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【SS】 命を賭けた幸せ (3636字)  #シロクマ文芸部


 紅葉色に染まった山を窓越しに感慨深げに見つめながら、女は消え入るかのようにか細い声でつぶやいた。隣に立っている男になんとか届くくらいの小さな声だった。

「きれい・・・」
「えっ、何か言った」

 隣に立っていた男は、パジャマ姿にカーデガンを羽織った色白の女の肩を抱いて聞き返している。支えていないと今にもしゃがみ込んでしまいそうな頼りない足取りを男は気にしているようだった。

「あ、ごめんなさい。独り言だったの。聞こえちゃったかな」
「いや、いいんだよ。寒くはないかい。エアコンは効いてるけどもう秋も深まってきたから冷えるとよくないよ」
「ええ、そうね。でもあの紅葉色の山を見ていると三年前、初めてあなたと登った時のことを思い出すのよ。あの時もとっても綺麗で感動したなって。空気も綺麗でとっても気持ちよかったもの」
「ああ、そうだったね。ちょうど今頃の季節だったね。寒くなるのを承知でライトアップされる時間まで二人で眺めていたね。そうそう、側で売っていた甘酒で温まったよね。二人で、フゥフゥしながら飲んだっけ」
「・・・」

 三年前、二人は一緒に紅葉を見に山に登った。仕事先で偶然知り合った二人は趣味が同じ山登りということで意気投合し付き合い始めた後だった。美しい紅葉に見惚れている女性の横顔を見つめていた男性はその時にプロポーズすることを決心した。

 そして、季節が変わった冬、男はプロポーズした。女の名は麻理香、男は光雪、共に二十七歳の時だった。二人は幸せの絶頂期を迎え、翌年の桜が満開の春に結婚した。光雪は幸せなまま新しい年を迎えたと思っていたが、悲劇は翌年の冬に訪れた。麻理香の体の中では癌が進行していたのだ。若いだけに進行が早く、わかった時にはステージ4を越え、全身に転移して手の施しようがない状態になっていた。お正月を二人だけで過ごした後、麻理香は専門の病院に入院した。そして入院後最初の秋を迎えていたのだ。

 麻理香は光雪と初めて一緒に紅葉を見た時から秋という季節が一番好きな季節になっていた。一方、光雪は複雑な気持ちを抱えていた。光雪は医者から麻理香の余命を聞かされていたのだった。

「ご主人様ですか」
「はい」
「奥様の病気ですが、すでに手の施しようがないことは先日お伝えしましたが、この二週間で癌の進行が脅威的なスピードで進行し、至る所に転移していることがわかりました。大変申し訳なく思いますが、奥様の余命は一月もないと思われます」
「えっ、たった一月なんですか・・・」
「できるだけ奥様のそばにいてあげてください」
「わ、わかりました」

 光雪は妻の人生がもうすぐ終わると聞かされ、複雑な思いに襲われていた。医者との話が終わり、病室には戻らず太陽の暖かさを感じられる病院の中庭へと出て、周囲に人がいないことを確認してスマホを取り出した。

「もしもし、俺、光雪。結構かかったけどいよいよらしい」
「まさか、気持ちが揺らいでいるんじゃないでしょうね。一緒に生活して情が映ったなんて許さないわよ」

 電話の向こう側で女が怒っている。そのことを察してか光雪はすぐに言い訳めいたことを伝えた。

「ば、ばかいうなよ。僕が好きなのは優奈だけなんだから。全てはお金を手に入れるまでのお芝居じゃないか。最初からわかってただろう」
「そうだけど、なんとなく心がざわつくのよ。あなたとあの女がいつも同じベッドで寝ていたのかと思うと・・・」
「もう少しの辛抱じゃないか。大人しくして待っててくれ、頼むよ」
「うん、わかった・・・」

 男はスマホの発信履歴を消去して病室へと戻って行った。そこには元気な頃とは全く違った痩せ細った麻理香がベッドに横たわっていた。ドアの開く音が聞こえたのか、ゆっくりと目を開けて病室の入り口の方に視線を投げかけていた。

「あっ、起こしちゃったかな、ごめんよ」

 力がなくなった麻理香の手をとってそっと握った。少しだけ握り返してくる感覚を愛おしく光雪は感じていた。

「ううん、痛みで眠れないから気にしないで」

 癌になってからでも、夫を気遣う言葉に心を揺さぶられる思いがする光雪だった。なんとなく後ろめたさを感じ、視線を重ねることを避けてしまった。

「ねぇ、お医者さんから私の残りの命の時間を聞いたんでしょう。正直に教えて。私はとっくに覚悟ができてるから・・・」
「えっ、いや、ああ、聞かされたよ・・・もう一月もないだろうって」
「そっか、一月か〜。思ったより短かいなぁ」

 麻理香は光雪に見られないように、こぼれ落ちそうな涙をぬぐった。

「私ね。光雪にとっても感謝してるの。こんな私をお嫁さんにしてくれたんだもの。赤ちゃんはできなかったけどすっごい幸せだった。本当にありがとう」
「おい、そんなこというなよ。まだ時間はあるんだから。それに感謝するのはこっちのほうだよ。うだつの上がらないこんな男のところにきてくれたんだからさ」
「あ、そうだね、昇進とは無縁だったもんね、光雪は」
「このタイミングでそれ言う?」

 二人は忘れていた大きな笑い声を思い出したかのように病室に響かせた。同時に光雪の心の中は後悔で支配されつつあった。

 一ヶ月後、麻理香は天国へと旅立った。残された光雪はぽっかりと穴があいたような心のままスマホを手に取った。呆然と立ちすくむ光雪を庇うかのように麻理香の死後の事務処理は、麻理香の母親がテキパキと動いてくれた。父親はかなり前に他界し麻理香の身寄りは母親だけだった。光雪は喪主として葬式で挨拶をしたが支払いや手続きなどは全て麻理香の母親が仕切ってくれた。一通りのことが終了した後、光雪は優奈に電話をかけた。

「もしもし、優奈か。やっと終わったよ、麻理香の葬式・・・」
「ご苦労様、よかったね。でもなんか声が暗いよ」
「ああ、やっぱりこんなこと良くないなって思ってさ」
「はぁ、今更、そんなこと言わないでよ。我慢していた私の気持ちも考えてよ。それに病院代やら生活費なんかで私も結構使ったんだからね。光雪の仮の奥様はもう死んでしまったんだよ。この世にいないんだよ。私のところに帰ってくるのが当然でしょう」
「ああ、そうだよな、わかってるんだけど、なんとなくね」
「もう、早く生命保険をもらって一緒に暮らそう、ネッ。そろそろ手続きしたほうがいいんじゃない。私も貯金無くなっちゃったし」
「うん、わかった。僕の貯金もスッカラカンだし、できるだけ早く手続きをするよ」

 光雪は麻理香から声をかけられ付き合い始める時に、生命保険に幾つも加入していることを聞かされていた。加えて癌を患っていて長くない命だということも。それで当時付き合っていた優奈に話して、保険金を手に入れるまで別れることを計画し実行したのだった。しかし、一緒に生活をする時間を重ねて行くことで次第に心も変化していった。優奈に対する気持ちが薄らぎ始め、麻理香への愛が少しずつ育っていたのだ。それでも優奈を裏切るだけの勇気を持っていない光雪は、逝ってしまった麻理香と生きている優奈を心の中で天秤にかけていた。

 麻理香の葬式も終え、麻理香の母親も帰って行った。一人になった部屋を見渡し、一度だけため息をついて生命保険証券をしまってある部屋に入った。麻理香の遺骨が置かれ、その下の引き出しに入っているはずだった。だが部屋に入った途端、違和感を感じた。遺骨が忽然と無くなっていたのだ。

「えっ、麻理香の遺骨が無い・・・」

 光雪は何が起きているのかわからなかった。遺骨が置いてあったはずの場所に恐る恐る近づいてみるとそこには一通の手紙と鍵があった。

「これ、この部屋の合鍵じゃないか。まさか、お義母さんが・・・」

 嫌な予感を感じた光雪は無造作に手紙を手に取り、中の便箋を取り出して読んだ。

『光雪さんへ  最後まで麻理香の面倒を見てくれてありがとうございました。娘は人生最後の時間まで「結婚」と「新婚生活」を楽しみたいと決断して、あなたに近づいたのです。申し訳ありませんでした。最初は止めましたが、結局、可愛い娘の命を賭けた計画を応援してしまいました。光雪さんに好きな人がいることも麻理香は知っていました。でも、少しでも振り向いてくれたら、いい人生の終わり方ができると娘は信じていたのです。本当にありがとうございました。
 それから連絡となりますが、婚姻届は私が預かって破り捨てましたので、あなたの戸籍は汚れていません。合わせて、娘の生命保険の受け取り人は全て私になったままですので娘の通帳、香典と共に持ち帰らせていただきます。あなたのこれからの人生が輝かしいものでありますように。  麻理香の母より』

 手紙を読んだ後、しばらく呆然としていたが、自分を取り戻した光雪は麻理香の母に連絡を試みた。しかし、すでに連絡は取れなくなっていた。

「そ、そんな・・・騙されていたのは僕らだったのか・・・」

 紅葉色に染まった山々はすでに冬の装いへと変わり、光雪の心の中に冷たい風を届けているようだった。


あとがき

先週は色々と忙しくて投稿できませんでした。
東京へ行って横浜のVRを楽しんだり神社へのお参りなどをし、つい先日はハウステンボスの九州一大花火まつりを見に行ったりと、疲れ果てていました。二週間分の力を込めてPCに向かった結果、短編に限りなく近い文字数のショートショートになってしまいました(笑


下記企画への応募作品です。

先々週の投稿 (夜に降る)


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