家庭で育っていて、両親は「輝かしい未来を引き寄せて欲しい」と願いを込めて未来と名前をつけたようだった。しかし、未来が十歳の頃、両親の経営する材木店が火を出してしまい、材木店どころか近所の家まで全焼してしまうという思いもよらぬ事態に巻き込まれてしまった。両親は出火の責任に対するプレッシャーからか自殺してしまい、未来だけが取り残されてしまったのだ。流石に子供を道連れにするのは両親も心が痛んだのだろう。その後、未来は親戚の家に引き取られたのだが、残念ながら虐げられる生活を送る日々になってしまったのだ。未来は両親を恨んだ。どうして一緒に殺してくれなかったのかと。

 今では遠い昔のこととして未来の脳裏に刻まれているだけのことではあるが、時折、思い出すことはあるようだ。その回想が時々執筆の邪魔をする。残り時間はそれほどないと感じているので焦る気持ちが却って回想させてしまうのかもしれない。未来は首を左右に何度もふり、回想している内容を振り払いながら、文章に集中していく。未来も、自分の根幹はあの幼い時の経験にあることを理解はしているが、その時のことまでを書いていく時間は無いとわかっている。もっと時間があれば、育った環境のことも書けたのかもしれない。

 それから一年半が経過した。書きたい内容もほぼ終盤に差し掛かった。ワンルームの狭い部屋と別れることになる日は、自分の寿命が尽きる時だとわかっているので、時折慣れ親しんだ部屋の壁を見渡したりしている。

「だいぶ壁も汚れているんだなぁ。かなり長い間、お世話になったけど、もうすぐお別れかなぁ。それに、執筆も何とか間に合ったし。まぁ、この後は編集の人がちゃんと校正してくれるとは思うけどね。自分としては、もう十分だ。後は寿命が尽きるのを静かに待とう」

 廊下から声が聞こえてきた。どうやら神父様が来たらしい。未来は神父様の言葉を聞き、自分に言い聞かせた。「全ては神の御心のままに」と。翌日、未来は現世での悪行を全て清算し、短すぎる人生に幕を下ろした。たった一冊の本を編集者の手に残して。

『二十年間の告白 ーある死刑囚の獄中生活実録ー』


🙇🏻‍♂️お知らせ
中編以上の小説執筆に注力するため、コメントへのリプライや皆様のnoteへの訪問活動を抑制しています。また、ショートショート以外の投稿も当面の間は抑制しています。申し訳ありません。


下記企画への応募作品です。

先週のお題でのお話


🌿【照葉の小説】ショートショート集  ← SSマガジンへのリンク


🔶 🔶 🔶
いつも読んでいただきありがとうございます。
「てりは」のnoteへ初めての方は、こちらのホテルへもお越しください。
🌿サイトマップ-異次元ホテル照葉


#シロクマ文芸部 #創作 #小説 #ショートショート #掌編 #企画

いいなと思ったら応援しよう!

松浦 照葉 (てりは) よろしければチップによるご支援をお願いします。皆さんに提供できるものは「経験」と「創造」のみですが、小説やエッセイにしてあなたにお届けしたいと思っています。いただいたチップは創作活動費用として使わせていただきます。