映画『マイケル』の感想と、ミュージックマガジンのクロスレビュー「中村とうよう0点」について思うこと、個人的な思い出。

「マイケル」 新宿バルト9 ドルビーシネマで鑑賞

 いろいろ言われてるけど、例によって事前に情報は入れずに鑑賞。大変楽しかったです。マイケルのダークサイドが描かれてない、という批評は、ことこの作品の作りからして難癖、イチャモンっぽい。やはり見どころはライヴ・シーンで、ジャクソンズのツアー・ファイナルから、「BAD」のロンドン公演が切れ目なく続くクライマックスは圧巻というしかなく、ああいう大会場での会場一体になっての一体感や幸福感を知っているなら、マイケルのファンならずとも感動すると思う。スタジアムの音響の、ウワンウワン反響してる感じを実によく再現してて、素晴らしい。かなり出音がでかいので、生のコンサートさながらの臨場感がすごい。

 ドラマ部分に関しては、まあこんなものかな、という感じ。ジャクソン兄弟たちが完全にモブキャラ扱いなのが悲しかった。ジャネットも出てこないしね。ダークサイドが描かれなかったことも含め、そこらへんは諸事情あるようですが、詳しくは知らない。

 個人的にはベリー・ゴーディJrがめっちゃ良い人に描かれてるのがすっげえ違和感ありましたw

 iMaxで見ようとしたら、良い席がなくてドルビーシネマで見たけど、絵も音もかなり良い。iMaxに比べると知名度ないけど、ドルビーシネマはおすすめです。みなさんわかってると思いますが、これテレビの小さい画面、しょぼい音で聴いても真価は全く伝わりませんからね?

 そんな「マイケル」の大ヒットで、またぞろ「スリラー」のミュージックマガジンのクロスレビューが話題になっている。例の中村とうようが0点つけたやつ。この「中村とうよう0点」はマイケルに限らずちょくちょくあって、定期的に話題に上る。

 まさか44年もたってこんな形で話題にされるとは天国の(地獄の?)とうよう先生も想像もしなかっただろうが、ひとつだけはっきり言えるのは、たとえとうようさんが生きていたとしても、その評価は微塵も揺るぐことはなかっただろう、ということ。なぜかといえば彼には「音楽はこうあるべきだ」「アフリカン・アメリカンの音楽はこうあるべきだ」という確固たる信念があったから。つまり彼なりの黒人音楽の理想像があり、そこから外れたものは、たとえどんなに売れていようが、どんなに世間の評価が高かろうが、容赦なく一刀両断して認めなかった。とうようさんはプリンスを絶賛してたけど、マイケルは酷評……というか評論の俎上にすら載せなかった。それはそれでひとつの見識です。それが一種の人種的偏見に基づくものだ、という意見は今ならあると思うけど、とうようさんがいかに真剣に黒人音楽に対峙してきたか、彼の書いてきたものを知っていれば、そう簡単に決めつけられない。

 たとえば彼はヒップホップをほぼ全否定してて、5年後10年後には跡形もなく消え去っている、と断言した。結果論から言えば完全にそれは間違いだったわけだが、彼は彼なりにさまざまな音楽体験を重ね知見を得て、その論理的帰結として、あるいは直感として、「この音楽はあるべき黒人音楽の姿ではない」という結論を得た。そんな音楽が跋扈するような世の中になって、失望した彼は晩年、英米のポップ・ミュージックに関して積極的に発言することをやめてしまった(おそらくほとんど聞いてもなかったはず)。それはそれで、音楽評論家として筋の通った立派な態度だと思う。

 もちろん自分の理想を追い求めるだけじゃなく、現実の変化についていかないと音楽評論、特にポップ・ミュージックの評論の世界はやっていけないし、私も含めたほとんどの評論家はそうしてる(そうしないと時代遅れの老害になってしまう)。その過程で、発売された当時はこんな風に書いたけど、結果としてそれは的外れな記述だった、ということはありうる。私だってありますよ。当時はつまらないと思っていたけどその後考えが変わったとか。その逆もある。「ああいう風にレビューしたけど、間違ってたなー、理解が足りなかったなー」と感じることはよくある。特に知見の足りなかった若いころに書いたものは。「スリラー」のクロスレビューにはとうようさん以外の評者も書いていて、どれもクソミソに書いてる。彼らが今「スリラー」をどう思っているか知らないが、少なくとも私は、自分の書いているものに自信はありつつも、間違っているかもしれない、という恐れを常に持つように心がけているし(でも時々忘れる)、ちゃんと名前を出して原稿を書く限りは、間違ったことを書いたとき叩かれるリスクも覚悟している(でも時々忘れる)。30年も40年も前に書いたことを今さら言われてもなあ、という気持ちはありつつ、そう書いたのは事実なんだから、そこは受け止めるようにしている。「お前はこんなことを書いてたけど、昔言ってたことと全然違うじゃないか」と問い詰められても「昔はそう思ってたけど、今は違う」と返すしかない。自分が間違っていたと感じたら、考えが変わったら、なるべく正直に明かす。「スリラー」のクロスレビューに限らず、公の文章で実名を出して評論やレビューを書いたことのある人はそういう覚悟をもっていたはずで、少なくとも今のノーリスクな匿名SNSで、当時の状況も、書いた人がどんな評論活動をしてきたか知りもせず、ただ表面的な文面だけで44年前の文章をあげつらうような連中の10000倍は立派だと思いますよ。

 昔はわからなかったことが、経験を積み知見を得て、わかるようになる。それは音楽を聴く醍醐味のひとつだと思うけど、評論家だって同じ。終始一貫して同じ意見を持つのは立派だけど、中村とうようほどの強固な信念を持ち合わせていない私は、状況に応じて意見や感じ方が変わるのが恥ずかしいとは思わない。名前を出して文章を全公開するから、昔の間違いがこうやって晒され叩かれることもあるが、人間なんだから間違うこともあるし、考えや好み、感覚が変わることもある。でも名前出して書いた限りは責任は持つ。それが大事だと思っている。この文章はFacebookで書いたものを加筆訂正したものだけど、Facebookの投稿を原則的にすべて全公開にしてるのは、自分の書いたものに責任を持ちたいから。

 私はミュージックマガジン巻末の「アルバムレビュー」の日本のロックのコーナーを担当していたことがあるが(90年代前半の一時期)、その時心がけていたのは「なぜこのアルバムにこの点をつけたのか、もしアーティストに問われてもちゃんと論拠を答えられるように」ということ。話は逸れるけど、マガジンでよく問題にされるのは「音楽に点数をつけるなんてケシカラン」という意見。別に点数つけるのはマガジンだけでなく、海外の音楽メディアはほぼすべてそうなんですけどね。一番最初はアメリカのジャズ雑誌「ダウンビート」だったかな? 中村とうようは点数制を採用したことに関して「限られた字数の中で、レビュワーが当たり障りのない無難な言葉だけではっきり意見を言わない、という事態を回避するため」と言っていた。点数をつけることで意見や態度をはっきりさせる、ということ。それはレビュワーに真剣勝負で臨んでほしい、ということだと思う。ついでに言えば「クロスレビュー」は、聞く人によって感じ方なんて千差万別、という当たり前のことを示している。ただ「中村とうよう0点」に関しては、あえてそういう議論が沸き起こるような極論、挑発的な書き方をしている雰囲気も感じますね。

 「アルバムレビュー」を担当していたころ、某日本のバンドに「俺たちのアルバムはなぜいつも8点なんですか」と問われたことがある。調べてみると、私も、私の前のレビュー担当者も確かに全部8点(10点満点で)をつけていた。それに対してどう答えたか忘れたが、「80点合格」みたいな無難なアルバムしか作れないってことじゃないの、と内心で思ったことは覚えている。

 「スリラー」に関して個人的なことを書くと、当時私はただのサラリーマンで、音楽評論家でもなんでもなかったから、スリラーなりマイケルなりについて公の文章で書いたことはない。それどころかレコードすらも持っていない。つまりまともに聞いたことはないし、関心もなかった。もちろんヒットした曲は否応なく耳に入ってたし「ビリー・ジーン」なんかは相当に良い曲だと思ったけど(「ビート・イット」は好きではなかった)、積極的な興味は全然なかった。「バッド」でも同じで、彼のレコードで初めて心底かっこいいと思ったのは「デンジャラス」からで、そこから遡って初めてちゃんと過去作も聴いた次第。つまりこれも「最初はわからなかった」ものがわかるようになった一例ですね。当時私がミュージックマガジンのライターで、仮に「クロスレビュー」をオファーされたら何を書いていたか、全然見当もつかないが、当時ニュー・ウエイヴとかハードコア・パンクとかノイズ・インダストリアルとか尖った偏屈なロックばかり聴いてた身からすれば、「スリラー」みたいなメインストリームど真ん中の音楽は一番遠い距離にあるものだったんですよ。「敵」にすらならないというかね。インディーズとメジャーの断層は、今思うよりもはるかに深くて大きかった。「スリラー」がポップ・ミュージックの歴史を変えた、というのは事実かもしれないが、当時そこまで感じた人は一般人も含め、ほとんどいなかったと思う。もちろん私だってそう。

  ついでに言えば私は「スリラー」よりも「オフ・ザ・ウォール」のほうがずっと好き。70年代後半の一時期、普通のディスコソングがかかるような新宿の一般ディスコに通っていたことがあったけど、やがてパンクやニュー・ウエイヴをガンガンかけるような、もっと先鋭的なハコに通うようになった。その直後マイケルが「オフ・ザ・ウォール」を出して、それが当時のディスコのダンス・フロアでいかに新鮮に響いたか、というようなことをだいぶ後になって知って、もう少し我慢して一般ディスコに通っていれば、リアルタイムで「オフ・ザ・ウォール」の良さを体感していたかもしれないし、そうなっていれば私の音楽人生もだいぶ変わっていたろうなあ、と思います。

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