記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『こころのカルテ 潜入心理師・月野ゆん』(秋谷りんこ、小学館文庫)は、共感の境界線を越えていく

人は、誰かの役に立てればそれは嬉しいことです。でも、そのこととその人の存在の意味は、話が違います。誰かの役に立つとか立たないとか、そんなこと関係なく、人にはそれぞれ命の尊厳があります。

秋谷りんこ. こころのカルテ 潜入心理師・月野ゆん (小学館文庫) (p.136). 株式会社小学館. Kindle 版.

以前創作大賞を取られて、現在作家として本格的に活躍されている秋谷りんこさんの最新作です。

私は、長編小説公募勢ではないのですが、秋谷さんのnoteに分析的に審査するみたいな気持ちで読んでみても欲しいみたいなことが書いてあったので、俄然興味が湧いてきました(笑)

普通に読書を楽しんだあと、じっくりと分析というか、どこが評価されたんだろう? とか考えていました。今も、考えます。一回「あー!おもしろかった!」と普通に読書として楽しんで、そのあと、どこがどう良くて、どこが自分に刺さったのか。自分ならどこが気になる点なのか。自分が書くとしたらもっとこうするかもしれない、でもたぶんそこが多くの読者に共感されているところだから……みたいな感じで考えます。

長編小説公募勢の方には、ぜひ『こころのカルテ 潜入心理師・月野ゆん』をそういう視点でも読んでみてほしいのです。

長編小説公募勢は『こころのカルテ 潜入心理師・月野ゆん』を読んだほうがいいと思う。より


私には、審査をする勇気はないのですが、この本を読んで考察したことを書いてみようと思います。(書き終わってみるとだいぶよくわからないところにいったなという気がしています笑)

ストーリーのネタバレ自体はたぶんしてないと思います。一応、買って読んでみたいと思ってもらえるような書き方にしてみました。
が、ネタバレタグをつけました。

まず、真っ新な状態でに読んでからにしたいという方は、この先は読まずに、ここでいったんお戻りください。






共感の境界線


この小説を読んで、まず、そんな言葉が思い浮かんだ。

人は、人の思考を読み取ることはできない。心理的・感情的・理論的に読み取ったように感じることはできるかもしれないけれど、それは想像でしかない。

人と人とは完全に分かり合うことはできない。
分かり合うことができる部分とそうでない部分、そのあいだにもし、境界線があるのだとしたら、その境界線に触れたとき、人の心は揺さぶられるのかもしれない。あるいは、自分のコントロールできない何かに触れることで、不安や恐怖を感じることがあるかもしれない。

一方で、その境界線に触れることがないのだとしたら。その人は特に心動かされることもないまま、日々を過ごすのかもしれない。そういう人も普通にいるのではないかと思う。
その場合、その人の心の核の部分は、誰にも触れられないまま、日々が過ぎていく。

しかし、その誰にも触れられないはずの核が、ある悲惨な経験によって、当人の心に深刻な影響を与え、複雑な【絡み】となってしまった場合はどうだろうか。
その【絡み】が他の誰にも触れられることがないまま、放置され続けてしまったとしたら。

それは、境界線の外側からはわからない。

その人の心が深く傷ついてることが分かるのは、それが表に現れるとき、場合によっては、自ら命を絶つことを選択してしてしまおうとする瞬間なのかもしれない。


希死念慮——

この重いテーマの触れられないはずの核に触れていく——

これがこの作品の特徴なのではないかと思います。


触れられないはずの心の核に到達するためには、分かり合える部分と分かり合えない部分の境界線を越えていく必要があります。

もし、その境界線を本当に越えられるのだとしたら……

そして、核の【絡み】を取り除くことができるのだとしたら、希死念慮を持つ患者を救うことができないだろうか。

そんな使命感を持って、患者の記憶の中に潜入し、治療を行うのが、主人公である月野ゆんをはじめとする潜入心理士。

こんな斬新なプロットなんじゃないかと言う気がしました。

いわゆる人の心を読む・入り込む系のSF要素が入った物語はたぶんけっこういっぱいある気がします。この小説も分類としては、そのうちの一つということが言えるのではないかと思います(正直あんまり小説読まないので感覚でしかないですが)。

では、何が斬新なのかというと、それは

希死念慮を有した精神疾患の患者を潜入心理士として救うという視点

ではないかと思います。

「奇跡的な手際と展開で患者を救う」というストーリー自体は、医療モノのヒーロー的なスタイルとしては定番かもしれません。
しかし、希死念慮を有した精神疾患の患者を潜入心理士として救うという視点・プロットの斬新さ、これが光っているのではないかと思います。


展開

 あえて、小説全体の展開という言葉を使うのであれば、10話くらいの連続ドラマの展開に近いような気がします。
 序盤で、上記プロットのケースをいくつかこなしつつ、その中で課題というか伏線みたいなものを散らばせる。その上で、中盤で動かす。中盤の壁を突破したくらいで、最終盤で大展開。
 序盤のプロットは上記の斬新さで、ある種、最初から勝ち筋が見えている感じがします。
 そうすると次の課題は、中盤の動かし方と、最終盤の大展開の仕方。

 私は、最終盤に向かっていくところの大展開でまんまとやられてしまいました(笑)一回、うわ、マジかよってなってしまった(笑)。ちょっと悔しい(笑)私は小説読み慣れてないので、小説読みなれている人が読んだら、もしかしたら展開読めちゃうのかもしれないけれどとかいってみる……(負け惜しみ)

 まあ、それはおいておいて、この小説の中盤の動かし方と、最終盤の大展開ってどんな発想が考えられるだろうか。
 そんな感じの検討で、私なりにたどり着いた言葉が、

共感の境界線

でした。

 どういうことか?ちょっと考えたことを書いてみます。


全ての人にとにかく生きてほしい


本書において、潜入心理士は、本来、分かりえないはずの共感の境界線を越えて、患者の記憶に潜入し、心の核を探し、【絡み】を除去していきます。

そして、希死念慮を有する患者の心の核の【絡み】。想像するだけでおどろおどろしい感じがしますが、その【絡み】の描写は想像通りグロテスクです。
これを除去するのがミッションだというのが、ファーストステージ。

そうすると、この「分かりえないはずの共感の境界線を越える」というのが、ミソな気がしてきます。


冒頭で使った引用をもう一度引用してみます。

人は、誰かの役に立てればそれは嬉しいことです。でも、そのこととその人の存在の意味は、話が違います。誰かの役に立つとか立たないとか、そんなこと関係なく、人にはそれぞれ命の尊厳があります

秋谷りんこ. こころのカルテ 潜入心理師・月野ゆん (小学館文庫) (p.136). 株式会社小学館. Kindle 版.


ここには、役に立つとか立たないとか、そんなのに関係なく、それぞれに命の尊厳があるということ、つまり「とにかくまず生きてほしい」ということが込められているのではないかと思いました。


そうすると、導き出される一つの発想。

ここからは、もう完全に仮説でしかない過剰考察ですが、考えられる発想は「潜入する側にも、核と境界線があるのではという発想」になるのではないかと思います。

「分かり合えないはずの共感の境界線を越える」。つまり、患者の共感の境界線を越えて核に迫るとき、あたかもベン図が交わるように、潜入士のほうの共感の境界線もまた超えてしまうのではなかろうか。

イメージ

なんかイメージ図まで作っちゃいましたが、この発想が展開・大展開のヒントになりそうです。

そんなことを言ってみて、作者の秋谷さんが、どうやって中盤の動き、最終盤の大展開を作られたのか。

ここまでいって丸投げします(笑)

その辺は、ぜひ、本書をお読みいただければと思います(笑)

もうちょっとだけ余計なことを考えてみる


ここから先は、本当に余計なんですが、ここまでの考察で何が言えそうか、ということについて、少しだけ。

心に潜入するという治療法のない、現実の我々の社会において、この本からどんなことが学びになりそうか、みたいなことをいくつかあげてみようと思います。

ひとつは、誰もが核と境界線を持っているのであり、精神疾患→希死念慮という事象は、誰にでも起こる可能性があるのではないかということ。
希死念慮の背景のすべては解明できていないのかもしれないけれど、そこには何らかのメカニズムがありそう。
だとしたら、私たちはそこに対して、ほんの少しでも想像力を及ぼすことはできるのかもしれない。もしかしたら、それで救われる人がいるのかもしれない。そんな希望と配慮が持てそうだというのが一点目。

もう一つは、分かり合える部分と分かり合えない部分の境界線があるからこそ、私たちは、その境界線に触れたり、境界線を越えたりする瞬間に心を揺さぶられることができるということ。

先ほども述べたとおり、おそらく、誰の境界線も超えることなく、日々を過ごすこと自体は不可能ではないと思う。そのまま、誰とも触れることなく、心穏やかに過ごしている人も案外いるかもしれない。
ただ、一方で、心穏やかじゃなく日々を過ごしている人もいるかもしれない。本書の文脈でいえば、【絡み】をほどく機会がなく悶々と日々を過ごしている人もいるかもしれない。

それに対して、ほんの少しでも境界線を越えたり、触れたりすることができるのだとすれば、それは、「相手の人の心をいかに想像することができるか」ということにこそかかってくるのではないだろうか。

この共感の境界線に触れる瞬間、あるいは、共感の境界線を越える瞬間、そんな目線で本書を読んでみたら、また、違った意味で面白く見えてくるような、そうでもないような……(笑)そんな気がしました、というまとめです。

そんなわけで、この感想文が誰かの共感の境界線に触れて、「こころのカルテ」を読んでみようかなあと思っていただけたら、ちょっとうれしいなんて思いつつ、「今日一日を最高の一日に






いいなと思ったら応援しよう!