【note過剰考察vol.6】乗り越えた先は明るかった(カオラ@親も子も自分を生きようさん)
5月に入りました!
メンバーシップ版note過剰考察シリーズ第6弾です!
今回は、カオラ@親も子も自分を生きようさんのこの作品
カオラさんは、不登校親やワーママを応援する活動をされていらっしゃる素敵なかたです。
ただ、私のイメージだけ申し上げるとしたら、
それやったんかーい選手権の人です(笑)
#それやったんかーい な文章を投稿する企画だったのですが、小生第1回に2記事、第2回に1記事出しており、ほぼこの企画で絡ませていただいております(笑)
ちゃっかり、わたしのも載せておきます。
#それやったんかーいは、なにげに「もっていき方」が難しい文章なのですがハッシュタグ検索してみるといろいろとバリエーションに富んだ文章が出てきて面白いです。
ということで、今回の記事に入っていきます!
改めて、今回過剰考察するのは、こちらの記事です↓
乗り越えた先は明るかった
今回はいきなり書き出し行きますね。
書き出し
不安?心配?さびしい?
正直に言えば、自分がこんな感情になると思ってもみなかった。
車から降りて駅に向かって歩いていく姿を見ながら、私は手をぶんぶん振っていた。
書き出しの「3行で撃つ」。
ドラマのワンシーンのようなスタートです。
これは、状況が分かるか分からないかで言ったら、具体的なシチュエーションはそこまで明確ではないので、わからないに分類されると思います。
そういうときは想像してみましょう。できる限り具体的に状況論的読解をしてみる。
これが、過剰考察の醍醐味です(?)
冒頭は「不安?心配?さびしい?」のクエスチョン。
ネガティブな感情をワードを3つ並べられています。これをみて、どう考えますか?
以前「出だし論」みたいなことをいろいろと言いました。出だしは、インパクトがあった方がいい、しかし、出オチになってしまわないように注意。ヌルッとスタートした時は、そのあとのピークに向けてどうやって持っていくかを考える。
そんな理屈をグダグダと並べたことがあります。
でも、こんなものは言ってしまえば、理屈です。もちろん理屈も大事なんですが。
今回の出だし、このカオラさんの出だしは、おそらくAIは書かない。カオラさんにしかできない出だしだと思いました。
この出だしは、入力する側がそう指示しない限りたぶんAIはやりません。合理的じゃないからです。
でも、文章は、そもそも誰が書くのか、という話なのです。
一人の人間が書く。そして、文章を書くひとは、その人ただ一人だけなのです。
そうするとこんなふうに想像してしまいます。
「どうして、カオラさんは、ネガティブな感情をワードを3つ並べようと思ったのだろうか」
そんな想像は、書き手が人間だからこそ、思い至らせることができる想像なのではないかと思います。
AIだったら、どうしてAIはこう考えたんだろうか?って考えてもしょうがないんですよね。
アルゴリズムにしたがったから、みたいな回答しか出てこない。
そうして、もう一度、冒頭をみてみます。
不安?心配?さびしい?
正直に言えば、自分がこんな感情になると思ってもみなかった。
車から降りて駅に向かって歩いていく姿を見ながら、私は手をぶんぶん振っていた。
見えてくる景色は変わってきませんか?
この冒頭はテクニックではなくて、カオラさんの心情がにじみ出ているのです。
こんな感情になると思ってもみなかった—-
深いところから出てきたひとことがこの冒頭には込められている。
そして、次です
車から降りて駅に向かって歩いていく姿を見ながら、私は手をぶんぶん振っていた。
キャリーバッグとともにエスカレーターに乗ってから私の方を振り返り、片手を小さく振っている。
少し微笑みながら。
場面描写です。
チャゲアスのSAY YESのイントロが流れてくるかのようです。
誰かを見送る場面ですね。
AIが使わない冒頭。たぶん、カオラさんは、そこまで意識せず無意識だったのもしれませんが、だからこそ、心情がにじみ出ているように感じられる冒頭でした。
中盤①
子どもが不登校になってから、我が家は大嵐に突っ込んでいく感覚だった。
私の頭は子どものことでいっぱいになり、他を構っていられなくなった。
父親と母親では子どもへの接し方がそれぞれ違うのは当たり前なのに、お互い理解できなかったし、認められなかった。
(中略)
数年後、私のメンタルもついには崩壊し、別居の話も出た。
我が家は一度バラバラになった。
場面は切り替わって、ここでは、かなり沈み込みます。
不登校が子どもだけでなく、親にとっても心理的精神的負荷になっていくということがわかります。
もし、子どもが不登校になったら、親もいろいろなものを今と大きく変えないといけないだろうし、どうしてこんなことに……というような気持になってしまうかもしれない。もしかしたら、それ以上はどうしようもないこともあるのかもしれない。
図らずも、いっぱいいっぱいになっている様子が伝わってきてしまいます。
この切り替わりと描写から、カオラさんがどの部分に深く心情に刻み込んでいる部分を感じているのかを感じます。
中盤②
もちろん不登校だけが原因というわけではない。
おそらくそれがなかったとしても、何か別のきっかけで当時の我が家ならバラけていたのだと思う。
「それぞれ違う」をわかりあえないまま、そして話し合うことができないまま、過ごしてきていた。
私のメンタル崩壊がきっかけで、家庭内で少し距離を置くことにした。
当時自由な時間が全くなかった私は、子どもに振り回されるだけの毎日を手離し、自分を優先することに意識を向けた。
この場面も沈み込みが続くのですが、少し中盤①との差異が出てきているような気がしています。
この「少しの差異」がとっても重要だと思っていて。
「少し距離を置く」ということが、一つのきっかけのように読めます。
沈み込んでいるときって、思考が一辺倒になってしまうことがありますよね。それが、ふとしたきっかけで冷静に俯瞰してみることができることがあるような気がします。
ここまで追いかけてきたとおり、書き出し→中盤①→中盤②と場面が効果的に転換して言っているのがわかります。
そのうえで、さらに次の場面を見てみるとその切り替わりの効果がよくわかるのではないかと思います。
中盤③
すると、見方が変わってきた。
それぞれが別の世界を持つことで、自分をより理解することができた。
自分の考えを伝えるということがうまくできていなかったのが、丁寧に言葉にすることができるようになっていった。
不思議な感覚。
そうか、あまりにも視覚が狭くなり過ぎていたのだ。
自分の環境を俯瞰で見られなくなることは、自分を見失うことだった。
「足る」を知ることができなかったのだ。
私が変えられるのは「私」しかいない。
この鮮やかな変化にお気づきになられたでしょうか。
光が差し込んでくるような。
これはひとつの「展開」「もっていき方」だと思います。
もう一つの別の言い方でいうとしたら「気づき」です。
自分の中の内省だけでは、たどりつけないところというものがあることがわかります。
何かに一辺倒になってしまっているとどうしても視野が狭くなってしまう。そこに、距離を置いてみる。
そうすると視野が狭くなっていることに気がつくことができる。自分を俯瞰してみることができる。
そうすると、自分で何を変えることができ、何を変えることができないのかに気がつくことができる。
そして、たどり着く境地。
私が変えられるのは「私」しかいない。
鮮やかな展開です。
この展開を踏まえると次の場面がまたさらに印象的に見えてきますよ。
中盤④
子どもも大人も、会話が増えていった。
お互いを思いやる言葉も、大笑いすることも増えた。
親子全員で同じものを食べたり、くだらない豆知識を披露したり、ただそんな時間がとても大切だったと思い出した。
子ども達もずいぶん落ち着いてきて、徐々にまた「家族」という輪に戻ってくることができた。
親である大人たちも「これから」を見据えるようになってきた。
(中略)
長男が赤ちゃんだった時以来、我が家にとっては18年ぶりの二重生活だ。
住む場所は離れるけど、「家族」の輪が戻ってきた今だからやっと踏み出せたのだと思う。
「私が変えられるのは「私」しかいない。」からの展開が鮮やかです。
中盤①との対比でみてもいいのかもしれません。
メンタルの崩壊 → 少し距離を置くという決断 → くだらないけど大切な時間
少しずつ光が差し込んでくるような「持っていき方」です。
モノクロだった世界が少しずつ色づいていくような世界観です。
完全に個人的な趣味ですが、ラルクアンシエルのsnow dropを思い出してしまいました(笑)
こういったもっていき方をするには、やっぱり、立ち止まってはいけないのかもしれません。
「少しずつ光を差し込ませるのであれば、止まらずに照らしていったほうがいいのかもしれない」。そんな駐車禁止のノンストップな精神が鮮やかな展開を可能にするのかもしれません。
でも、人間ってそんなに一筋縄ではなくて、鮮やかさは一種の単純さかもしれませんが、一方で持ち合わせている複雑性がにじみ出るとさらに重層性が増すといいますか。
そんな場面が次の章ではないかと思っています。
中盤⑤
ただ、たぶん本人もわかっている。
実は自分が寂しがり屋だったり、実は弱い部分があったり。
だから「父親とはこうあるべき」を強く振りかざすしかやり様がなかったのだろう。
トゲトゲした部分が各々からなくなって輪が整ってきた矢先、ひとり住む場所が離れてしまうこと。
私はそれが寂しいし不安だし、心配になってしまったんだ。
「中盤②→中盤③→中盤④」の展開ってとても鮮やかだと思ったんです。
鮮やかさって一種のわかりやすさなのではないかと気づきました。わかってくれるかわからないけど、町の街の弁当屋の唐揚げ弁当みたいに期待していたものが期待どおりに返ってくる感じです。
それに対して、中盤⑤はちょっと複雑性を感じました。
ここって書き出しの見送る場面につながるのだと思います。
「父親とはこうあるべき」は一種の強迫観念だったのかもしれない。その裏返しとしてのさみしさや弱さを抱えていて、でもちょっと微笑んでいた。
でもだからこそ、一筋縄じゃない深さみたいなものを感じます。
やっぱ人間って単純じゃないのですよね。合理ですべてが説明できるわけではない一面がある。そういう面を描き切るのって説明だと難しいところがあって、「描写」になってくるのではないかと思ったりしました。
そして、鮮やかさと複雑性その交錯する中で、カオラさんの文章は終盤を迎えます。
終わらせ方
でもよく考えてみて。
「あるべき」を手離した我が家ほど強いものはないんじゃないか。
そして、お互いの「弱さ」を理解し合えた我が家は最強なんじゃないか。
きっともう大丈夫。
それぞれの場所で輝けるように奮闘しながら、「家族」という輪に出入りしながら繋がっていると思うから。
最初の「不安?心配?さびしい?」の描写で、カオラさんがなぜその描写を描いたのかということに想像力を巡らせてから、このラストを見ると見える世界がまた一段と変わってくるのではないでしょうか。
「でもよく考えてみて。」
が少し強めに響いてくる。
文章のテクニックとか理屈とかとは別の何かに引き付けられることに気がつくのではないでしょうか。
あるべきものを手放した、弱さを理解しあえただからこそ見えてきたもの。
鮮やかさと複雑性、AIのように合理的なアルゴリズムとは違うかもしれないけれど、そこには、カオラさんも無意識の深い心情がにじみ出ているような気がしてなりません。
今回は、順番に文章を見つつ、カオラさんのにじみ出る心情みたいなものを中心に考察してみました。
正直、半分以上は想像の域を出ないかもしれません、
誤読もあるかもしれない、しかしながら、何か書きたくても書ききれない、でもにじみ出てしまう何かみたいなものが、過剰に考察すると見えてくる。
そんな余韻を感じながら、最後の一文を読んでみましょう。
嵐を越えた先は、柔らかく、あたたかく、明るい。
もうこれ以上の説明は不要な気がします。
この文章の中からにじみ出ているカオラさんの心情を、ぜひ今一度本文に戻っていただき、味わってみていただければと思います。
文章ってテクニックや技術もあるし、そういうのも大事なのですが、それだけじゃないんだなと。それは言語化することが難しい何かかもしれない。
でも、だからこそ、それを過剰考察を通して少しでも言語化してみたいと改めて思いましたし、まだまだ言語化されていない文章論ってたくさんあるんじゃないかと思いました。
カオラさん!素敵な文章、ありがとうございました✨
エンディング&次回予告
ということで、note過剰考察第6弾、無料の過剰考察編はここまで!
今回も撃ち抜かれてしまった。カオラさんありがとうございました!
で、今回の有料のメンバーシップ限定の深掘り考察ですが……
テーマはこれで行こうと思います。
ドラマチックの法則
最初過剰考察のテーマでいこうと思ったのですが、過剰考察をしながら、このカオラさんの文章で一番広く知ってほしい部分を書いていたら、テクニック的な部分を深堀考察に回そうかなと思いました。
過剰考察のことばでいうのならば
「もっていき方」論
の一つのバージョンですが、このまえのヤスさんのわからせる、わからせないとは、また少し違った展開論です。
「もっていき方」論は永遠のテーマなので、体系化したい願望と、実践を積み重ねたい願望の両方があります。個人的には書く人が、病みつきになる要素みたいなのが、ここには詰まっているような気がします。
「もっていき方」なんて何とも言えない言語化しづらい話のような気がしていますし、実際そうなんじゃないかと思います。そして、あまり誰も手をつけていないように見えます。
完全に言語化することは無理でも、具体的な文章の過剰考察を通して、この「なんとなく、感覚的な」問いをできる限り、一般化・抽象化に言語化して、noteの記事に残す。
それによって、これからもっといい文章面白い文章を書こうと思っている人の何かしらの参考になれたらいいなと思っています。
気になった方は、メンバーシップ是非ご検討してみてください。
上記のメンバーシップ限定の深堀考察記事は、17:30公開予定です!
そして、次回の過剰考察はkuwanyaさんのこの作品です!
またまた、とんでもないクセのある文章が来ましたよ!
正直いつものやり方では難しそうです(笑)果たして、この文章は過剰考察ができるのか!?
毎回が挑戦ですね😂
でも、やるたびに本当にたくさんの学びを得られていますから、次も楽しみです!
ということで、次回もお楽しみに!
今回も、お付き合いありがとうございました!
ということで、それではまた!「今日一日を最高の一日に」
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