公用文では使わない「~かなあ」、「~とか」、「まぁ~」などの表現を、noteでは使う理由
Ⅹでつぶやいたら、けっこう反応があったので、少し掘り下げてみたいと思います。
noteでは、わりと「〜とか」や「〜だなぁ」や「まぁ〜」みたいな公用文では使わなそうな言い回しのときのほうが「意識」して使っている。
— lion|考察・感想・レビュー・書評 (@lion77315005) March 21, 2025
noteは公用文じゃなくていい、だからこそ、意識する
「~かなあ」「~とか」「まぁ~」などの言葉はいわゆる「話し言葉」、くだけた表現ではないかと思います。
いわゆる公式な文章、例えば、公用文などでは、こういった言葉は使いません。私は公務員ではないのでわかりませんが、たぶん、そういう言葉を書いたら、赤ペン修正が入ってしまうと思います。
しかし、noteに書く文章だと、こういったくだけた表現をよく使います。
いや、むしろ、積極的に使いにいっている気がします。実際、noteで文章を書かれる方はそういう方も多いのではないかと思います。
「話し言葉」を使う効果として、第一に考えられるのは、「親近感を生み出し、距離を縮める効果」だと思います。
何せ「話し言葉」ですからね。実際に話しかけられているような感覚に読み手がなるのだとしたら、それは、親近感を生み出す効果を持っているということが言えそうです。
これは、目で読んでいるというよりも、音で読んでいるということが言えるのかもしれない。そうすると「実際に話しかけられているような感覚」というのは、「耳で何かを聞いているような感覚」と言い換えることができるかもしれない。
日本語というのはなかなかの特徴を持った言葉だと思っていて、「書き言葉」と「話し言葉」があります。
あまり歴史的な背景はよくわかりませんが、「書き言葉」は視覚的な伝達、「話し言葉」は聴覚的な伝達ということができるかもしれません。
この点、「書き言葉」の特徴を最大限に引き出せるんじゃないかと思っている日本語の基本テクニックは、「漢字」と「ひらがな」を織り交ぜることができることではないかと思います。
例えば、さっきの「くだけた表現」は、ワープロで予測変換すると最初に「砕けた表現」と出てきました。しかし、これはなんか違うなあと思って、わざわざ「くだけた表現」に直しました。これはなんでかなぁと思ったのですが、今日のテーマは書き言葉ではなく、「話し言葉」のほうなので、これを掘り下げるのは別の機会にしたいと思います。
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さて、「くだけた表現」を使う話。
「実際に話しかけられているような感覚」を生み出し、「親近感を生み出し距離を縮める効果」があるのだとしたら、noteにおいては、効果的な書き方と言えそうです。
ただ、話し言葉を使い続けるというのも考えものです。私の場合、割と「書き言葉」よりの記述がけっこうあるんじゃないかと思っています。でも、ここぞというときに話し言葉的なものを入れることがあります。
noteだったら、怒られないからです。というのは、半分冗談で、ちょっとした変化をつけたいときに使っているような気がします。
ずっと書き言葉を使っていると、読んでいる人が飽きてきているんじゃないかなと思うんですよね。lionの取り上げる話題もなんか固い感じの話題が多いし。そんな内容の文章が、「書き言葉」状態で続くと、経験上1000字を超えたくらいでそろそろやばいだろうなという予感がしてきます(笑)
私の場合、割と2000字を超えることがけっこう多いので、2000字レベルで「書き言葉」を使い続けるというのはしんどいです。別に公式文書を書いているわけでもないし。書いているほうも飽きてきます(だったらやめろよ)。
その辺の問題意識があるので、「話し言葉」を混ぜてみたりします。実は、noteを書き始めた当初はけっこう抵抗がありました。ビジネスメールみたいなお固い文章は普段書いたりしますが、「話し言葉」を混ぜた文章というのはあまり書いていなかったからです。だんだん、意識しながら混ぜていったら、今みたいな文体になりました。
あとは、本当に言いたいことがあるのだけれども、これを言っちゃうと角が立ちそうだなという予感がしたときは、逆にわざと話し言葉にすることがあります。これは、あれです。面と向かってはっきりというのが恥ずかしいので、ちょっとおちゃらけた感じにしたくなる、トトロに出てくるカンタみたいな感じ(?)です。
例えば、先日のnoteのこれ。
内容は、けっこう固いな~と自分でも思います(笑)。ちょっと恥ずかしがって、少しだけ「くだけた表現」を使っています。
正直、以前記事に書いた通り、有料記事と無料記事の境界線は、人によって違うように見受けられ、はっきりとどこからが有料部分なのかはよくわかりません。ただ、自分の中で、これは有料にしたほうがいいのかなとか、これで有料にしちゃうのは値段に見合ってない状態になっちゃうのかな的なことをあれこれと想像するようになりました。
書き言葉にするとこんな感じです。
正直に申し上げるならば、以前記事に書いた通り、有料記事と無料記事の境界線は、人によって違うように見受けられ、明確にどこからが有料部分なのかということは判然としません。ただ、私の中で、これは有料記事にしたほうが良いのではないかといったことや、この内容で有料記事にしてしまうのは値段に見合ってない状態になってしまうのではないかといった懸念を想像するようになりました。
だいぶ、固いですね。ちょっとだけ、角が立ちそうです(笑)。
もとの文も割と内容が固めなので、くだけさせすぎるのもどうかなあという感じがしています。
ためしにもっと砕けさせてみます。
正直、有料記事と無料記事の境界線は、人によって違う気がする——
はっきりとどこからが有料部分なのかはよくわからない。
これは有料にしたほうがいいのかな。
これで有料にしちゃうのは値段に見合ってないのかな。
あれこれと想像してしまいます。
これはこれでありなのかな(笑)。これは私的には、読ませにいかせたいときの書き方かもしれません。今思えば、恥ずかしがって微妙に読み飛ばしてほしかったので、一番上くらいの書き方にしているような気がします。
ということで、いろいろな書き方をするときもありますが、前後の流れとか、ピークをどこに持ってくるかとかそんなのもありますよね。
そんなわけで、奥が深い出し入れというか抜き差しの世界のような気がします。
で、これ、実は他の方の文章を読むとき、特に過剰考察のときにも使える一つの視点になったりするなあと思ったりしています。
そんなことを考えると書くことがもっと面白くなるんじゃないかなと思ったりします。こういうことをいろいろ考えてみるのは楽しいです。
繰り返しになりますが、noteなんで、仕事じゃないんで、上司や先生に怒られることもないですし。
そんなわけで、ちょっとだけ「くだけた表現」を掘り下げてみて、「今日一日を最高の一日に」
